2014年9月5日金曜日

清水義範(作家)         ・海外旅行で磨く人間観察力

清水義範(作家)   海外旅行で磨く人間観察力
昭和22年名古屋市生まれ 愛知教育大学を卒業後、上京し、会社務めを経て作家活動に入りました。
1981年「昭和御前試合」でデビュー、1988年「国語入試問題必勝法」で第9回吉川英治文学新人賞を受賞しました。
その後もユニークな発想、ユーモア溢れる作品を数多く発表しています。
清水さんは40歳の時、旅行好きな奥さんに誘われる様にして、初めての海外旅行をインドで体験しました。
以来、海外旅行が何よりの趣味となり、夫婦でイスラムの国々バルカン半島の国々などを廻りました。
清水さんは小説家として日々人間観察をしていますが、日常から離れた海外旅行のなかでもその国をとことん知る為に、人間や風物の観察を続けています。
又帰国してから旅行記を書き上げる事で、清水さんの旅は完結すると言います。

最近は東南アジアを廻っています。(現在半分ぐらい)
ベトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポールを今後廻ろうと思います。
中途にイギリス旅行が入っている。 タイで食べものが口に合わなくて、お楽しみでヨーロッパの方に行こうかと思っていたが、ウイーンを予約したがキャンセルが多くていけなくなり、イギリスに行く事になる。
シェークスピアの生れた家とか、嵐が丘の作者のエミリー・ブロンテの家に行こうとか文学的でした。
基本的にはパッケージツアーの枠内で旅行する。 見るものを効率よく旅行出来るようになっている。
30分、1時間の自由時間を貰うと、路上にテントを出している店を探して、ビールを飲んでます。
旅行に行くときは白紙状態(妻は予習している)でいって、見るもの、初の出会いを楽しんでいる。

海外旅行のきっかけは?
結婚したら旅行の好きな妻だった。
一度妻に旅行に行こうと誘われて40歳の時に、インドに出かけた。
慣れないとビビる様な所、道を歩いているだけで、物売りが10人ぐらいついて廻って通してくれないところを搔き分けてゆく様な感じ。
権利の主張を大声でまくし立てるし、この激しさにショックを受けて、なじめないなあと思った。
最初3日間はおびえていた。 観光しないで、バスの中にいたこともある。
段々インドにはまる事になってゆく。
インド人のずうずうしさ、身勝手を考えていたら、もし自分がインドに生まれて、インドで育ったら、あの人たちと同じようなことをするだろうと理解するようになった。
必死に生きているインド人はなかなか魅力的だという気がしてきて、旅の後半は慣れてきて、面白い国だと思う様になった。(その後2回インドに出かけた)

インドはヒンズー教徒、イスラム教徒が多い、イスラム社会の存在に眼を向けさせられた。
イスラム諸国を廻るようになり、イタリア、バルカン諸国、東南アジア、イギリスと廻るようになる。
トルコのモスクのドーム建築が大変魅力的で、イスラムを全然知らないことに気がついて、50代の10年間イスラムの国を廻る。 10カ国廻ることになる。
地中海の周りが多くて、行った先々で古代ローマ遺跡ばっかり見物させられる。
その前は古代ローマの地域だったと言う事で、それではちょっとイタリアに行きたくなって、イタリアに2回行った。
次はどこへ行こうかと考えて、面白そうなのでバルカン半島に行こうと思った。
南から北へ、オスマントルコが侵略の手を伸ばしていって、北の方ではウイーンのハプスブルグ家がハンガリーと組んでハンガリー・オーストリア二重帝国で、バルカン半島を北から来て、そのぶつかってせめぎ合いなんです。 国情が複雑になりやすいところ。
国の中にいろんな民族が住んでいて、戦争になりやすい。
行った時は落ちついた時期になっていたが、戦争の爪痕は建物などにも残っており、人々の表情も暗い表情が感じ取られた。

トルコ人 親日的 男性は一日一回は怒る。
トルコ人の男性は怒りっぽいというか、直ぐ大声を出して喧嘩越しになる。
誇りを持っていて、父親が一家の主で父親が何でも決めて、それをちょっと傷つけられたりすると、激怒する。   両方が大声でまくし立てる。
アヤソフィア寺院(現在は博物館になっている)で撮影禁止になっている所で、壁のモザイク画の写真を取ろうとしたら、注意されたが、案内していたトルコの観光局の役人が接待中に言われた事に対してメンツが立たないと言う事で抗議する、そういったことで喧嘩を始めていた。

エジプトは古代エジプトの遺跡ばっかり見て廻るので、イスラムの国としてのエジプトを見たいなあと思っているのは変人だが、カイロなどに行くとイスラムのモスクに行ったりするが、エジプトは流石に歴史の古さからくる、基本的な生活文化がしっかりしているなと感じた。
エジプト人は何かをしてあげたりすると、必ずお礼を言う。 感謝を顔で、態度で表す。
同じ北アフリカのチュニジアあたりでは、買っても無愛想に売ってくれるだけ。
現地のガイド 一番良いケースは一つの国を同じガイドが全部説明する方がいい。
街ごとにガイドが変わって、案内してくれるところもある。(ヨーロッパ方式)
ルーマニア 日本の大学で学んだと言う35歳の青年ガイドへの質問 「ルーマニアでは生活の中の文化、伝統は守られていますか?」と言う質問に対して、青年ガイドがとても皮肉な答えをしたのが忘れられない。
「お役人などが物資を途中でくすめるという生活文化は守られています。」と答えた。
元共産主義の国なので中間搾取が今でも行われている、と言う事を云いたかった。

レバノン、サラエボ (ボスニア・ヘルツェゴビナ)  かつての内戦地域 等も現地のガイドさんがいる。
空港までの地下トンネルがあって、レールが敷いてある。
10歳の時にこののトンネルでドイツに逃げて、20歳の時にこのトンネルで戻ってきたという若いガイドさんがいて、まだ間もない事だったことを実感した。
雇用促進でガイドを設けることがある。 ほとんど歩いてると言う様なガイドさんもいる。

世界遺産 インドのタージ・マハル イランのペルセポリス ヨルダンのペトラ(渓谷の中の古代の街)などはとっても美しい、当然だなあとは思う。
ハンガリーのホルトバージは、唯の草原で牛や馬が飼われているだけ、なんで世界遺産なのかと思う。
のどかさだけで世界遺産になっている。
滅びの美 ペルシャのペルセポリス 神殿の跡に円柱がただ建っているだけ。
木製の屋根などがその上にあったが、焼き払われてしまっていて、焼き払ったのはアレキサンダー大王だったりして、その古さに魅力がある。
アルバニアは現在民主主義の国 かつて共産主義の国で、ソ連、中国とも仲たがいして、国交断絶して、鎖国状態でやってきた国で、国中にコンクリートの塊のようなトーチカが60万個あるが、戦争に使われたのは一度もなかった。 国民の3人に一つ作ってしまった。
元共産国はなにかが国営だったり、学校教育の在り方に名残があり、融通のきかなさがある。

イスラムの国々に行って、私たちは羊肉は大丈夫だったが、嫌いだと言う人はイスラムの国に行くのは辛いと思う、ほとんど毎回羊肉の焼いたのを食べさせられる。
スペイン、イタリアは美味しい。
ほとんどのイスラムの国々では、外国人旅行者はホテルの中で酒は飲めるが、イランでは絶対駄目、酒を持ちこんでホテルの中で飲むのも禁止。
1週間は酒なしで過ごした。
トルコ料理は大変おいしい、トルコの料理でイスラムの料理にはまった。

パッケージツアーではあるが、目を凝らして見るようにしている。
旅行記を後で書かなければいけないので、最低限その国の歴史、どういう王朝が有ったのか、勉強して判ってから旅行記を書く。
旅行記を書き終わって私の旅行は終了となる。
イタリアのシチリア島のタオルミーナに案内されて4月9日広場に案内された。
何故そこが4月9日広場なのか? 調べたら19世紀後半にイタリアが一つの国に独立する運動がおこるが、その時に青年イタリア党のジュゼッペ・ガリバルディ という英雄がシチリア島にやってきて運動をはじめるがそれが4月9日だった。
旅行記は読む人に、行って来たかのように判る様に、歴史、地理、建物などを最低限書く様にしている。