2014年9月19日金曜日

大西清右衛門(鋳金家・釜師)  ・鉄は錆びゆく、美は深みゆく

大西清右衛門(鋳金家・釜師)   ・鉄は錆びゆく、美は深みゆく
大西家は京都で400年続く釜師と言われる鋳物を作る家系です。
代々清右衛門をなのり、茶の湯の千家流の道具、千家十職、十の職種のうちの一つを受け持つ家でもあります。
大西さんは昭和36年生まれ、30代に入って16代目として家業を引き継ぎました。
家に伝わる技を極める中で、大西さんはいずれは錆びて朽ち果てる鉄に美は宿る、窯はそれを見せ、日本人の美意識を育んできた貴重な存在だと確信し、意欲的に製作に取り組んできました。
今大西さんは新しい素材に押されて、存在感が薄れてきた鋳物の魅力を再認識してもらおうと人物像などにも製作の幅を広げています。
こうした活動と伝統工芸への深い思いが評価され、今年京都府の文化功労賞を受けました。

釜座 古い地名 嵯峨天皇が京都に移られた時に三条 釜の里 と古文書には有ります。
809年~823年ごろ 
既得権を与えられて鋳物を作ることが許された。
武器にもなるので管理されていた。(江戸末期まで)
寛文年間 座員が80名だった。  今は1,2軒になってしまった。
釜は茶会の主役の道具ではあると言われるが、茶室は釜、掛け軸、花入れ、茶碗など全ての道具がそろって一つの空間ができ上る。
釜の中には音を鳴らす仕掛けがある。(湯が沸いてゆく音)
空間の変化を感じることが出来る。(空間の演出に寄与)
梵鐘も作って、品川区の品川寺(ほんせんじ)にあるが、一度江戸時代の晩年に流出するが、大正時代にジュネーブのアリアナ美術館で見つかり、返還されて、ジュネーブと品川区とが友好関係を結ぶ。

工程  60工程がある。
図面を描く→木型を作る→板を回転させて鋳型を作る(素材は土と砂と粘土を混ぜ合わせた泥)
→土の鋳型を何度も炭で素焼きにしては、粒子の細かい土の泥を繰り返して層にしてゆく→その内面に彫刻を施す→まず鋳型の上下ができる→そのなかに又土を込めて、炭火で乾燥させる→
込めた土を引きだす→先ほど鋳型で作った形のくぼみに入った釜の形をした土の塊ができる→
その部分は釜の厚み分削って、もう一度外型に収めると、釜自体の厚みになる→その隙間に鉄を流し込む→釜本体になる
耳の部分 「かんつき」 を付ける。  
最初に原器を作って、それを型どりして、鋳型の中に組みこむ、でき上ると蓋を作る。
蓋も図面と、木型、鋳物(鉄もしくは銅合金)で蓋を作る。
その上に「つまみ」 彫金の様な技法 ついき 叩いて物を作る。
素材も何種類も使う、紙、木、金属、化粧(着色は漆を使う)
いろんな技術が複合されて、釜が出来上がる。
60工程でも細かい工程が10あれば、600工程になるわけです。

鋳型は同じものがいくつも作れる技法に思われがちですが、弥生時代と変わらないような鋳型作りをしているので、一つの鋳型から一つの釜しかできないんです。
釜作りの面白さは、いろんな素材と向き合えるのが面白い。
500年前から作られているので、その釜は一つ一つ違う技法で作られているので、それがある意味教えてもらった技術と違った技法を編み出していかないと作れないというところが、そう簡単には出来ないのが面白い。
その時代の環境で手に入る道具でどういう風に作ったのかと、想像して仕事をしてみると、先ずは失敗する。
そうすると糸口が見つかる。 
糸口をつないでいって失敗を繰り返しながら、同じ物ができれば昔の技術を発見する事が出来る。それぞれの代が新しいものを作っている。 

鉄自体の魅力は「錆びる」という事
錆はドンドン水を与えてやると進むが、水を付けた処を安定させれば、それ以上進まない。
錆びながらにして、錆びるのを防いでいる。
400年前の物を割っても、まだ銀色の部分があることは、私にとっては不思議、生きているんだと思う。 でも段々痩せて行っている。
400年前は錆ると言う特質を逆に面白さとして捉えている。
千利休が三条 釜座に住んでいる辻与次郎に阿弥陀堂釜を作らせるが、肌をかっかと荒せと指導している。
鉄は磨けば銀色でつるつるのものができるが、鉄が最初全うにあるものが雨風を受けて錆びて勝手に肌合いが出来てくる、時代が経つと表面が剥離して肌が自然と出来てくる。
そこに面白さを感じて、新しいものに肌を入れよと、作り手に要望があるわけです。

壁画の修復があるが、時代のたった壁画の魅力もある。
物が朽ちていって、そこで初めて本質が見えてくる、過程なんでしょうね、其れがやがて無くなってしまうが、いいなあもう見れないかもしれないと思える、そういうところが美の深さなのかもしれない。
昔の釜は硬くて金槌で割って、その割れた形状に魅力を感じて、新たに一周り二周り小さい
底を作って漆でくっつける、そうすると完壁だった形から朽ちた表現を取り入れた、もう一度再生した釜に面白さがあると、400年前にある。
五綴鉢(ごてつのはち) 法隆寺につたわっていた鉄鉢 鉄の鉢が5回まで壊れても繕って直す、物を大事にしてゆく、考え方がある。

物が朽ちてゆく金属の性分、ある意味元に戻る、自然に戻る。(土壌に戻ってしまう)
昔の鉄は素朴で、木炭を燃料に製鉄が行われていて、溶解も木炭で行われると、硬い急激に冷え固まった鉄が出来上がる。
現代の鉄と比べると、水が沁み込みにくい。
表面と釜の内側からサンドイッチ状に外側から層になって、されてゆく。
だから500年前、400年前の釜も今、金槌で割ったら、錆の層と真中には銀色に輝く生きた鉄が姿を残している。
現代の鉄はいろんな鉄が作れる、用途によって作れる。
釜として時代が経っていった時に、人間と同じように年老いた表情を出せるような鉄であるという事ですね。

昔から「和銑わずく)」と言う鉄に魅力があるが、明治時代までは日本のいろんなところで作られていた。
たたら鉄と言うもので砂鉄を原料に和銑が作られている。
鉄鉱石も木炭で精錬されれば同じような成分になります。
砂鉄の良さと現代にある素材を天秤に掛けながら、いいとこ取りをすれば現代の釜に向いた鉄が出来てゆくという風に考えるわけです。
錆びなければいけないけれど、錆びにくい鉄、耐熱性も上げてゆきたい。
技術もヒントになるし、専門家の知恵も借りて、それを自分の作っているものに組みあわせる様な事もするわけです。
成分も0.00の世界で変化してしまうので、やるだけ種類は増えてしまうわけです。
耐熱性のあるもの、耐蝕性のあるものを目標にすこしずつ作り上げてゆくという事をしています。
昔の鉄とは何なんだろうと、厳密に知りたいと思って調べて、明治以前の鉄は皆近いところの組織をしていて、成分もよく似ている、水が沁み込みにくいという事が判った。

物作りが現代の社会で見えにくくなっているだけの事。
鉄瓶 箱火鉢が無くなって、日常では使えなくなっているが、中国では鉄瓶が流行になっている。
物作りに興味を抱いているか、いないか、で眼につかないかだと思います。
お茶をするにしても手間暇をかける、趣味としても簡単に出来てしまっては面白くない、手間暇かけて何かをすることに面白さがあるということですかね。
釜の六音 その中にみみず鳴きがある。 最初水からお湯に変わるときに 釜の内面の水の底から泡粒が浮いていってはじける音 「ち ち ち」 と音がする。(草むらの虫の音の様な)
それがやがて「じ じ じ」と成り 「こー、こー」と言う様になり 複合されて松風の様な音になる。
あわ粒がらせん状に上がってゆくのがミミズの様な形になるので、みみず鳴き。

自分の好きな音が何なのか、ゆっくり熟視して五感を生かす。
見るのもゆっくり見、音もゆっくり聞く。
忙しくしてしまうのが現代人の特徴ですかね。
茶室で、時間がゆったりしていると、最初暗い部屋で眼が段々慣れてきて見えるようになり、湯も段々音が聞こえ出して、物を見ようとする気持ちになる、その前にある本質が見えてくる。
シルエットだった釜 肌あい、彫金、など細かく見えるようになり、周りの物にも眼がゆき、面白さに眼が行く様になる。
釜に限らず培ってきた技術で、新しい物を表現できるものがあれば、挑戦してゆきたい。