2014年9月16日火曜日

丹波 明(作曲家)       ・フランス仕込みの日本オペラ完成

丹波 明(作曲家)  フランス仕込みの日本オペラ完成
横浜市出身 8年がかりで作り上げたオペラが完成し、今月下旬に名古屋と東京で世界初上演される運びになりました。
作曲家の丹波さんは東京芸術大学作曲家を卒業した後、フランス政府の給費留学生として1960年パリ国立高等音楽院に入学、世界的な現代音楽作曲家のオリヴィエ・メシアンに師事しました。
その後現代音楽についての様々な研究や、作曲に取り組みフランス在住50年になります。
今回新作オペラとして完成したのは、楽劇「白峯」と言う作品です。
これは江戸時代の作者上田秋成が書いた雨月物語の中の一つの物語、崇徳上皇等を中心とした物語をオペラ化したものです。
戦いに敗れた崇徳上皇の魂を鎮める鎮魂歌レクイエムにもなっています。

楽劇「白峯」の練習をやっていますが、皆さん、戸惑いではないですかね。
皆さんヨーロッパ音楽の専門家なんです、そうすると譜面に書いてあると、それを歌っちゃうんですが、私は歌わないでくれと言うんです。
会話的なニュアンスを入れてくれと頼むので、戸惑ってしまうんです。
平安時代の崇徳上皇にスポットを当てた物語。
オペラの題材はいろんな要素から決められてくるが、半分以上は偶然みたいなもの。
日本から教えに来ていた日本文学の専門家がいたが、オペラをやってみないかと誘われた。
雨月物語などはどうなのかと言われて、12編の一番初めを読んだら、面白いと思ってとりあげた。
平安時代末期、第72代白河法皇から第77代の後白河天皇迄のいろんな天皇、貴族達のいろんな葛藤。

文化的な華やかな時代の裏には、誰を自分の後継ぎにしようかと言う後継の問題がいつもある。
白峰でも鳥羽天皇の第一婦人藤原璋子待賢門院(子供 崇徳)、第二婦人藤原得子美福門院(子供 近衛) どちらを立てようかと言う事で、争ったわけです。
自分の夫や、取り巻きの関白家、関白家自身にも、相続の問題があったわけです。
今でも続いているのだと思います。(政治の世界、産業の世界でも同じ)
仏教の輪廻の問題とも結びついてくる。 

台本も書いた。 
紹介した文学者が書いてくれる事になっていたが、上がりたい節の時に言葉が下がっていて、作曲しずらくて、頼むと直してくれたがそのうち注文が多ぎて、怒ってしまって自分でやる様になる。
自分で台本を書かなければ駄目、音楽を作りながら文章を書かないと駄目だと、世阿弥が言っている。
芸術的な環境には有った、父は浮世絵、版画を集めたりしていたし、母はバイオリンを弾いていた。
幼稚園のころから、曲を作った。(譜面は読めないが、遊びでピアノを弾いたりして)
東京芸術大学の作曲科、池内 友次郎さんのクラスにいました。
1960年フランスのパリに船で行く。(本当に良かった)
パリ国立高等音楽院に入学、作曲はトニー・オーバン、音楽分析をオリヴィエ・・メシアンに学ぶ。
作品 「万葉集による5つの歌」から2つ 
吾が面の 忘れむ時は 国はふり 峰に立つ雲を 見つつ偲はせ」 に曲を付ける。
沖べより 滿ち來る潮の いやましに あが思ふ君が 御船かもかれ」 大伴 家持
この曲で初めて、掛け声を使った。(ヨーロッパ音楽では絶対に使わないような掛け方)

ヨーロッパ音楽は全然違うが、ヨーロッパ音楽を取り入れて160年ぐらいになる。
雅楽はヨーロッパ音楽に非常に近い、ヨーロッパ音楽と本質的に同じ。
決定音楽(音差によって音の高さの基準を決める) 観念的な音の決め方
日本の音楽は非決定音楽、基準はない。出だしは決まっていない。 
その人の音域によって上音、中音、下音がある。  相対的に決める。
「白峯」 非決定性を使っている。  
どういう風に決定音楽のなかに非決定音楽を入れこむか。
フランス パリの1968年学生掻動「五月革命」 文化の破壊激動の時代、占領されたし、伝統的なものばかり強調する先生が数人追い出されてしまった。

1968年に作られた「弦楽四重奏とポテンションメーターのための「タタター(真如)」」
タタター」はサンスクリット語 真如
人間の観念を取り除いてしまった、と言う意味で「タタター」と言う名前を付けた。
人間の観念というのは何かと言うと、今までの伝統の音楽理論を完全に否定した、それを解体して新たに立ち上げる。
ヨーロッパ音楽では絶対にやってはいけないと言われた事だけで、作曲した。
それでも曲が出来るんだぞと言う事を試してみました。
ポイントの一番大きなものは、掛け声ではないかと思う。
当時伝統音楽がある種の行きずまりになっていたので、どうしたらいいかと探していた時代だった。(それが掛け声だった)
掛け声は心理的素材。 掛け声は語意を通さないで表現できる音なんです。(感情を表現する)
ヨーロッパ音楽で教育を受けた今の歌い手はなかなか出来ませんね。
音楽と言うのは変遷するものだという事を理解して、心を広く持って聞いてほしい。