植芝守央 ・和の武道 合気道の心を語る
合気道は和歌山県の田辺市出身の植芝盛平が日本古来の武術や柔術の修行を積み重ね、
さらに精神修行を取り入れて、武道の新境地を開き 大正11年その真髄を合気 それが始まりといわれます
合気とは宇宙万物を愛で結ぶものであり、武道の根源は愛であると説いたといわれます
合気道は平和の武道だといわれます
合気道が生まれて91年 愛と和の精神に基づき今や世界95カ国 160万人が愛好する日本の武道の一つになっています
植芝盛平の孫にあたる弟三代目守央さんにお聞きします
手を制するのではなく、自分と宇宙とが一体となって境地を求める
精神的的なものを磨いてゆく 合気道には強弱を競う 優劣を競う ということが発想にない
合気道の稽古は一方向にならない お互い尊重し合って稽古
戦前は門戸を開いていなかった(祖父の代) 戦後になって、父の代で 門戸を開くようになった
5歳から85歳まで 女性も3割~4割を占めている
自分の体力に合わせてできるのが特徴になっている
投げる人、投げられる人、右、左と技をかける これがバランスよくできている
稽古をすることによってお互いの調和がとれる
祖父は14、15歳のころからいろいろな武道を修行する 18歳で東京で事業したりもする
日露戦争から帰ってきてから政府の開拓団の募集があり、北海道(北見)に入植する
南方熊楠(植物学者)に共鳴していいた 四のため人のために何ができるか という思いがあり北海道の原野の開拓をする
開墾しながら武術を顕讃する 郷里へ帰る途中、帰依して精神的な修養を重ねる
合気道が出来上がってくる 昭和6年東京に道場・自宅を立ててそこを起点に行う(紹介者のみ)
茨城県に昭和15年に土地を購入
祖父は家族と接しているときと、道場での目が全然違っていた
昭和37年に父が会社を辞めて、門戸を解放した
約50年ぐらいで50倍になってきた
武は愛なり(祖父)
自分がやられて嫌なことは人にはしない
健康保持、自分を律する、体力増強 稽古をすることにより、身心がリフレッシュされる
私は毎朝42年間稽古しています
準備体操 基本動作 型稽古 気形=自分の気持ちが出ていく
稽古は一方方向ではいけない
四方八方に気を配りながら練磨する
練習は常に愉快に実施すること(前向きにお互いに尊重しあって)
外国の方 一生懸命理解しようとする
1952年にフランスとアメリカに指導者が行っている
1975年国際合気道連盟が発足する 4年に一度国際合気道大会をやっている
去年第11回大会が開催された 73カ国 海外から1000人近くが参加
父は昭和50年ヨーロッパの各国をまわって普及に務めた
積み重ね積み重ねやってゆくことで合気道(武は愛なり)にいい結果ができてくる(道の修養)