甲野 善紀 ・武術の技を暮らしに生かす
がんになるよりも花粉症になるほうがショックだと思う 花粉症にだけはなりたくない
スポーツ界で私の手法を取り入れて成果を出してもらった人は、けがとかなんかで、今までの方法でいき詰まった人がほとんど
床に転がった甲野さんを、簡単に女性が起こしてしまう (指の形、動作で)
日本人は身体を使って仕事をすることをしなくなった
昔は山仕事、石炭運び等で仕事で身体を作っていた
仕事で作る身体というのは、なるべく身体が疲れないようにうまく体を使うようにする
ウエートトレーニングなどは身体を疲れろ疲れろという風にやっているので、そこは根本的に違う
疲れないようにうまく身体を使って出来上がった身体と促成で筋肉に負荷を与えて筋肉を強くするというのでは全然働きが違う
昔は機械が無いので材料から運んでこなくてはいけなかった
野村貞夫 名人大工 現場に材木を運んでくるのに建ちかけの柱があるところに、材料を運んでくるのに、絶対に柱に材料をぶつけなかったという(体に物差しが入っている)
単に力が有るのではなく働きがある
身体の使い方も昔は自然に学んだ
大げさにいえば基本的な人間の身体をうまく使う方法がここ何十年かで断絶した
これは二度と戻らないと思う 今は大学生で鉛筆を削るのは悲惨な状況
講習を終えた若い大工が材料の運びが格段に良くなったと言われた
必然性を持たして、身体を通して体験させながら学ばさせれば、いろいろ応用力のでる子供も出るだろうし、つまり他の事が出来なくなっている
もっと自由に子供のころから様々な学び方があり、ジャンルがあるので、好きに学べるようにすれば、ずっと違うと思う
学校は受験の為に行っているようなもの 人が人となるために学ぶというようでは無くなっている
明治以降は西洋に倣えという事て追いつこうとしていた 学校の体育もそうせざるを得なかった
旧幕のやったことはみんな悪い様に言ったが、そうではないと思う
渡辺京二先生の本 「逝きし世の面影」 幕末から明治の日本の姿を外国人がみた世界
本当に日本は素晴らしいと これがやがて西洋の悪徳のためにこの素晴らしさがい失われるのは残念だと言っている(我々は教わらなかった)
筋トレに対して→柔道の選手たちとやってみて思う事、体全体をうまく使う という事のマイナス効果になる事が極めて感じられる 下手に筋トレをしてしまうと単純な使う方になる
微妙に体をうまく使うという事が凄く阻害されることがある
仕事というのは疲れたくないので、身体をうまく使おううまく使おうとするが、筋トレで効果を上げたいと思う人は、潜在的に疲れたいと思う 疲れたのでこんなにさぞ筋肉がつくだろうと思う
単純な動作には強くはなるが、微妙な感覚で、微妙に体をうまく使うという機能が上がるかというと相当疑問がある
部分にかかる負荷を身体全体がうまく引き受けて、部分が負荷を感じないような使い方がいいと思うので、重いものが重いように感じるにはどうしたらいいか 身体をうまく使う事で重く感じないようにするのが、うまい使い方だと思う
武術の身体運用法 バスケット部への指導 練習時間が半分か1/3でインターハイで普通では考えられないところまで行った
数学を通して、心と体を整えるという 岡潔 は数学は情緒だ といった人 一番その思想に近い
人が学問をするという原点での、数学なり物を学ぼうという事で「この日の学校」と言う、彼と2人でやっている
介護 NHK教育TVで放送された とても同じ人とは思えないぐらい楽に、動かすことができる
手の甲をうまく当てて、(おもに親指と人差し指のあたり)行うことで楽にできる
刀とか槍とか使うのは楽器に共通する面があって、それをうまく使おうとすると、身体の自然な使い方との間の折り合い点を見つけないといけない
ダンス関係の人も来たりする 護身術にも応用できる
相手の鼻と目のあたりを手のひらと指で擦り上げる方法が有効
桑田真澄のケース 2001年二軍に落ちていたとき 月に何度か来た
最初は半信半疑だった 守備が良くなった 蹴って今までは反応していたが、蹴らないで倒れこむような動作を身に付けた 蹴るとためを作るので、遅れてしまう
牽制球 やってもらったが、こんなに遅いのかと思って、自分がやるならば、こうやるよなあと思ってやって見せた 吃驚された 私は2挙動 桑田さんは3挙動なので私のほうが早い
陸上競技 2003年 世界陸上 末次選手 手と足の動き(昔の日本人は手を振って歩かなかった) うまく応用すると速く走れる
昔の人の身体能力は本当にすごかった