2020年4月6日月曜日

穂村弘(歌人)              ・【ほむほむのふむふむ】歌人 馬場あき子

穂村弘(歌人)         ・【ほむほむのふむふむ】歌人 馬場あき子
1928年(昭和3年)東京生まれ、日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科に入学、在学中の昭和22年に「まひる野」に入会、窪田章一郎に師事、同時期にお能の喜多流宗家に入門喜多実に習う。
大学卒業後は中学、高校の教員を務め、退職後は昭和53年短歌結社「かりん」主宰。
古典,能、民俗学に造詣が深く、昭和30年に刊行した第一歌集『早笛』から平成30年の『朝餉夕餉』まで歌集は27冊。
これまでに第20回迢空賞、読売文学賞など受賞して朝日歌壇の選者を40年以上にわたって務めています。
日本芸術院会員であり去年古典的流麗さをそなえて説得力を持つ短歌を創作し、短歌の普及にも力を注いだと文化功労者になりました。

92歳です。
穂村:評論も素晴らしくて、論理と情緒みたいなものが同時にあったり、古典に精通されていて、戦後の民主主義の洗礼を受けたトップランナーでもあり続けている、大きな存在だと思っています。
馬場:歌の数は1万2000首ですが、与謝野晶子は私より若くて3万首ですから。
今は日本語を操るのは難しい時代かもしれませんね。
与謝野晶子の晩年の「白桜集」は現代短歌の一つの土台として吸収され日常化しているところがあります。
晩年の作風が今の女性の土台になっていると思います。

「 一 尺の雷魚を裂きて冷(れい)冷(れい)と夜のくりやに水流すなり」 馬場あき子
穂村:或る時代までは台所は女性の持ち場で、刃物も女性のものだった。
孤独な感じがする歌ですね、詠むとシーンとするような歌だと思います。
馬場:23,4歳の頃の歌だったと思います。
父と一緒に行ったときに獲れた魚で、寒い時で板の上にのせて、身体が凍るような中でこれしか食べるものがないという様な切迫した感情が自分では籠っています。

「ましろなる封筒に向ひ必要君が名を書かむとしスタンドの位置かへて書く」 馬場あき子
穂村:ラブレターを書いているんだと思います、文字を大事に書いている感じがあると思う。  可憐な歌だと思います。
馬場:このころの女性の感覚は恥ずかしいぐらい恋に対して縮こまっていました。
戦争が終わって私たちの上の世代の人はみんな独身で、結婚する相手がいなかった。
窪田章一郎はとても私を大事にしてくれて、推薦者の第一でした。
当時日本的なウエットな抒情を排するというのが世間一般傾向でドライになれというのが傾向でした。
甘っちょろいという様に評価されたのではないでしょうか。

「夭死せし母のほほえみ空にみちわれに尾花の髪白みそむ」 馬場あき子
穂村:お母さんを幼いころなくされていて、記憶にないという事らしい。
おぼろげなはずの母のほほえみが空一杯に満ちているような見守っているような感じがあり、母が亡くなった歳をとっくに越えてしまって、髪にも白いものが表れているような歌、孤独と愛の歌だと思います。
馬場:母を見たのは2,3度しかないです。
結核で隔離されて私を抱くと言いう事は無かったです。
透き通った青い空を見るとお母さんの笑いという感じがするんです。
40代に詠ったものです。
(1977年(昭和52年) 教員生活を終え「まひる野」を退会。)
自分でもやりたいことが出てきて、一大決心をしました。
夫も自立したがっていて、それに従って窪田章一郎先生のところにいって二人とも辞めさせてもらいました。

「夜半さめてみれば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん 」 馬場あき子
穂村:夜中にふっと目が覚めて、窓の向こうに怖いほど桜の花びらが降っていて、映像美が凄い歌です。
馬場:京都で見た夜桜で、かなりな量の桜で力があるんです、命を懸けているような感じがしたんです。
穂村:「桜散りおりとどまらざらん 」というところは口語文ではどうやっても出す事ができないニュアンスです。
馬場:「早船」から「桜花伝承」まで20年掛かっています。
歌以外のことをやっていたのがこの20年だったと思います。

「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」   穂村弘
馬場:終りの方に付けたこれが、現代の若者の精神の内面なんだなあと思って、穂村さんには会っていませんがきっと繊細な青白い青年だと決めていました。
ある一種の圧迫感が自分の上層部にべったりとあることに対する突き抜けきれないような思い、孤独なさみしさがあるという事が非常によくわかりました。
どうして象を持ってきたのか、素晴らしいと思いました。
うんこは巨大で、どれだけのものを食べなければいけないのか、どれだけのものを消化しなければいけないのか、それに比べると現代人なんかくだらなくて、生命力もなく駄目なんです。
象のうんこに着目した、このひとに象のうんこに憧れがある。
食と排泄を考えながら象のうんこをするという事は、よほどの腹力があることだし体力があることだし、これからの自分のあこがれの一つが野生の力だと思っていたんだろうと思います。
短歌界にうんこが出てきたのは長い歴史の中で初めてだと思います。

「アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹸剥いている夜」    穂村弘
馬場:これを詠んだときには怖くて震えました。
これから洗おうとする肌だけど、死んだ人もたくさんいるその肌もここにあったんだという事、反戦歌だと思ってこれは凄いと思いました。
穂村:爆心地は上空であることを聞いて、高層のホテルで石鹸をいているときに、もしかしたかこのぐらいの高さが爆心地なのか、みたいな感触が襲ってきました。

「 都市はもう混沌として人間はみそらーめんのやうなかなしみ」   馬場あき子
穂村:都会はいろんなものがごちゃごちゃになっていて、混沌としていてそこで生きる人間には悲しみがあって、それが味噌ラーメン(濁っていて)みたいだというところがなんとも面白いです。
馬場:文明文化が全部混とんとしてかき回されてしまっている、そんなときに味噌ラーメンが出てきてまさに味噌ラーメンこそ現代を表現する食べ物だという気がしました。
漢字で味噌と書くとそのものになってしまうので、抽象化するためにひらがなとしました。

「 長浜に馬のクラブのありしなり 馬流れたること涙なり」     馬場 あき子
馬場:地震の後閖上にいったんです。
その人の家もめちゃくちゃに壊れたりしましたが、蔵から出してきてあらゆるものを売って自分が食べるものを売ってしまったことがあるという人に案内してもらった。
馬のクラブがあり、そこも全部流されたが、馬が繋がれていてもがいて繋がれたまま家ごと流されてゆくという凄惨さ、様子が目に浮かびました。
事実を言って「涙なり」と捧げたかった。

「手を振りてじゃあねと言いて別れ来ぬ又とは遠ほい遠ほいつの日」?  馬場 あき子
馬場:「じゃあね」とはいえるけどもう「またね」とは言えないですよ。
年寄りの歌としてまあこんなところですかね。
穂村:時間の無限感覚も出ていて胸に残る歌です。

リスナーの作品
「きっしりと積み込んでいるトラックの荷台に一人紛れ込みたい」?
「もう何もできない君の今住んでる長野の天気予報を見つめる」?

?の付いた短歌は漢字、文字などが違っているかもしれません。