泉和夫(元JR東日本広報) ・「人生の旅、駅弁の掛紙とともに」
4月10日は駅弁の日です。
掛け紙とは駅弁の上に載っている包み紙のことです。
現代のように情報が発達していなかった時代は、街の観光案内や広告の役割を担っていてその時代や世相を知らす媒体でもあったそうです。
只食べ終わった後には弁当の空箱と一緒に捨てられてしまう掛紙、この掛紙をこつこつと収集して1万枚以上集めた人がいます。
JR東日本の広報を担当していた泉和夫さん(64歳)です。
中学生から収集を始めて人生の傍らにはいつも駅弁の掛紙がありました。
掛紙は日本の食文化、と語る泉さんに伺いました。
平成5年に、一般社団法人の日本鉄道構内営業中央会という駅弁屋さんの団体があり、4月10日は駅弁の日と決めました。
駅弁を初めて販売した日が明確でなく、弁を分解すると弁=(ムと十?)という事で4月10日を駅弁の日に決めました。
昭和10年代の今治駅の二葉弁当の掛け紙が特に貴重で、戦前の駅弁の紙を集めた事は無かった。
30銭の掛紙になります。
ある百貨店の古本市で何気なく見ていたら、上等弁当(鯛の弁当で有名)をまだ売っているという事に驚いて、なんで二葉なのかと言うと九州の大友宗麟(義鎮)という大名のゆかりのある家らしく「立葵」の家紋で三つ葉は恐れ多いので二葉にしたという逸話を聞きました。
一枚の紙からそんな物語も潜んでいるというのが奥が深いと思っています。
当時は掛紙が無いと売れなかったようです。
明治から親しまれたものです。
観光案内や広告の役割をしていました。
近辺の名所案内、距離(何里とか)が書いてあります。
柳行李(衣装ケース)にはローマ字で名前を書いてくれと、駅弁の紙に書いてありまして、間違えたり,盗られれたりしないようにするためという事です。
御注意書きがあり窓から捨てないで腰掛の下に置くようにとか、いろいろ書かれています。
戦争当時には父が駅弁に関して御馳走と言う思いがあり、おいしそうに食べていてそこから私も駅弁が好きになりました。
幕ノ内弁当の中には3つ入っていなくてはいけないものがあり、卵焼き、カマボコ、焼き魚です。
掛紙の色んなデザインに感動して集めるようになりました。
高校の時に夜行列車で独り旅に行って、お腹がすいているときに沼津で駅弁を買いました。
当時幕ノ内弁当が200円で自分のお金で買った最初のもので思い出のあるものでした。
その掛紙も宝になっています。
旅の思い出、味が心に刻まれて、みんな持っているのではないかと思います。
駅弁は列車と言う動く空間で景色を見ながら食べるという事は贅沢なことだと思っています。
車窓風景を見ながら食べるという事は格段においしく感じていて、駅弁の持っているマジックなのかなあと感じます。
昭和50年に国鉄に入って平成28年にJR東日本を退職するまで主に広報を担当。
昭和62年4月1日に国鉄から民営化されましたが、実感はすぐには来なかったですね。
独身寮の寮長も何年か担当しましたが、その時に駅弁製造をやっている方々と親しくなってよりのめり込みました。
何かに打ち込むことは人生においては大切なことだと思います。
生きる励みになるし、知識がひろくなり人生が豊かになります。
人と人を繋ぐツールにもなると思います。
平成28年に東京駅がリニューアルして200種類以上のお弁当が並んでします。
地方だけでは売れない数が東京駅だと相当の数が売れます。
列車の窓が開けられなくなり、停車時間が短くなり、列車に乗って買うというのは至難の業となり、東京駅で売れれば弁当屋さんにとっては元気になれると思います。
100年以上同じ弁当とか、郷土色を生かした弁当とかいろいろあります。
交通運輸業界の総合専門誌にコラムを執筆しています。
掛紙について月に2回連載して150回ぐらいを越えています。
エピソード、風景などから物語を書いています。
蒸気機関車と掛紙との取り合わせたことを今後書きたいと思っています。