2020年4月15日水曜日

宮越隆夫(寺子屋コーディネーター)    ・「わがまちの寺子屋」

宮越隆夫(寺子屋コーディネーター)    ・「わがまちの寺子屋」
新潟県出身73歳、川崎市で長年土木建設業を経営しています。
子育ては学校任せではなく住民の力も出そうということで、川崎市の地域教育会議の事務局長を20年も務め、中学生の職業体験、中学生と共に東日本大震災の被災地へのボランティアに行くなど様々な活動をしてきました。
6年前に始まりました子どもと高齢者が交流して、子どもの放課後の居場所を作る寺子屋には立ち上げからかかわりました。
大都会の中で子供や若者が生き生きできる舞台作りをこれからもやっていきたいと話しています。

寺子屋には学習支援と体験活動との二つの形でやっています。
私が担当している渡田小学校では、学習支援は毎週水曜日の放課後やります。
900人のうち150人が登録しています。
多いので子供たちは隔週になっています。
まず宿題をやって、そのあとに私たちが用意したプリントの勉強をやります。
その後紙芝居、将棋、トランプなど大人の先生たちと交流をします。
合わせて2時間ぐらいです。
寺子屋の学習支援の先生は、多彩な方々で元校長先生、リタイアされた方、町内会の役員紙芝居、将棋のできるかたなど様々です。
音読は人気があります。
「いるだけ支援」、特別なスキルがなくても子供たちは元気になります、教育のイノベーションではないかと思ってるぐらいです。
体験活動ではペットボトルで水ロケットを作って発射したり、科学に夢を膨らませて体験します。(JAXAの体験)
川の干潟で泥んこになって、カニと遊んだり、ブラインドサッカーをやって障害者への理解を深めたり、ボクシング教室やったりいろいろあります。

平成26年からスタートしました。
当時の川崎市長が高齢者と子供たちが触れ合う場を作りたいということで始まりました。
川崎市の地域教育会議へ打診がありました。
1980年代は校内暴力などで荒れる学校、少年事件が多発した時代でした。
川崎でも深刻な事件がありました。
4万人から出された中から6500件の意見を基にして地域からの教育改革を目指して、地域教育改革が提案されました。
平成2年に試行的に設置されて平成10年には川崎市内の51中学校区、7行政区すべてに地域教育会議が設置されました。
地域住民、先生、行政、青少年活動にかかわる団体などの代表が集まって運営することになりました。
私が事務局長になり20年以上ずーっとやってきました。
臨港中学校は荒れが常態化していて、平成4年には生徒が逮捕される事件もありました。
私の娘たちも怖がっていましたが、入学させました。
PTAの役員もなかなかやり手がなくてPTAの会長も引き受けました。

小学校の改築があり、2年間給食がなくなるということで、給食を何とかしようということで委員が集まってくれて、校長先生が教育委員会に掛け合って、臨時の教職室を作ってくださることになりました。
これがPTAに入るきっかけになりました。
PTAの改革で実行委員会制を考えました。
運動会担当委員会などを立ち上げました。(みんなでやれることをやる。)
成人旅行は人気がなかったが、親子遠足ということにしたら多くの人が参加してくれて、だんだん知り合う機会が増えて、自然ふれあいクラブができて四季折々の楽しい自然に案内をしていった経緯があります。

子どもと遊べる時期があるので、その時期と一緒に遊びたいという思いがありました。
新潟出身なので良寛さんに憧れました。
当時は中学校も荒れていて地域教育会議を立ち上げ、新しい風を送りこもうとしました。
地域が主体となって子供たちを応援しよう、というのが趣旨です。
悪いことをしたら諫めるというスタイルではなく、どうしたら子どもたちのいいところを引き出してあげられるか、ということで最初は神輿担ぎを考えました。
盆踊りも中学生が「よさこいソーラン」で躍動する姿を地域の人たちに見せてくれました。
地域の花になりました。
翌年職業体験実習を行いました。
子どもたちはどうやって将来を考えるんだろうというのが気になっていました。
それが夏休みでの職業体験実習ということになりました。
床屋、ラーメン屋、町工場、福祉施設など働いている姿を見るのが勉強ですから。
全校生徒の3割の希望がありました。
よく働くと評判になりました。

盆踊りの夜店で働いている子がるが、この子たちは正規に申し込んだ生徒ではなかったのですが、この子たちを体験学習として認めてほしいとの電話がありました。
認めてあげたら、その後も子どもたちが私の新聞配達を手伝っているとのことでした。
学校で先生たちの手を焼かせている子たちでした。
夏休みの終わりにお母さんがバーベキューをごちそうしたら、そのあとその家で今までしたことのない宿題をやったんですね。
以前夏休みでの苦情がありましたが、ぴたりとなくなりました。
体験学習は今もずーっと続いています。
「中学生の夏休み体験7年間の地域活動ドキュメント」という冊子を作りました。
そのなかに「地域は私たちにとって一つの大きな家です」という一節がありました。
卒業式に参加しましたが、この言葉には全身が震えるような感動を受けました。
神輿担ぎ22回、職業体験21回、ソーラン節演技が18回、東北被災地のボランティアは2012年から連続8回やりました。
知り合いの腹話術師のしろたに・まもるさんを通して宮城県のおやじの会が受け入れてくれました。
いろいろ復興支援の手伝いをしました。
(しろたに・まもるさん http://asuhenokotoba.blogspot.com/2013/03/72.html 参照)
被災地を肌で感じることもできました。
心の問題もあり5年ほどはできませんでしたが、ここ3年は現地の中学生との交流も行うようになりました。
最初11人で始まって、おととしは28人、去年が34人で校長先生は必ずいくようになっています。
子どもたちの心の財産になってくれればいいと思っています。