小坂忠(シンガーソングライター・牧師) ・「音楽は生きる支え」
小坂さんは1948年東京生まれ、1966年ロックグループ「ザ・フローラル」でデビューしました。
その後細野晴臣さん、松本隆さん、柳田ヒロさんらと「エイプリル・フール」を結成、数々の曲を発表して若者の心をつかみました。
1976年からクリスチャンとして教会を中心にゴスペルソングを歌うようになりました。
そして20年余りの時を経て再び細野晴臣さんたちと音楽活動を再開しました。
以来円熟味の有る歌声でますます多くの人を魅了しています。
ユニット“茂 忠(しげちゅう)のコンサートを大阪で3月に行います。
大学に入ったときに学生運動が盛んで学校が封鎖されてやる事がないので、音楽仲間でバンドを作って活動をしていました。
その時に新人バンドのオーディションがあり受けに行きました、それでプロに成っちゃました。
1966年ロックグループ「ザ・フローラル」でデビューしました。
モンキーズの前座でした。
その後細野晴臣さん松本隆さん、柳田ヒロさんらと「エイプリル・フール」を結成しました。
60年代の後半は新しい文化がふつふつと湧いてくる面白い時代でした。
演劇、デザイン、映画、音楽、京築の世界など、それまでの世界と違うカウンターカルチャー的な新しい世界が生まれた時代でした。
そういった同じ土俵に居たかった。
ロックミュージカル「HAIR」に出演しました。
次のバンドの構想もありましたが、断念しましたが、彼らははっぴいえんどの前身バンド「ヴァレンタイン・ブルー」を結成しました。
その後ソロとしても音楽活動をするようになりました。
1975年、細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さんを中心に結成されたティン・パン・アレーの演奏によるオリジナルアルバム『HORO』リリースしました。
*『HORO』 作詞、作曲:細野晴臣
ソロ活動もしながら作詞作曲の活動もしていきました。
子ども向けの「おかあさんと一緒」の番組の曲も作りました。
しかし音楽活動を辞めて1976年からクリスチャンとして教会を中心にゴスペルソングを歌うようになりました。
1976年に娘が全身に熱湯を浴びてしまうという大やけどを負ってしまい、ショックをうけて、教会に行って祈ってもらいなさいと言われて、娘のことなら何でもやろうと思って教会に行きました。
不思議なことに娘は火傷が回復して、それから真剣に神様はいるんだと思いはじめ、教会に通い始めました。
1991年に牧師になりました。
刑務所とか少年院にいって歌うようになり始めました。
クリスチャンになって歌う意味合いが大分変りました。
僕が歌う事で誰かが励まされたり、希望が持てたりして僕が歌う意味があるわけです。
ホスピルソングを自分でも作るようになりましたが、新しいものなので非難を受けましたが、若い人たちはすごく喜んでくれました。
チャペルコンサートもしています。
日曜日には礼拝があり、いろいろ相談もあります。
一番大きいのは家庭の問題です。
20年ぐらいそういった活動があり、2000年からティン・パン・アレーのコンサートにゲスト出演。25年ぶりの共演となった。
2016年、デビューから50周年となりました。
娘も歌手になってアメリカで音楽活動をしています。
2017年にがんが見つかりました。
熊本の被災支援コンサートをやってお腹が痛くて我慢して帰ってきて、医師に診てもらったら深刻だというんです、緊急入院しました。
大腸がんのステージ4で、胃がんも見つかり、大腸のがんの摘出と、胃を2/3切除、胆嚢炎で3つを一緒に取りました。
入院生活は2か月半で50日絶食でした。
退院したその足でウナギを食べに行きました。
歌えるように毎日リハビリをしていたので1か月後には90分コンサートをやりました。
今は体調はすこぶるいいです。
2018年夏70歳になりコンサートを行いました。
*上を向いて歩こう 歌:小坂忠
どんなに歳をとっていても夢を持つことは大事だと思います。
支援コンサート 東北、気仙沼でやる計画でしたが、コロナウイスのことで中止になってしまって残念です。
200回ぐらい支援コンサートを積み重ねてやってきました。
*明日になれば 歌:小坂忠