石川梵(ドキュメンタリー映画監督・写真家)・「自然の恐れや祈りを撮って」
石川さんは大分県出身の60歳、将棋連盟奨励会で将棋の棋士を目指していましたが、やがてカメラマンに転向、AFP通信の報道担当を経て独立、世界の秘境や現地の人々の自然への祈りをテーマに多くの写真集を出版してきました。
なかでも写真集「海人」はいまもインドネシアで行われているモリ一本をかかえてマッコウクジラに挑む捕鯨の様子を20年間かけて撮影してきた作品で講談社出版文化賞、日本写真協会新人賞を受賞しました。
2011年の東日本大震災ではボランティア活動をしながら撮影、写真集「東日本大震災の記憶」は日本写真協会作家賞を受賞しました。
4年後の2015年ネパール大地震では大震災の際に援助を受けたお返しをしようと、ヒマラヤ山脈の村の支援をしながら初めてのドキュメンタリー映画「世界で一番美しい村」を製作しました。
映画は2017年春から全国で公開され今でも各地で上映会が行われています。
石川さんの映画第二弾は「「くじらびと」(世界でいちばん美しい海の村)」、以前から取材してきたインドネシアのレンバタ島、ラマレラ村という小さな村のクジラ漁の様子や、人々の暮らしをおよそ3年間取材した作品です。
ロケは去年終わって今年の夏の公開を目指しています。
石川さんの写真家、映画監督としての歩みや地球の大自然や人々の祈りに対する思いなどに付いて語っていただきます。
大分で高校の頃将棋大会で活躍して、たまたま宮崎に関根8段が来ていて、弟子入りして東京に出てきました。
一日十何時間も将棋をする生活が何年も続いて、本当にこれでいいのかと考えているときに映画に出会って衝撃を受けて、本当にやりたいのは将棋ではないのではないかと考えました。
実体験すべきだと思って、まずは写真家になって見たいものを世界中を回って体験した後にその後映画を作ってゆくようなことはできないかと考えました。
周りからの餞別でカメラを買いました。
写真学校に進んで、空撮の会社に入って空撮でノウハウを学びました。(20歳ごろ )
お金をためてたまたま日本に来ていたアフガニスタンの反政府軍の地区司令官と知り合って、アフガニスタンに行きました。(23歳)
自分自身を試したいと言う気持ちがありました。
インドではいい被写体があってもうまく撮れないという事がありました。
海外には60か国以上になります。
インドでは衝撃を受けました。
沐浴をしているところに死体が流れてきていました。
人間と信仰についていろいろ考えました。
アフガニスタンに行ったとき、戦車用、人用の地雷源があり、若者が私の前に立って私を守ってくれて、現状を伝えてほしいという気持ちがあったんだと思います。
私を守って地雷よけになってくれた人間を見たときに、これは何でこんなことができるのかなと考えたときに、信仰の力ではないかと思いました。
イスラム教徒は戦場に行っても1日5回の礼拝を欠かさず、ラマダーンの時には戦争状態であれば断食しなくてもいいんですが、彼らは断食する訳です。
イスラム教のことが判らなければ彼らのことは永遠に判らないと思いました。
イスラム教を理解するためには自分の宗教をちゃんと知っていないと物差しがないわけですので、もう一回勉強しないといけないと思って伊勢神宮を通して日本の古来の仏教以前の神道を勉強しながら、伊勢神宮の写真を撮る時期がありました。
2年間住んで伊勢神宮の連載などもやったりして、毎日撮りに行きました。
鳥居は神界と俗界を分ける意味というのがあって、鳥居を越えるたびに神界に近づいてゆく、清められてゆくという考え方がありますが、鳥居越しに星空が見える神界を見たときに、俗界から神界を見たような気がして、インスピレーションが湧きました。
伊勢神宮は規制が厳しくて建物を撮ることができなくて、どうして伊勢神宮を撮ったらいいのか考えあぐねていましたが、或るとき大きな木が呼吸をしているように感じました。伊勢神宮に漂う神聖な気を撮ればいいと思いました。
伊勢神宮を学んで新たに海外に周っていきました。。
それが「祈り」に対するの撮影の原点かもしれません。
1991年にインドネシアに行って、鯨獲りの写真を撮りました。
私の大きなテーマは「人間と祈り」というもので、もともとは「大自然とともに生きる人間」というのが大きなテーマでした。
インドネシアを旅しながらモリ一本で鯨を突く人たちがいるという話を聞きました。
半信半疑で行きましたが本当であったのには吃驚しました。
鯨獲り船(11~12mの木造船で鯨は15mぐらいもある)には魂があるというんです、生きていると、鯨獲り船はすべて手作りで生きているから釘を使わず、帆はやしの葉で編んだ帆です。
当時は手漕ぎでした。
伊勢神宮でも釘は使わず、共通性があるのが面白いです。
「海人」という写真集。
鯨をしとめるまでに何時間もかかりますが、最後に鯨が断末魔の叫びを上げました。
吃驚して海の中の物語を撮るべきではないかと思いました。(4年目の時)
どうしたら鯨の気持ちを撮れるのかということを考えて、哺乳類と魚の一番の違いは死んだときに、魚は目を開いたままですが、哺乳類は鯨は目をつぶるんです。
鯨の気持ちを撮るのには目を撮れば、撮れるのではないかと考えました。
眼を撮るのに成功するのには3年後で、合計7年かけて写真集が完成しました。
「海人」の作品で講談社出版文化賞、日本写真協会新人賞を受賞しました。
海外からも高い評価を得ました。
東日本大震災の時にはボランティアと取材を兼ねていきました。
われわれの生き方を問われたように思いました。
空撮ではヒマラヤを上空から撮ったことがありました。
ヒマラヤの山々を見ると下から見る景色と違って連なる巨大な皴に見えました。
空から見ると地球のダイナミズムが見えることが判りました。
地球の活動の怖さを感じながらいたもので、東日本大震災の時には最初は空撮だと思って、翌日千葉から気仙沼まで撮りました。
何かできることがあるのではないかと考えて、東日本大震災ではたくさんの犬とか猫とかペットがなくなっていて、彼らはそういったペットを置き去りにして助かって避難所に来ているので、僕は犬を連れて行って犬を介して会話が交流が広がっていきました。
2015年 ネパールで大きな地震があり取材と支援のためにネパールに地震後3日目に行きました。
震源地のラプラックという村が全滅したという記事がありそれを頼りに行きました。
日本で報告会、新聞雑誌に状況を発表しましたが、写真家としての取材はそこまでしかできませんでした。
何かできないかと思って、映画を作って公開してゆけば支援金も集まって村の復興に役立つのではないかと考えました。
モンスーンが近づいていて、3か月続くと聞いたので、仮のテントも水浸しになってしまうので、高床式にすればいいと思って板を運んで600世帯に配って対応しましたが、落ち着いてきてからいろいろな問題が起きてきます。
地盤が緩んできて元の場所には住めなくなる。
学校にいけない子がたくさんいてその子らを支援していきました。
なかには短大を出て狭い門のシンガポール警察に入る子も出てきました。
一人の女の子を日本に呼んで今日本語学校で学びながら、大学進学に備えているところです。
いろいろ具体的に進んでいます。
映画「世界で一番美しい村」 劇場公開で1年間のロングランになり、自主上映、2月からは3日置きぐらいに全国で上映されています。
第二弾はインドネシアの鯨漁。(生存捕鯨)
貧しくて鯨を獲ることによって生活できるような村で鯨一頭で2か月生活できるといわれています。
肉のほかにマッコウクジラの脳油を灯火に使ったり、食べ物に混ぜたりしていました。
映画でやってみようと思って、始めたが全く来なかった。
3年間鯨が来なくてビザも切れてしまうので帰ろうとしたが、もう一週間頑張ってみようとして帰ると決めた前の日に鯨が現れました。
立つことも難しい揺れる船の上から立って重圧のなかで鯨にモリで撃つわけです。
モリの技術もいろいろあるが、何が一番大切かと言うと名人は精神力だと言うんです。
江戸時代の鯨漁に似ているが日本ではモリを投げるが、ここでは体長が15mぐらいの鯨にモリ一本で跳びかかってゆくんですから。
鯨漁というよりは決闘という様な感じです。
この村にはキリスト教が入ってきているところで、現地の宗教とが合体していて、漁に出る時には必ずお祈りをして出掛けます。
鯨を獲った後も感謝のお祈りを捧げます。
この映画は見ていろいろ感じ取ってほしいと思います。
「世界で一番美しい村」の続編を撮ってほしいという意見もあり、ほかにもいろいろ自然のものを中心に撮っていきたいものがあります。