吉岡幸雄(染織史家) ・祈りの色を染める
70歳、京都で江戸時代から続く染色工房の5代目当主です。
長年自然素材の染料で糸や布を染める技を究めることに力を注いできました。
正倉院宝物など古い布の復元や東大寺、薬師寺などの法要で飾られる造花の和紙なども染めています。
吉岡さんが常に感じているのは古の人々の色を染めるということへの熱い情熱と、手間の掛け方です。
古代の人々の心と技に迫る染めの道について伺います。
今、ネズミ色を染めているが、矢車(やしゃ)という染料で染めています。
次に定着させる液ですが、無色透明ですが鉄分がたくさん入っている。
手で布を動かしながら交互に15分間づつ浸けることによってグレーになる。
水は100mの地下水を使います。
我々が勝てない色ができていて古典に対する尊厳が僕の中にあります。
作業はとても手間暇がかかり、そうでないと出来ないです。
芯まで色が入っていないと人間の目というのは鋭いので、満足しません、浸透したものが美しい。
濃いものを使うといろいろむらができてしまう。
料理でも急いで作ると中に味が沁み込まないが同様です。
高貴な紫、紫草の草の根を使います、隠れた処から色素を引っ張り出してくる。
桃色、ベニバナから作ります、花そのものはオレンジですが赤と黄色の色素を花弁に持っていますのでオレンジに見えます。
水で洗うと黄色が抜けて赤だけ残して、赤はわら灰のあくでもんでやると赤が出てくるので、赤だけを取って染めていきます。(わら灰も作っています。)
私たちは江戸以前のやり方を踏襲する事をモットーにしています。
自然と共存共栄している様な物がいい技術だったり、いい理論だったりだと思います。
染料の元となるのは全て自然の生みだしたものです。
天然の染料だと、派手、きらびやかは問題ではなく、色の見えている裏にまだ色が見えているというか、眼球の中の裏にまで入ってくるように見えるんです。
美しく染めないといけない、材料を無駄にしてはいけない、持っているものを十分に引き出す、材料を上手に使ってあげる。
染色は現在よりも奈良時代、平安時代の方がピークだと思っています。
染色の為のレシピ帳みたいなものがあり、それが記載されている。
羅列してあるだけで、細かいことは書いてなくて、何故この紫を求めるとかは書いてはいない。
色にたいする思いを知りたくて、源氏物語を読んで、研究しました。
1/3~2/3は海外から材料を輸入していて、日本の色と言えるかは別にして、その色を使って季節感をあわすために使っているが、飛鳥時代から始まっています。
微妙に移り替ってゆく色に、季節に対しての思い入れは日本人は強いです。
日本人は色を組み合わせるには、その時に咲いている自分の好きな花をお手本にするとか、その基本になっているのが季節です。
5月は紫の季節だと思います、(藤、カキツバタ、アヤメ、桐等)
繊細さ、そういうものは日本人の得意のものではないでしょうか、それは自然がこしらえたと思います、自然をよく理解、感謝している人は色にたいする感性はおのずから付いてくるんじゃないかなあと思います。
昭和21年京都で江戸時代から続く長男として生まれる。
若いころ家の仕事を継ぐのは嫌だった。(文学に傾倒していた)
現代文学を学ぶため東京の大学に進み、出版会社に就職、2年余り務めた後、1973年美術工芸を専門とする出版社を設立して独立、日本の美術や工芸に深くかかわる様になる。
その5年後、世界の染色と織物を探究する30卷に渡る全集の仕事が舞い込む。
正確に伝えなくてはいけないので、海外の美術、博物館などを必死になって見て、美しいなあと思うものは1700年以前のものだった。
化学染料が発明されていない時代でした。
色にたいしての興味が強く出てきた。
父 常雄さんのライフワーク 帝王紫(古代の紫)の復元に精力を傾けていました。
特定の貝の中にある極僅かな量の色素を集めて作られてました。
この貝を調査するため吉岡さんは南米ペルーに向かう父に同行しました。(1983年、36歳の時)
海岸で貝を採取して、1週間以上いました。
幸運に色んな貝が取れて良かったです。
家業を継ぐ大きな転機になりました。
1988年 家業を継ぎ、5代目当主となりました。(41歳)
着物、帯とかの産業は駄目になってゆく時代だった。
物を売るシステムも変えてしまったので苦労しました。
材料の購入に関する事でも苦労しました。
父の代から東大寺、薬師寺、法隆寺などのお寺神社の仕事があった。
薬師寺では、国の繁栄と人々の幸せを願う春先の法要が1300年余り続いている。
花会式と呼ばれる今の形になったのは900年余り前、花会式では本尊の薬師如来が桜、カキツバタなど10種類の和紙に染められた造花で飾られますが、その内4種類を納めています。
堀川天皇が皇后の病気平癒を祈願したところ病気が治り、皇后は翌年の法要で薬師如来に10種類の造花を捧げました。
衣装も古代のやり方でやってみたいと思いました。
現代はできないので挑戦してみようと思いました。
布の手帳(サンプル)があったので、これを見ていて簡単にできると思うが出来ないんです。
400年前のものですが、色が褪せていなくて、本当に綺麗です。
色も出せないがこのような糸もないし絞りも出来ないです。
桃山時代にはもっと凄い物もあるし平安時代にもあるし、飛鳥までさかのぼります。
これを見て感心ばっかりしています。
自然のたまものがもたらす奥深い美しさを知ってほしいと思い、各地で展覧会を開いています。
講演もやっています。
継続している事によって仕事の継続が出来、技術も忘れない。
植物からもらう色の奥底には又色があると思います。