2016年6月6日月曜日

保阪正康(ノンフィクション作家)  ・もはや戦後ではない

保阪正康(ノンフィクション作家)  ・もはや戦後ではない(第30回)

経済白書は昭和22年7月に第1回目がでた。
平和時の国家予算、日本の経済はどういう方向に進むのか等、総合的な日本の経済状況を総括的に記録するのが白書という形で出てくる。
第1回は財政基盤ができてなくて、国家予算の体を成さない状況だったので、それを正直に示していた。
昭和31年の経済白書 副題「日本経済の成長と近代化」
10年経って、戦後復興も終わって新しい時代の経済に入ってゆくという事を国民に訴えている。
「もはや戦後ではない」という文が終章に書かれている。
国際収支が5億3500万ドルの黒字になっている。
GNP10%の伸びを含めて日本経済が昭和6年の状態に戻った状況になった事を示す。
軍事化した政治にたいする反省、問題点を指摘している。
経済企画庁の調査課長の後藤譽之助さんを軸とするスタッフ。
昭和10年代は軍事を中心に痛めつけられた、経済の大蔵官僚だった。

大蔵省を中心とする有能な経済官僚は軍事に痛めつけられていて、自分達の政策を何ひとつ打ちだすことができなくて、平時になってやっと打ち出すことができて段々実ってきて、もはや戦後ではないと、そこに経済官僚たちの誇りを感じます。
福田赳夫さんが大蔵省の主計官僚だった時に、軍人に予算をどう使うか、という事を聞く事自体が、統帥権侵害だとか、サーベルで脅かされたりした、ということを書いたりしています。
消費者の購買力が上がってメーカーの商品が多様化してゆく。
生活の近代化の方向に進まないといけないと言っている。
電化製品、TV、洗濯機、冷蔵庫、(3種の神器)、扇風機などが出回るようになってくる。
特に弱電部門等は著しい技術革新をしてゆく。
大形の土木機械の開発、繊維部門でも新しい素材が開発される。
経済の仕組みがぐんぐん良くなってゆく。(神武景気昭和30~32年)
皇太子御成婚の時、(昭和34年4月10日) 白黒TVが普及する。
経済白書は日本人の勤勉性も評価している。
世界情勢が平和的共存の方向にいって、それがあいまって日本経済もよくなる。

「もはや戦後ではない」 昭和31年2月号文芸春秋、中野好夫さんの論文がでる。
当時、半藤さんが中野好夫さんに依頼したと言っている。
55年体制、自由民主党、日本社会党が支えてゆく事になる。
昭和30年11月 自由党、日本民主党、改進党などが合同する、自由民主党結党。
対立が鮮明になる、基地問題、教科書、などいろいろな問題が対立点として出てくる。
鳩山一郎内閣、日ソ国交回復、ソ連との関係を良好にしてゆく外交方針の一番の柱となる。 
昭和31年10月に日ソ国交回復の共同宣言についての演説。(鳩山首相)
平和条約締結後に歯舞、色丹両島を返還するという事を述べている。
平和条約の締結、60年経った今も結ばれていないが異様な感じがする。
ソ連が拒否権を使わないという事で、国際連合に加盟する事が出来、日本が新しい国家像をもっているという事が理解されていった年だと思います。

昭和31年3月に芥川賞受賞した「太陽の季節」(石原慎太郎23歳)
吃驚する様な新しいモラル、選考に賛否両論があり対立が際立っていた。
「私の秘密」(高橋圭三アナウンサー)、「チロリン村とクルミの木」、「お笑い三人組」等の番組が放送される。
歌謡曲「ケセラセラ」「有楽町で逢いましょう」「ダイアナ」