2016年6月21日火曜日

吉増剛造(詩人)        ・詩の可能性への挑戦(1)

吉増剛造(詩人)        ・詩の可能性への挑戦(1)
昭和14年東京生まれ 慶応義塾大学を卒業後、昭和39年処女詩集を発表、代表作には『黄金詩篇』『オシリス、石ノ神』などがあります。
吉増さんは詩の朗読の先駆者としても知られ、海外でも朗読ライブを開催しています。
写真、映像など言葉以外の表現の可能性も追求し続けています。
去年、日本芸術院賞恩賜賞を受賞されました。

時間と闘う、時間をどうとらえるかという事が常に心を捉えて離さない。
国立近代美術館で吉増剛造展が開催されていて、「声ノマ」 タイトル。
「声の間」、「声の魔」「声の真」かもしれないが、漢字からカタカナになる、小さい道筋も「ま」の中にある。
一万円の万、「万歳」、 考えてゆくほどこの「万歳」の万を「マ」にしました。
吉本隆明さんを追慕する作業を開始しました。
吉本隆明さんが私の詩を分析され、「この奇妙に散乱する様な詩を書く男の意識には生活全領域に対する配慮が常に働いている」とおっしゃった。
とっても感心しました。
全身詩人と言う時に 全領域にたいする幻想が働いている、そうしたタイプの物書きだと、捉えたと思いました。(私の解釈)
これまでの詩作はあらゆるものを全身で受け止めながら、文字にするものは文字にし、映像でとらえられるものは映像にし、格闘をして来た。
誰でもが子供のころから持っているものをどんどん引き出して、出来ることならば表現にならないかとやった時に、写真を撮って、映画をつくって、声に出して五感全部働かせる、というこういうことがでてきました。

子供の頃、傷付きやすい性格のタイプだった。
5歳の時に聞いた、1944年 ガー、ガーと言う音がして、「空襲警報発令中なり」を聞きました。
(空襲警報の再現録音放送が入る)
5歳の子供ながらなんとも不思議な言い方をすることに、変だなあと記憶に残っている。
言っている人の恐怖感、発信の状態の中で感じられる空気を、5歳の男の耳は聞き取っている。
無意識のうちに詩を書き出して、何故か知らないけれど、40年後に耳が気象通報を聞きたがった。
その遠景は5歳の耳が覚えたことを言いましたが、その声にこもっているすこしこわい様な間合いです。
このこわい様な間合いが5歳の男の子の耳に詩の始まりの響きとして定着したんですね。
テープにとって自分の声、人の声を聞きます、与謝野晶子の声に耳を澄ましたり、相撲の呼び出しさんの声を聞いたり、私たちの周りの声等の中に非常に深いものが眠っていますね。

展覧会には収集したカセットテープがずらりと並べられています。
自分自身の声を録音する事は、たった一人になりたいという欲望があり、自分の心に聞いてみて一人ごとを自分で聞くと言う事に録音装置は宝の小箱みたいに有難い。
500卷のカセットテープの数になっている。
声ノート 1984年9月2日のもの
「雨が止んでこれが凄い
景色です。・・・ 白い雲の空が移動しています。・・・青緑色の海が上から迫ってくるように・・・雲の色がこれは凄いですね。・・・眼下は麦の黄色く緑の麦の畑が絨毯の様になっていて、むこうの山には引きずる様にして白い雲が渡っていて、・・・」
風景が浮かんできます。
盛岡インターの辺りは宮澤賢治が歩いた風土なんです。(花巻から雫石あたり)
宮澤賢治が感じたことを、東北道を走りながら、詩を書くための思考の実験をしています。

肉声を録音すること、声は内臓から喉の手が伸びてきて、それにものを言わせている、声はお腹の中から呼吸がでてきて、その呼吸の手が動いている。
ひとつの器官だけを重視するのではなくて、頭で考えると一つに限定してしまうが、あらゆるものを捉えて表現しようとするときに、文字だってもしかすると銜えてまうかもしれない。
或るときアメリカに行く事になり、日本語を聞いた事の無い人が日本語が聞きたいので日本語を出してほしいと言われて、自分が作った詩を読むと言う事を外国で始めました。
日本語が判らないので、声の調子、表情、仕草など生きている全体を捕まえる。
それがある種の衝撃でした。
心の中には色んなものがあり、烈しさ、優しさ、文字を読んだ時にそういうものがわき上がってくるとリング?(聞き取れず)が違ってくる。
読んでいる時に作曲状態をつくっている様なものです。
逆さ言葉、ジャズの世界でもあり、アフリカの長い歴史の中に流れていて、はるか極東まで伝わってきている。

根源的な人間の営みとつながっている。
ジャズだけではなく、文楽の烈しい太夫の発声、身体の動きにも、ジャズの持っている根源的なものに近い様なものがあります。
「産湯」の詩を朗読
「死水から産湯へ 産湯から死水へ 濡れている たっぷりと 濡れている どこからかひび割れてくる河底に萌えたち始める眼 その気配も 
死水から産湯へ 産湯から死水へ 泳いでいる死体 黒岸の村 あちらの側の餓鬼が揶揄する かるーくゆがんでいる宇宙 乾季と雨季は 医者がしらべる 「おれはなんにもすることはないや!」
死水から産湯へ 産湯から死水へ 濡れている なにもかも 母よ 睫毛よ 岸辺の筏よ 気がつくといつも銀河のような中洲にとり残されて夜の帳のおりてゆく 「わたしはあのうみがなつかしい。」 
独特な間合いでの朗読
人間の一生がこの一遍に込められている。
水は重いし静かだし、私たちの水の惑星ですが、時には非常な怪物の様に立ち上がる事があって、水に触れている恐ろしさと生まれてきたことの不思議さがところどころに見えます。