2016年6月2日木曜日

船本芳雲(書家)        ・故郷への思いを書にしたためる

船本芳雲(書家)        ・故郷への思いを書にしたためる
横浜市に住む73歳。おととし2014年の毎日芸術賞を書道の部で受賞しました。
受賞の対象は横浜の美術館で行われた、「沁み入る故郷」船本芳雲書展です。
作品は10mの大作を含む45点で全て自分で作った詩です。
芸術性に富み、評価の高い書道展となりました。
船本さんは樺太生まれ、5歳の時終戦間近に、銃声の響く中、一家5人で子船で樺太を脱出しました。
幸運にも北海道宗弥谷の網元に救出されました。
船本さんにはその記憶はありませんが、父が囲炉裏の前で子供たちに話したことが記憶に刻まれてゆきます。
やがて、奥能登に落ち着き石川県の珠洲市に居を構えました。
石川県の高校を卒業して、旧国鉄に就職、23歳で書道部に入り、書家の青木香流に師事して本格的に書を学びました。
自分で文章を作り、筆で表現する漢字かな混じり書の魅力に取りつかれ40歳で国鉄を辞め書道の道一本に絞りました。
船本さんの詩の原点は樺太からの脱出と、故郷能登の自然にあります。
子供のころから書を学び大学で書道を専攻している書家が多い中で、船本さんは社会に出てから書を始めた変わり種の書家と言われています。

一日中書いている時もあります、作品の制作が迫ってくると、相当の時間数を掛けます。
思った通りの線が紙の上に乗っかってこない、難しい時もあります。
横浜の美術館で行われた、「沁み入る故郷」船本芳雲書展で第56回毎日芸術賞の書道の部で受賞。
自分の文章で書作をしたい、これが私の大きなテーマでもありますので、どう表現するのか、相当時間もかけてきました。
最大の大きさが約10mの作品、9m、8m、7m 10数点の大きな作品を並べさせてもらいました。
タイトルが「父のさっそう? 囲炉裏の向こう側」240×540
「炉端がたり」 180×1440 「父母の温もり」990の長さ
詩の中味がすべて自作。
父と母の子供を守ってゆく壮絶な船旅の模様が、小さいころ囲炉裏で父の語りを聞いていて、文章で残すという事がそれが書に結びついてゆく。
漢詩文だけの世界だけではないという事がこの作品を生み落としてゆく事になってゆくんだろうと思っています。

昭和17年生まれ 樺太に生まれる。
父は味噌、醤油、酒の小売業 丸源?という小さな店をやっていました。
終戦直前昭和20年3月頃に能登に向かう。(珠洲市の戸籍からおおよそ判断)
樺太での記憶はほとんどありません。
父母と兄、私、弟の5人で脱出、祖父祖母は現地に残ります。
銃声の聞こえる中、出来るだけの荷物を持ってゆくので、おんぶも抱っこも出来ないので、氷の坂道など転んだら起きてこい、待ってやるからと何回も子供にいい聞かせたそうです。(弟は2~3歳)
宗谷村の網元が船を出してくれて岸に着けたと炉端語りで語っているので、漂着の様な形だったと思います。
追っ手があったり、凍傷で下の子が危ないとか、荷物を放り投げて船の安全を計ったとか、厳しい選択があったようです。
祖父母の実家が能登の珠洲市にありましたのでそちらに向かいました。
高校卒業後、国鉄の職員になり、書道部があり、入りました。

級があり、上がってゆくのが楽しみでした。
展覧会に挑戦してゆく形になります、又師匠(青木香流)がおもしろかった。
絵、陶芸、文章など、そういうものが身近にありましたので、書は書くだけではないという面白さにひきつけられたと思います。
絵、陶芸をやったり、簡単な俳句、文章など、文学的なものを先生は書いていました。
国鉄を40歳の時に辞めました。
その3年前、毎日書道展で最高賞を受賞して、そのことを含めて決断ができたと思います。
先生が給料と同じ額を出そうという事で活断を促してくれました。
殆どの方が大学で書道の勉強をしている人が多かった。
基礎的なことが養われていないところがあるので、前向きにいろいろ考えていくわけですが、大学で書道を専攻した人から見ると、船本芳雲は変わり種という事になるのかなあと思いますが。
壁一面書道の本があります。
73歳になってみても新しい情報、アンテナを高くしておかないといけないと思っています。

漢字かな混じり文 その世界に入る前に、唐以前のものを勉強すべきという先生の教えがあって、発表するものはどういう形にするかということは、漢字かな混じり書という事になります。
書道の人達は一般の人たちと大分離れている様な気がします。
読めない様な漢字を書いている、展覧会に行っても読めないので詰まらないというような構図が描かれている様な気がする。
手紙を書くのも漢字かな混じり書のひとつ。
漢字かな混じり書という分野が無かったら、書は続けて居ないと思います。
発表したい文章を自分でみつけてくるか、俳句とか短歌とか詩など、一旦自分の体に取り入れて書作するか、私の場合はそれを丸ごと自分の文章で書作するという大きな違いがある。
文学的な味わいの深いもの、という様な指導者の一文があったりして、抵抗感があった。
自分の訴えたいことを見失ってしまう様な気がして、作品に制限が出来てしまうものと思って、表現するのに、自分の思う言葉があると思う。
門下に必ずテーマを与えて(「星」「空」「海」とか)、ものの見方を強くして行って、良い文章が生まれると思う。

踏み込んだものの見方ができてくる。
作品が多様化してゆくというのは、文章によって書表現が広がってゆく。
何をどう表現するのか、最も大切なところが漢字かな混じり書には有る。
見付拓=詩人としての名前
集団とは離れたかもめを見て自分ではないかと思って作った詩
「かもめは私です」
「かもめ一人 訛を置き忘れ 雑踏の中 方向のとれぬ かもめ一人 足踏みをする私がいました かもめは私です」 9mの作品
雑踏の中に自分が身を置いた時に、私が過ごした能登の訛をしゃべる人がいて、この歌を作りました。
「そこが故郷です」
「訛を追えば そこが故郷  人ごみの中に 故郷がいた」
書道で一番大事なこと、最終的には線だと思います。
線を作るのにどうするのかという勉強の過程が、古典、きちっと仕上がっている楷書、早書が訓練の対象になる。
腕に貯金をするという、時間をかけていかなければならないもの、それが古典の勉強。
鍛えあげられたものが線、線の深さが書家の生命になってゆくだろうと思います。