犬塚 弘(クレイジーキャッツ・俳優) ・第二の人生は舞台から(2)
やってみると長いセリフだが、セリフを理解してくると面白い事を感じる。
新劇の芝居は厳しいです。
NHKのドラマには数知れず出ました。
本格的に芝居をやって難しいと感じたのは57歳でした。
徹底的に一言一言しぼりあげられ、これが本当の演劇だと判りました。
「だけどなあ」というセリフでも2時間ぐらい考えました。
演出家木村光一さんに 「越前竹人形」で皆の前で徹底的に怒鳴られました。
井上ひさしさんが僕を育ててくれたようなもんで6年間ずーっと使ってくれました。
栗山さん演出家 笹塚の劇場で最後の6年間お付き合い 76歳でそれが最後でした。
役者の存在感というものを味わいました。
いい演出家につくといい勉強になる思い、すごい人だと思ったし、やさしいし、それが山田洋次さんでした。
1シーンでも練って練ってやりました。
「寅さん」シリーズにも沢山出ました。
渥美さんとは長い間付き合いました。
旅館の主人役をやった時に、寅さんとのやり時の時に、赤ん坊をしょった方がいいと、山田さんからいわれて、たまたまその旅館の家で生まれた子がいてその子をしょって演技したことがありましたが雰囲気が良く出ていました。
小さい時は細かいものをつくったりしましたが、ゴルフをやる様になると、とことんやるタイプなので、ハンディーシングルまで行きました。
当時トッププロになる前、青木、尾崎、安田などと一緒になった時代がありました。
鉄棒が好きで、中学の頃、体操の選手になりたいと思ったこともありました。
4歳の時に母親から締め出されて、どこへ行くか考えて電車に乗って乗り換え乗換えして、高円寺まで行って、おじいちゃん家に行ったこともあります、好奇心が強かったですね。
近所のお兄ちゃんにいろんなところにつれていかれたが、それが池部良さんでした。
そのうち映画に出ていて、後で池部良さんだと判りました。
明治座で端役をやっていたときに、暇だから楽屋でお雛様を描いていたが、欲しいと言われて池内淳子さんが持って行ってしまった。
それから20年経ってから、友人から絵がフランスにあったぞと言われた。
フランスのパリの喫茶店に飾ってあったそうです。
絵は趣味という事ではありません、それ以来描いていません。
18年ぶりに中国地方に旅行しようという事で行ったが、昔芝居で廻ったことがあるので、懐かしい人たちにいろいろ出会う事が出来ました。
3分ぐらいずーっと見つめられてようやく判ってくれて、いやーっ懐かしいと言われたこともあります。
一番大切なのは女房です今でも愛していますから、去年の12月13日に亡くなりましたが。
結婚してからずーっと病身ですから、小学校の下級生として知っていましたし、自分の気に入った顔だったし、ずーっと付き合っていたし、結婚して病身だった。
昔洋画映画が好きで「我が生涯最良の年」という映画を見て、そこに出てくる奥さんでマーナ・ロイという女優に惚れてしまって、それが家の奴とそっくりなんです。
病身なので子供はいなくて、でもずーっときました。
クレージーチャッツで楽しかったが、演劇の世界に入って難しさ面白さを知って、へたばるまで演劇をやりたいと思いましたね。
76歳の時に最後だよと言われたが、映画で呼ばれて、動けないけれどもやる気になりました。