内藤大助(元プロボクサー・タレント) ・出会いが人生を変える
昭和49年 北海道生まれ 20歳の時にボクシングを始め、22歳でプロデビュー、2007年にWBC世界フライ級チャンピオンに輝きました。
2011年に現役を引退し、タレント、ボクシング解説者として活躍しています。
引退から5年になる。
北海道豊浦町生まれ 41歳 22歳でプロデビュー、2007年にWBC世界フライ級チャンピオン。
豊浦町の道の駅には沢山のトロフィーが展示されている。
3度目の世界挑戦でチャンピオンになったが、初めて世界挑戦した時にはタイで行った。
1ラウンド34秒で負けてしまって、ファンが離れていってしまったが、自分の街の人達は応援してくれて感謝しています。
母、兄との3人暮らしで、近くにお婆ちゃんが住んでいます。
生まれてすぐに離婚し、3人で暮らしています。
お婆ちゃんは可愛がってくれますが、母は生まれてこの方一度も誉められたことが無い。
全日本新人王を取った時でも褒めてくれなかった。
「自分の子供を褒める親がどこにいる」と言われてしまった。
いつか褒められてやろうと頑張ってきた。
中学2年の時からいじめが始まったが、これはしょうがない、運命だと思う様になって気持ちは安らいだ。(ネガティブな考え方)
グループのいじめと身体が大きい不良の、二つのいじめがありました。
一方は使いっぱしり、昼食のおかずが取られる、暴力などがありました。
他方は精神的ないじめでした。(辛かった)
お腹が痛く、毎日5~6回下痢をしていました。
病院で診察を受けて、胃カメラ検査で胃潰瘍だと言われました。
回りは気付いていたが、関わりたくないという様な感じで、途中から笑われたり、友達が寝返ったりして、心の傷がきつかった。
余り勉強ができなくて、中学の先生から怒られて、「お前又こんな点数をとりゃがって、体育は出来る、運動神経はいい、でも運動神経が良くて、食っていけるのか、世の中やっていけるのか、勉強できなかったら何の意味も無い」と言われた。(この先生に会いたいです)
得意なことに対して、否定する様なことは言ってほしくないと思う。
高校進学の時にグループがばらばらになり、高校は一緒にならなくなり、いじめは無くなった。
私は運動神経が良いため、高校では溶け込んでいくようになりました。
ボクシングを始めて色んな人との出会いがあり、「内藤君はいつもマイナス思考だよ」と言われた。
他の分野にも後押ししてくれるような言い方をしてほしかった。
ほめて伸ばすことをやってほしい、プラス思考、楽しくやることが大事だと思います。
高校3年の時にホテルでアルバイトをしていた時に、ここで働けばといわれて、内定して、入社する予定だったが、ミスをしてしまい内定取り消しになってしまった。
数日後、母親から「内地に行け」と厳しく言われてしまった。
或る日、格闘技の本を見たら、近所にボクシングジムがあることに気付いた。
これだと思って入りました。
強くなってゆくのを感じて、誉められて自信が持ててきて、いじめを抜けたくて始めたボクシングが純粋に面白いと思う様になった。
はっきり物が言える様になり、心のゆとりができる様になり、プロボクサーになってデビューしたいと思う様になった。
一生懸命にやっていると応援してくれる人が増えてくれて、強くなっていったと思います。
何もしていない人に対して人は寄ってこないです。
一生懸命やっているうちに自分の事ではなくて、応援してくれる人の為に頑張ろうと思う様になりました。
トレーニングの辛さといじめに会う辛さを考えたら、いじめに比べればましだと思って頑張りました。
悪いことをしてやれとか、ひねくれた考えがあった時期もあったが、ボクシングに出会って、人生の恩人だと思って感謝しています。
虐められている時に、身体が大きくて暴力的な奴が強く、自分は弱いんだと思っていたが、ボクシングをやって、本当の強さはハートの強い人が強いと思う様になりました。
練習は人以上にやって、自信も付きました。
何にもしない人に強さはできないと思う、何でもいいから一生懸命やったら強いと思う。
辛いことは人に言う事、回りも声掛けをしてほしい、コミュニケーションは大事です。
誉めて伸ばす事をして欲しい、やる気が出るので。
人のお陰で今の自分があるので、引退してからは人の役に立つ事、人が喜ぶ様なことをして行きたい。
いじめに対する講演をしているが、いじめをなくすような活動もして行きたいし、自分が役に立つ事が有ればどんどんやって行きたい。