2014年8月2日土曜日

竹宮恵子(漫画家)       ・マンガと歩み、マンガの未来をつくる

竹宮恵子(漫画家、京都精華大学学長)  マンガと歩み、マンガの未来をつくる
64歳 徳島市生まれ 17歳で少女漫画雑誌の新人賞に佳作入選し、デビュー、SF、ファンタジー歴史大作、コメディーと多彩なジャンルで活躍、未来の地球の環境破壊とコンピューターによる、管理社会を描いた地球へ…(テライ) 小年の同性愛を描いた風と木の詩を昭和50年代に発表するなど常に時代を先取りした作品を発表してきました。
平成12年には日本で最初の漫画学科が、京都精華大学に開設され、専任教授として招かれました。
漫画学科から、漫画学部になって、学部長になり、今春プロの漫画家として、全国で初めて学長に就任しました。
ご自身の漫画の製作をほとんど休んでまで教育に打ち込んでいる竹宮さんに、半生を振り返っていただくとともに、世界から注目されるまでになった、日本の漫画の担い手をどう育てていこうとしているのか伺いました。

京都精華大学に5つの学部があり、その中に漫画学部がある。 漫画学部全体で800名
漫画学科、アニメーション学科があり、漫画プロデュース学科がある。(編集者むけ)
今も基本概論の講義はやっている。 漫画学部のベースになっている。
漫画家になってしまうと、当然の様に判っている大事なことは分かっているが、皆共通している。
皆同じことを言うので、ダブらないようにしてくれたら、もっといいことがいっぱい聞けるのではないかと、交通整理を始めて、カリキュラムを作ることが始まった。

母は子供にかまけない人だったので、ほったらかされて、一人で育つ時間が多くて、そこで出会ったのが漫画だった。
貸本屋に入り浸っているような状態でした。
最初は絵をまねると言う事から始めて、別のことがしたくなって、キャラクターを見ないで書くようになって、自分一人で書くキャラクターを書けばいいと言う事で、小学生の高学年まで続けた。
動作が繋がることがわかって、次にストーリーの漫画を書き始めたのは、中学校。
自分の感情のままにぶつけて書いていることが恥ずかしいので、人には見せなかった。
自分の中身がそこに出てくるという事の大事な部分では無いかと思う。

「漫画家入門」 石の森章太郎の本が出て、其れを見て、自分が漫画が好きで、職業として成り立つのかと言う事を知った。
どうやって実現していくのかと言う、一つの例として、自分のことを書いていた。
「漫画家入門」の続遍が出て、仲間が全国に沢山いる事が判る。
自分でもできるのではないかと思って、石の森先生にファンレターを送った。
仲間がいないので、是非友人がほしいという事を伝えた。
同人の人が見るだけの、肉筆回覧誌 10人ぐらいの人がやっていた。
石の森先生がその人たちに手紙を渡して貰って、仲間に入れてもらった。
17歳の時にマーガレット新人賞佳作に入選、デビューと成る。
徳島大学教育学部美術学科に入学する。  美術の先生になろうとした。
漫画家が海のものとも山のものとも分からない時代だったので、母からもたしなまれて。
途中で出来るだけ早く、仕事ができる状態になれば東京で仕事をしなければ、という想いがあり、教育実習の前に何とかしようと思った。(人前でしゃべるのが嫌だった)

中途退学して、同じ漫画家の萩尾 望都さんと同居するようになる。
大島 弓子山岸 凉子さんたちが集まってきて、大泉サロンと言われるようになった。
昭和24年前後に生まれたメンバーなので、花の24年組と言われて、現代の少女漫画を確立してゆく事になる。
萩尾さんのペンフレンドだった増山法恵(私の親友になった人)との出会いもあり、3人で同居生活しないかとの話があり、「ときわ荘」みたいなものにできないかと、考えた。
そこから大泉サロンと言う名前を付けて、始めた。
20代で風と木の詩 少年の同性愛をえがいたもの。  昭和51年
寺山修二 河合隼雄さんらが絶賛した。
読者は受け入れる気持ちが出来ていた。
50ページぐらいはすでに書いてあり、連載が得られるまで時間を待った。(7年間かかった)

肉体的愛情と言うものを話すときには、悪い部分を書かないで、語るわけにはいかないので、其れを知らないで、大人になってしまうのは良くないと、わたし自身思ったので、其れを知ってもらいたかったから、悪いものも書くが理解してもらいたかったので、書くと言うつもりでいた。
受け入れられて、代表作になった。
昭和52年 地球へ…(テラエ)  環境破壊で住めなくなった地球をでて、宇宙に散った人類が、今度は地球に戻ってこようとする話。
二度と環境破壊をしないように、コンピューターが人間を管理する社会。
赤ちゃんは計画的に工場の様なところで、作られる、従順な大人になってゆく。
環境破壊が起きてゆくと、人間はそれを止められるかと言う事が、私の最初のイメージ。
人間は止められないだろうと思った。
人間の悪い部分、自分一人がリードしてるわけでないので、責任を持たない。(集合体)

誰も書いていないものを書く。
深いメッセージが込められている。
人間が、集団の中に入った時に、自分自身の考えで、その集団から抜け出すことが非常に至難の業だと言う事を強く感じていて、人間のコントロールができるとしたら、どういうところからだろうと考えた。
漫画を書く技術を学ぶことが、漫画を学ぶ事になるが、漫画で学ぶと言う事は、漫画を書かなければいけないので、他のことを学ばなくてはいけない。 深く追及してゆく事になる。

バブルが終わったころ、漫画界は隆盛で出せば売れる時代だったが、売れるものしか作らないという形についついなってしまっていて、編集者も売れるもの探しになって行って、漫画の編集のこころいきはどうなってしまったのか、と言う気持ちがあったし、教育的漫画を大事に育てた編集者もいっぱいいたが、どこか崩れていませんかと言うのが、疑問だった。
色々欠点とカを指導する編集者が沢山いたが、それがないと言う事を知って、利益に繋がらないことを教える処も必要なのではないかと、思っていたら、大学からの話があり、大学で教えてみようかなと思った。

集団的徒弟制、学生70名に対して教員8名でみる。
沢山の先生たちから、自分の作品について意見を聞ける。
同じテーマでも別の先生の意見を聞ける。
学生としてはいろんな意見を聞いた方がいい。
漫画家は違う価値観があることを知っているので、其れを学生たちに判らせなくてはいけない。
違う価値観の人がNOといっても、其れは気にする必要がないと言う事です。
本人が何をしたいのか、を必ず聞きだす事、書きたいものを指導すると言うのは、教える側にとって最初迷いがあった、プロだからここを直せば良くなることは簡単に判るが、其れを教えてしまっては
その人の作品にはならないと言う事を感じるので、ここまでやっていいのかなあと感じる。
だから相手が何をしたいのか、によって指導した方がいい。
その人にとっても意味のあることになるので。

成功するためには、伝えたいことがあるかどうか、其れを持っているかどうか。
日本の漫画の魅力は?
絵自体が、云いたいことが伝えること、ができる。  伝えられた瞬間に、凄く相手が感動する、そこが見事だと感じる。
言葉が全く判らないのに、ストーリーが流れていることを知る、其れが日本的な作り方と、外国の人は評価してます。
漫画と言ったら日本流の書き方、アメリカなどのコミックとは違う。
絵だけを見ていても、動いている様に読み取れる。
海外の漫画は紙芝居的になっている。  セリフではなく、説明が入っている。  
その国の言葉に即して流れを造らなければだめだと教えている。
今後、世界で競争相手が増えるが、日本は勝って行ってほしい、と思っている。