2014年8月1日金曜日

中村雅俊(俳優)        ・デビュー40年いつもベストを尽くしたい

中村雅俊(俳優)   デビュー40年いつもベストを尽くしたい
宮城県女川町出身 63歳 デビュー40周年を迎える。
慶応大学を卒業して、直ぐ、TVドラマ「我ら青春」で主役デビューし、その挿入歌の「ふれあい」も歌って大ヒットしました。
その後も俳優として、歌手として活躍を続けてきました。
3年前の東日本大震災では、親族3人が犠牲になり、故郷宮城県、東北各地が大きな被害を受けたことから、中村さんはその翌月から被災地を度々訪れて、歌や語りでの支援活動をしています。
デビューから40周年の今年は、7月に「ワスレナイ」という題のアルバムを出し、その中の一曲「君がいてくれたから」は深夜便の歌として今放送しています。
9月からは40周年記念ツアーも宮城県など全国各地で行う予定です。

女川町からいきなり慶応に入って、居心地の悪さを感じた。 
高校は質実剛健みたいな、男子校だった。
大学の3年くらいに俳優になろうと思った。
大学に入って外交官になろうと思って、英語をやらなければいけないと思って、英語で芝居をするドラマセクションに入った。
芝居をやっているうちに、興味を持ってきて、中途から日本語で芝居をしたいと言う気持ちになって、4年になる時に文学座の研究生の試験に受かって、4年の時はずーと文学座の研究生としてやっていた。
芝居だけやろうと思っていた。
TVの主役に抜擢される。
12月にオーディションがあって、学校の先生役だった。  其れが決まって、主役デビューとなった。

「ふれあい」の歌が売れて、1位になってしまって、急に歌番組に出ることになり、周りにブレインがいなくて、どういう格好で出たらいいかわからなくて、下駄をはいてそのままででたら受けてしまった。
俳優のむずかしさ?
数学みたいに答えが一つではないので、リアリティーがあればいいと、ずーっと戦いでした。
どういう表現をしても、リアリズムがあれば成立してしまう、しかし成立させるためには持って生まれた才能みたいなものがあったりして、いい役者さんは、生まれつき持っている雰囲気、しゃべり方、しぐさ、等が本当になにをやってもはなやか、そういう人がいるが、自分はそんなに持ってなかったと思った。
この道を選んでずーとやってゆく、と言う事に関して言うと、自分がどこら辺の才能を持って生まれているかわかるし、これは歌でも言えるし、戦いみたいなものはあった。
自分でもっとがんばらなければと、結果が出た喜びもあり、いろんなことで自分なりに成長できるところは成長してきたかなあと思います。

人に少なからず良くも悪くもいろんな影響を与えるなと、云う瞬間を垣間見て、自分がやっていることは素晴らしいことだと思う時、やってて良かったと思う。
芝居は本当に難しい、難しく考えると。
反省するときがあるが、根っから楽天的なんで、まあ次の時にやろうと切り替えが早い。
高校時代はフォークソング時代で、大学では時間があったので、ギターで曲を作ったりもした。
役者は役者で100%、歌手は歌手で100%と言う気持ちでやってきた。
ツアーをずーとやってきていて、1400回はやっている。
連続ドラマも33回主演をやっている。
小椋圭山崎ハコ・・・ 音楽的才能のある方達との交流があって、本当にそうそうたるアーティストの人達が曲を書いてくれるので、歌手としてのキャリアの中では凄く恵まれていると思う。

アメリカ映画に挑戦、BSで報道キャスター 新しい挑戦
奈良橋陽子さんが演出をやっていて、音楽的なブレインになってくれて付き合いが長かった。
7~8年前に、オーディションを受けてみないかと云われて、受けた。
ユタ州で撮影したが、通訳なしだった。
アメリカ人のスタッフに囲まれて、仕事をするというのも、いつになくエキサイティングな感じがしていいなあと思いました、いい刺激になりました。
英語自体も取り組み方が違うし、日常会話と違って通じればいいというわけではなくて、パーフェクトな英語をしゃべらないといけないので、結構大変です。  でも自分では楽しい。

報道キャスター  結構いろいろなところに行く。
頻繁に被災地には行かしてもらっている。  ひたすら政治と経済。
「被災地の未来」と言うテーマで被災地を堀り続ける、レポートし続けるという事をやらさせてもらっている。
甘利さんとか、小野寺防衛大臣が隣りでしゃべるので、勉強しなければいけなくて、結構大変です。
最近になって、経済のことも勉強するようになって、すこしずつ判る様になった。
東日本大震災 地震があった時は駅のホームでドラマの撮影をしていた。
親戚が3人亡くなった。  チリ地震では山に逃げて難を逃れたが、今回の地震、津波はその時とは全然違っている。
陸前高田、大槻町、女川は人口の1割近くが亡くなって、死亡率は高かった。
最初に7月に入った時は吃驚した、瓦礫だらけで、あんな景色は無くて、言葉もなかった。

義援金だとか、自分も行って、歌ったり、話をさせてもらったりした。
震災で、明日何が起こるかわからない、明日の事よりも、今、今日の事がどれだけ真剣に精一杯生きられるか、と言う事を強く考えるようになりました。
ベストを尽くす、と言う言葉が気になるようになった。
本当にベストを尽くすと言う事は大変なんだなあと思うし、昔よりは逆に努力するようになった。
15年ぶりにニューアルバム。(新しい曲を中心)
震災に対しての自分の支援活動、歌の部分でやってきたので、ここ3年半の自分の活動を纏めてみたいと言う様なところがあったので、うたは裏に震災のキーワードはある。
「ワスレナイ」 自分のテーマは忘れさせない。
「君がいてくれたから」 いろんな解釈をしてもらっていいと思う。 詩が先に出来ている曲。
60歳過ぎても意外と元気で、まだまだやることも一杯有るんだなあと思って、走り続けてきたけど継続して、遅くは成るかも知れないが、走り続けて行かなくてはいけないのかなあと思います。