2014年8月19日火曜日

柏秀樹(モータージャーナリスト)   ・笑顔でいつも安全に 二輪の楽しさを伝えて35年

柏秀樹(モータージャーナリスト、ライディングスクール校長) 笑顔でいつも安全に 二輪の楽しさを伝えて35年
8月19日は819のごろ合わせで、バイクの日、日本各地でバイクにちなんだ催しが行われます。
今日本のバイク事情は比較的年齢の高い50代以上の人たちが大型のバイクに乗る様に成っています。
こうした年齢の高い人達は、若い人ほどはバイクの動きについていけずに、事故を起こしがちだと言う事も問題になっています。
年齢の高い人たちにも、安全にバイクを楽しんでもらおうと、バイクの運転技術を教えて30年になると言うのはバイクジャーナリストでもある、柏秀樹さんです。
あくまでも滑らかなな運転を心がけるのが指導の中心と言う柏さんに伺います。

柏さんは1954年 昭和29年生まれ 60歳。
最近はバイク乗りは高齢の人も多い。
1980年代前半バイクのピークで年間300万台以上販売されて、若い人たちが子育てなどで降りてしまった人達が、再び乗る様な動きが出ている。
飛ばして、カーブでスリルを味わいたいと言う事は本能的にある様ですが、飛ばさなくてもうまくなる、ゆっくり走っても楽しいと言う要件を満たすような、ライディングのレッスンをしています。
高速で走れるが、停まる能力は弱い、安全を積極的に掴み取ってゆく。
小さい時から父親に乗せてもらって、色々なところに行く事が好きだった。
当時ガソリンが制限された時代だったので、エコな運転をやらざるを得なかった。
ニュートラルで転がして、スーッと止まる様なこともレッスンではやっている。

車よりバイクにおもしろさを見つけた。
当時新聞配達をして、自転車で経験したことがバイクでもそのままできる。
大学、大学院 では結構勉強をした。
作家の片岡 義男さんのラジオ「気まぐれ飛行船」を聞いていたら、バイクの話が出てきて、ピンときて、手紙を出した。
私の家で会う事になり、話している時に、番組に出てほしいと言う事になった。
バイクの音のレコード、本の出版などを片岡さんと一緒にやったりした。

博士課程までいったが、バイクの方向に行った。
取材に行って原稿を纏めることとか、自分のバイクを通してのツ-リングのこととか、色々忙しかった。
新聞コラムで10本以上、そのほか色々やっていた。
レース パリダカール にも出た。
1984年にファラオラリー、エジプトのラリーに参加したのがきっかけで、そこ走った経験がベースになる。
1996年にパリダカールに参加する事になる。 1997年、1998年と 3回出る。
1997年では篠塚 建次郎が車の部門で優勝したが、私はバイク部門では35位だった。(200台参加)
一人ぼっちで一回地平線を見ると言う事は、恐さを知ると言う事で有り、自分がちっぽけな存在である事、勇気がないと生きていけないと言う事実もあったり、本当に砂にのまれてしまう。
非常に水自体が貴重で、現代社会の凄い消費社会と言うのは、厳しい現実を体験しておくことは必要だと思う。
40歳そこそこの時に初めて自分のなかで弱さ、強さが混在して自分がいることがよくわかりました。

他の人に教えるきっかけは?
西伊豆で有るメーカーでニューモデルの試乗する事があり、編集長が私が走る姿を見て、ライディングテクニックのページを作るから、やってよといわれた。
1980年代の前半から、雑誌にライディングテクニックの記事を書き始める。
其れがブレークして、DVDも出すことになる。
教えることが判ってきて、特にこの10年、エントリーユーザー、高齢者がバイクに乗る時のイロハを少しはお伝えできるようになったかなと思います。
マンツーマン、少人数の人達に最初教えていたが、段々クラブ単位で教えることになり、スクールをやりましょうよと、周りから言われて、スクールを始めることになり、10数年が経ちました。
速くなるより、巧くなってほしいと言うのが、私の趣旨です。

教えるためのアプローチが色々ある。(厳しく、優しく、理論的、車種ほか)
ゆっくりと正確にやる事。
北京オリンピックの時の開会式でのピアニスト(ラン・ラン)が物凄く早く弾くが、どうしてそんなに早く弾けるかとの質問に「ゆっくり、正確に弾く事です」と答えたが、全くその通りだと思う。バイクも同じ。
丁寧にまっすぐ走ることは意外と難しい。
スピードを出してしまうと、全部できるように思えちゃうからおかしい。(誤魔化せる)
ゆっくり出て、ゆっくり止まる。 其れを楽しんでほしい。