朝長万佐男(診療所長) 医師親子2代、被爆者に寄り添う(1)
恵の丘 長崎原爆ホーム診療所
長崎で親子 2代 60年にわたって被爆者と白血病の関係を研究してこられた医師で、自らも被爆者の朝長万佐男さん(71歳)にお話を伺います。
一回目は永井博士の最後を看取った父
朝長万佐男の父、正充さんは「長崎の鐘」などで有名な永井隆博士の主治医で、その最後を看取った人。
白血病に取り組む永井博士の話を父から聞き、父の後を追う様に長崎大学医学部を卒業後、父正充さんが教授を務める部門、原研内科に入局、同じ道を進むようになりました。
父、正充さんが亡くなった後も、被爆者の治療や原爆放射線の人体への影響を研究してこられ、今年 日本赤十字社長崎原爆病院長から恵の丘 長崎原爆ホーム診療所長に就任されました。
ホームでは40年前から皆さんの面倒を見ている。
大学を昭和43年に卒業して、それ以来、診療を週に1回やっている。
被爆者の平均の年齢が79歳になってきている。
毎年何十人が亡くなってきている。 癌が多い。
白血病 第二の白血病と呼んでいる骨髄異形成症候群(MDS)がある。
最近被爆者の中に増えてきている。
2km以内の近距離被爆者は3倍ぐらい増えている。
2歳の時に被爆。 記憶はない、母親からの受け継ぎになる。 2.7kmの距離だった。
家は瞬間的に全壊している。 火災が起こって、梁に挟まっていなかったので、2階にいた私を母親が助け出して、近くの神社に避難したと言うのが、我々親子の原爆体験です。
2.7km、そのまま放射線が直線的に来ていれば、20ミリシーベルトを受けていることになる。
中学から高校時代に被爆を意識したが、そのころには白血病が同年齢の人から出ていた。
自分も可能性があるのではないかと不安にはなった。
医学部に入学して、6年間の中でかなり白血病の勉強はした。
父は白血病の専門家だった。
父が主催していた原爆の研究所の内科に入局した。
是が現在まで続くライフワークになった。
父は軍医になって、ビルマ、ベトナム、台湾に来て、そこで長崎に原爆が落とされたことを知る。
1年後日本に帰ってきて、大学病院の医者として復帰する。
父は永井隆博士の主治医だった。
永井博士は医学部の学生の頃バスケットボールをやっていて、中学生だった父は指導を受けた。
永井博士は白血病になっていて、広島、長崎でも白血病が出てきていた。
永井博士はレントゲンが専門で、放射線を浴びてしまっていたのではないか。
父が戻ってきたときに永井博士が闘病生活に入っていたことを知る。
永井博士は原爆爆発時の放射線科の助教授だったが、大学病院のなかで被爆して、緊急手術で命を取り留めて、3日3晩不眠不休で、被爆者の救護に当たる。
自宅まで帰ったら、台所で白骨になっている奥さんを発見する。
首にかけていたロザリオが骨の中に埋まっていたので本人だと判る、そのことが「長崎の鐘」の中に書かれている。
その骨を手ですくったけれども、その骨はさらさらと崩れたと言う。
永井先生は優しい人だった。
「長崎の鐘」 「ロザリオの鎖」などの本 17冊を書かれたが、先生は慢性白血病だったがその間、治療して支えていたのが父だった。
自分のライフワークに原爆研究をして行こうとしたのは、永井先生、父の影響は大きかったし、自分自身が被爆して、放射線は浴びていることがあったので、白血病を心配したと言う事はある。
白血病が減ってきて、高齢者の中に骨髄異形成症候群(MDS)が増えてきた。
当時子供たちが広島、長崎に多かったのが特徴。(産めよ増やせよの時代)
その子供たちが被爆者の中心になっている。
被爆者の体の中で一生涯かかって、白血病を起こしている。 同時に臓器のがんも多い。
瞬間的に被爆しただけなのに、その人の体の中には生涯続く癌、白血病を起こす遺伝子の損傷し、そこから癌になる細胞が発生してくる。
放射線の影響は生涯続くと言う事が最近の一つの大きなトピックスだと思う。
核兵器が非人道的兵器だと言う事の一つであると言う事の医学的な証明になる。
国際会議とかいろんな場で主張している。
原爆が投下されてから2,3カ月後から永井先生などがデータを取り始めて、その後ずーっと続いている。
長崎医科大学は世界で唯一の原爆を受けた大学なので、大学の使命になっていて、其れが現在まで続いていて、私は第三世代になる。
市丸道人先生は私の父の直接の弟子であり、ずーっと続いてきた。
1857年に長崎の小島に初めての西洋式の病院ができる。(井伊大老の時代)
ポンペ先生(オランダ)が精力的に教育を行い、西洋式の病院を江戸幕府が作って、これが私どもの病院のオリジンなんです。 もう150年になる。
シーボルト先生が来ているが、シーボルト先生がヴュルツブルク大学を卒業しているが、1895年にX線をレントゲン博士が発見した大学なんですね。
その後原子学、原子物理学が発展して、キューリー夫人のラジウム発見、中性子発見と続いていって、原爆が製造されると言うところまで行ったのが、1900年~1945年の原爆までの歴史です。
シーボルト先生が長崎にいたと言うのも因縁めいたものがある。
X線が発見されてから50年後に原爆が出来ている。
原子力による核兵器、原子力による発電所 核の時代が1945年に開始されて今も続いている。
核廃絶運動をやっているが。
永井先生が闘病生活をしながらやった研究は、放射線を大量に浴びたときに、人間がどうなるかこの時初めて分かった。 急性放射線被ばくで臓器がやられて、骨髄が破壊されて血液細胞を作ることができなくなる。
貧血とか、又白血球が減ると、ばい菌の感染に弱くなるとか、そういう研究をされた。
父親はその後急性放射線被爆で亡くならなかった方たちが、癌、白血病を発病する事に遭遇した。
私は父が遭遇した白血病の研究を途中から引き継いだ。
白血病の発生は被爆者からは見られなくなると思ったが、あにはからんや、現在まで続いている、これが私の白血病の研究が生涯続いた一番の原因ですから。
何故被爆者の体の中で、白血病、癌になる事が一生涯植えつけられる事が、遺伝子のレベルで研究されつつある。
遺伝子の傷が拭い去られない結果、条件付けがされてしまっている。
通常爆弾とは全く異なる、非人道性を持つ一つの証拠になる。
福島で100万人が被爆している。
私が浴びた20ミリシーベルトぐらいが最高レベルの被爆、多くの人は数ミリシーベルト。
チェルノブイリ で被爆 25年間に7000人の子供たちが甲状腺癌になっている。
福島では30万人の子供が被爆しているが、危惧されているが、数十人が甲状腺癌がしんだんされているが、事故の影響なのか、結論は出ていないが、今後10年はかかるのではないか。
原爆、ビキニ、チェルノブイリ、福島があり、被爆した人にとって、白血病などがいつも心配になっている。
父親の研究下に入って、父は急に癌になってしまって、白血病の研究は大事だよ、とは言っていた。
永井先生 報告書 被爆者がいかに放射線で苦しんだかを纏めている。
あまりおおっぴらには報告できなかった。(占領軍との関係)
永井先生の御臨終の言葉はあまりなかった。
先生は曼性白血病 1960年代 染色体の異常が発見 1980年代 遺伝子の異常が発見
遺伝子の異常で作られる、異常なタンパク質が白血球をめちゃくちゃ増やす、これが白血病になると言う事が判る。
たんぱく質を攻撃する薬が開発された。 1990年ぐらい
物凄い有効な抗がん剤と成る。 ほぼ治る病気になった。(9割ぐらい)
骨髄異形成症候群(MDS)は治療が難しい白血病 3割ぐらいの人は治療は厳しい。