2014年8月26日火曜日

福辺節子(理学療法士)    ・義足の理学療法士として30年

福辺節子(理学療法士)    義足の理学療法士として30年
60歳 30歳で始めた理学療法士の仕事を今も続け、各地で介助者向けのセミナーや在宅介護の講座を開いたり、NHKのEテレの番組「楽々ワンポイント介護」にも出演しています。
理学療法士と言うのは国家資格の専門職で、病気やけがで身体に障害を持つ人に、座る、立つ、歩くなどの基本動作を指導するリハビリテーションの専門家です。
福辺さんはこれまでに身体障害者センターや在宅で経験を積み、他方でスポーツ専門学校で若手の養成にも尽力してきました。
福辺さんは永年の実践から、介助をする人が腰痛など、身体を痛めることを目の当たりにして、そうしたっことが起きないような、独自の介助法、力のいらない介助法を広めようと全国的に活動しています。
福辺さんに、福辺流介助法の真髄を伺います。

NHKのEテレの番組「楽々ワンポイント介護」に出演して、リハリビの普及を主張されている。
介助の基礎の基礎だと思っているが、当たり前のことが今の介助の教育の中はでされていないと思う。
相手の人がどんなことができるのか見たりとか、声かけ、相手の人の眼を見て、相手の人の動きを待って初めて触るとか、当たり前のことが教育でなされていない。

職業を選んだ理由?
30年前は男女の職業の差がかなりあった。  コピーライターに成りたいとは思っていた。
男女の職業の差がない職業、スーツの着ない職業と言う事で最終的に選んだ。
自分が事故で障害を負って、リハビリを受けて、こんな仕事があると思ったが、でもその時点ではこの道にとは思わなかった。
21歳の時に、冬山で、車が90m落下して、外に放り出されて、奇跡的に命は助かったが、左足首の骨折をして、感染して、高野山病院に入院して、段々悪くなって、和歌山県立医大に入って、膝の上から切断しないと命にかかわると言われて、父が膝から下にしてほしいと懇願して、膝から下からの切断になった。
膝があるとないのとでは、全然違うので、膝から上の切断だったら、理学療法士には成れなかったと思う。
私の場合は感染があって、嫌気性のガス壊疽という、空気があると広がらないと言うので
暫くの間、切った足を閉じないで、傷を開いたままにしたようなやり方だった。

直視しない時期があって、いろんな時期を経ながら自分の障害を見ていかなければいけないと、繰り返してきていると思う。
障害を持ったと言う事に関しては、それほど重い障害ではないので、仕方がないなあと、受け入れることになるまで10年ぐらいは掛かった。
最初は頑張ってリハビリするが、そのうちに仮義足とか、現実を目の当たりにしてゆくと、自分の足にあわなかったり、ハイヒールを履けないとか、色々あり、リハビリに行かなくなった。
自分の身体で生きてゆくしかないと思った時に、先生が来て横でじーっと座っていてくれて、感じて、そういう時期がなければ次のステップに上がっていけない。(空元気では駄目)
何回も繰り返しながら、障害を受容していった。 10年はかかったが。

3年間専門学校で勉強して、兵庫県尼崎身体障害者センターに就職する。(30歳)
そこに行ってなかったら今の道はなかったかもしれない。
深くは見れないので、在宅でその人たちがどんな生活をしているかを見ないといけない。
センターで色々訓練を受けるが、家に帰ると自分でしなくなって、家族がやってしまう。
退院時は出来ても、理学療法士は家の事までは想定していない。(家族、環境など)
ほとんどの場合はその人に能力があっても、直ぐにやらなくなって寝たきりになるという現状を見たので、家に行きたいなあと思った。

私たちは今まで何をやってきているんだろうと思った。
訪問のリハビリを始めた。 其れまで寝てきた人が立てるようになったりする。
又日が経って、家に行くと、又寝たきりになってしまっている。
当時障害を持った人、お年寄りが車椅子で、同じ食卓に並ぶと言う事は一番ハードルが高かった。
家の方、看護師が家に入ったりしているので、そういった方に介助を覚えてもらったら良いと思った。
そして今から20数年前に、介助のセミナーを始めた。
段々介護保険ができたりして、ヘルパーさん、セラピストの人に来ていただいた。
やり方を伝えたら出来ると思っていたが、私の介助と参加者の介助が違う事がわかった。
私の介助は、介助される人に動いてもらう介助、皆は形はまねてくれるが、介助者が勝手に動かしてしまっている。

相手の力を引き出す、相手の人に動いてもらう介助に変わってきた。
相手の人が先ずどこまでできるかを、見ないといけない。
8割はやり過ぎている。  残りの1割はやりなさすぎ。 適切な介助は1割ぐらいしかない。
そのギャップは出来ること、出来ないことの見方がおおざっぱ過ぎる。
痛い人と、筋力低下の介助は同じではいけない。
筋力だけでなく、認知能力、言語能力も見極めることが必要。
声かけをして、直ぐに介助してしまう。

介護拒否されたとか、介護された時に痛いとか、恐いとか言われた時は、介護をしている医療者、介護者は自分の問題として捉えてほしい。
声かけ、触り方、皆さんのさわり方はあまりにも無遠慮、痛い、強い、もっと優しく、もっと的確に触らないといけない。    意識としては1/100ぐらいの思い。
支え、手すり、杖等 支えの役割り しっかりしていて動かないもの、介助される人の力を感じながら最低限、机や、手すりにならないといけない。
介助者の手よりも手すりの方が安全と思っている。
触れているんだけれども、相手に影響を与えてははいけない。

介助は相手を動かすことではなくて、全ての五感を相手に伝えて、そこからの動きを引き出してゆく事。
自分の中に弱点があるからこそ、相手の中のそういうところが判ると言う意味では、足を失ったという障害ではなくて、自分自身の持っている物があるからこそ、出来てきたのかなあと思います。
やってきた原動力?
大変ではなく楽しい。 介助をやった時にちゃんとできると相手の方は変わってくれる。
ライブで伝わる。
その時の嬉しさ、其れを相手の人と共感できる。
福辺流ではなく、世界中にスタンダードとして広まったらいいなあと思います。
人がその人らしく尊厳を持って生きると言うのはリハリビテーションの原点、そういう想いを持ちながら一所懸命生きていきたい。
人として成長していきたい、介助する側、介助受ける側にもあるんだと、其れを信じられるような仕事ができたらいいなあと思います。