前田昭博(人間国宝) 白磁に故郷の心を映す
昭和29年取鳥県鳥取市に生まれる 大阪芸術大学卒業後、地元に帰り、焼き物作りを始めます
焼き物は大きく分けると、陶器と磁器に分けられますが、前田さんは硬い焼き物である磁器、それも白磁一筋に製作を続けてきました
前田さんの作品は全て白一色で絵や模様は書かれていません
壺などの作品の表面は人肌のようにしっとり白く、それが刃物による独特の面取りという技法に依って削られ、緩やかに盛り上がったり、へこんだり、ねじれたりしています
その表面の凹凸が当たる光の強さや、時間の経過に依って濃く淡く変化し、焼き物の冷たさが薄れて、命の揺らぎのような温かみを生みだしてゆきます
前田さんは御自身の作品を光と影の織りなす光の造形と言っています
陶芸家として出発したころ、故郷、鳥取には陶器を作る窯はあっても磁器を作る窯は身近にありませんでした
相談できる師匠も持たず、自己流をみがきあげての技の習得が、個性的で新鮮な作品を生み出しています
前田(まえた) 濁らない読みは鳥取地方の東部の方に多いようです
自然一杯に囲まれている土地 冬になると雪に覆われる 焼き物を始めて37年になる
大阪で工芸関係の勉強をする
まず小学校学校の低学年のころから、図工が好きで、賞状やバッチを貰っていた
父が小学校の美術の先生で、趣味で木版画をやっていて、そういう影響を受けていたのではないかと思う
この近くに民芸陶器で有名な牛ノ戸焼があるが、影響は全然無いと思っていたが、いざと陶芸をはじめる時には身近に見ていたので、陶芸はこういうサイクルで作るものだなと、そういう意味では小学校のころ、牛ノ戸焼は隣り町にあったので毎日6年間通って見ていたのは、いざ始めようとしたときには、安心感はあった
大学3年の後半に、実習では陶芸を習っていたが、磁器をされる先生がいらっしゃって、轆轤をひいて、其時が初めてで、土が真っ白で、焼きあがったものが純白で、魅力的、今まで見たことが無い、なんともいえない不思議な焼き物というのが第一印象だった
降り積もる雪、和紙の白さに 私の中に結びついたのか気になる焼き物になった
模様が何にもないという事の不思議さ、魅力が生まれているのかなあと思った
光があたって影ができると、焼き物に陰影が現れる
時と共にそれが動いてゆく
具体的な絵以上に魅力的で、いろんなものをイメージさせてくれるところがある
白磁は陶芸の中では多いとは言えない
花を彫ったりする人もいるが、前田さんはそれもない
具体的な物を彫るよりも、抽象的な立体造形を作り上げる、そんな感覚で仕事場で向かっていることもある
表現するという事となにも加えないこと、どうなのかなと思う時期が若いころあったが、いろんなことを加えるよりも、無いことでいろんなイメージを見る中で、絵がいていただく、其広がりは無限に広がってゆくので、そういう作品ができたらいいなあと思いました
余分な物をなるべく少なくしてゆくが、省略することで白磁の魅力を増してゆくような、そういうシンプルでモダンな白磁ができればいいなあと思う
陰影 面取りという技法で、陰影が作れる ふくよかな曲面はグラデーション 柔らかい陰影がとっても心地いい 白磁ならではの表現だと思う
壺が一つの大きな形
茶碗、オブジェの焼き物等があるが、壺が好きで、立体的なふくよかで、おおらかな独自の表現をしたいと思っている
使うという目的もある中で、独自の表現は厄介で、これはあの人が作ったと判るような作品でありたいと思っている
製作手順
土を取り寄せて、石を粉末にして水分を加えた「磁土」というが、それをねんど状にしたものを取り寄せたところから始まるが、それ以前に今日はこんなものを作りたいと考える時間が必要
一番見ていただきたいところをまず決めて仕事場に入る(自分に言い聞かせる)
轆轤で土を伸ばし、土のねじれを取って、円筒に引き上げ、それから膨らましてゆく
回転のリズムと摩擦を少なくするようにして、たまに水を付けて摩擦を少なくする 水をつけすぎると形にならなくなる
1時間から1時間半で作り上げる
翌日か翌々日に面取りをするが 硬さのタイミングを見ながら、千回以上親指で押さえて全体の形を作ってゆく
轆轤の作りだすふくよかさの魅力を満たしたいので、フラットな面と、旨く指で押さえる工程のなかで自分で形を作ってゆく ふくらみをもった面と平面、一つの壺の中で作り上げてゆくと、シンプルでいて、微妙に陰影があたると何とも言えない表情が生まれる、そういう面取りをしている
乾燥してから、刃物で削っていって、カンナの跡を取るためにペーパー、ステンレスのへらで綺麗に仕上げて、900度前後で素焼き→うわ薬を塗る→本焼き(1300度で28時間ぐらい)→4日後の窯出しをする
焼き物の魅力は1300度の熱の洗礼を受ける 焼きあがると、力が働く
白いところに黒くなったりする(鉄粉が入る) うわ薬が一か所剥がれていたり、傷と言われる現象が起きたりする
酷い時は全滅することがある うわ薬を変えたり、温度を変えたり楽しみに窯を開けたら全部ひびが入っていたりする時がある(数日やる気がしなくなる時がある)
北大路 魯山人 キズものを再生させる事をやったという話があるが磁器では無理
磁器は2度焼きは器に無理がかかる
自分らしい作品を作りたい
自然が豊かで毎日夕方散歩するが、季節感、緑の葉の色、冬芽の形、花の蕾の形、そういうものを見ながら散歩すると無意識に体の中に入ってきて、作品を作ろうと思ったときに、具体的な何かではなく、自分の中から無意識に出てくるというか
蕾のような形が好き 壺が開くような形ではなく 自然界の形から来ているのかと思う
何とも言えない鳥の声を聞いたり、花を見たりして、あまり書きたいという欲求がわいてこなかったというのが正直なところかも知れない(自然の中にいたからこそ)
若い時、伝統工芸は古臭いと思っていたが、歴史を持っているという事であって、作られるものはとっても最先端の物、革新的なものを作ってゆくものだと、意識して感ずる
ドンドン色、形をかえて行けばいいんですが、変えても変えても変わらない、表に出ないものがあって普遍的な物があって、普遍的なものだけをうけついでゆく、それが日本の伝統であり、伝統工芸展で毎回作品は変わるが、伝統作品だと思う
人間の営みが続くことは、ずーっと器は必要ですし、使われてゆくと思う
今作られている器を見ると、これ器と思うような作品もある
日本独自の発展を遂げたのは日本の伝統工芸だと思っている
使える器の中に美術を持ち込こめるという、昔の人は凄いと思う
白磁という世界で今後も作品を作っていきたいと思っているが、中国、韓国にも素晴らしい白磁の歴史がある
400年前に磁器が入ってきたが、中国、韓国に負けない白磁を仲間と作っていきたい
白磁という表現で、逆に主張できる時代だと思う
日本人が作る白磁が生まれる様な条件が整ってきていると思う
色を抑えることで、いろんなことが見えてきたり、僅かな表現で十分伝わるという、感賞して下さる方のイマジネーションを喚起して物に近寄ってきていただく、そういう表現が日本にはある
大学を卒業して、戻って窯を作っていざ作ろうとしたときに、如何に大学で教わったことがわずかであったことが判ったが、他に修行に行くことはできなかったので、黙々と轆轤を回して、作ってきたが、いろいろ工程の中で一杯失敗してきた
故郷をもっと友達がいればいいと思っていたが、36歳で大きなコンクールで、優秀賞を頂いて、失敗は一杯したが、失敗することで、うまく作る方法を見出したりしながらやってきた
独自の自分の中で、自分の勇躍を感じたので、やたら情報が入ってこない方なので10年、20年と黙々とやってこられたと思うようになった
鳥取が私の力になっていると感じた 光、湿度などが私の独自な白磁の元になっていると思えるようになった