2013年9月17日火曜日

高遠菜穂子(43歳)        ・イラクの現状を知っていますか 

高遠菜穂子(43歳)  イラクの現状を知っていますか 支援活動を続けて10年
北海道千歳市 イラク支援ボランティア 2004年イラクのファルージャでボランティアとして活動中に、自衛隊の派遣に反対する現地の武装勢力に人質としてつかまりました
日本国内では自己責任論のもと、激しいバッシングが起きましたが、高遠さんはその後もイラクの隣国ヨルダンに、拠点を置いてイラクの支援を続けています
10年にわたってイラクを見続けていた高遠さんに平和についての考えを伺います

ヨルダンから2カ月ぶりに北海道に帰国 
生れも育ちも自衛隊の駐屯地の近く 戦闘機、戦車を子供の頃から目にしていた
イラクに行ってバクダットで空爆の爆音を聞いた時、一瞬懐かしいと思った(千歳を思い出す)
懐かしいと思ったが、その直後に人は死んでいた
其時まで自分が生まれ育ってきた環境と一致しなかった 
人をあやめている音とは思いが至っていなかった
イラクに行く前はアフガニスタンに行くかどうか、迷っていた
ニューヨーク同時多発テロの後にアフガニスタンを攻撃 、あまりにもおびただしい地雷が埋まっている(数百万個) 一度戦争を始めてしまったら、負の遺産は終わらないのだと、カンボジアで思い知って、カンボジアから一時帰国で見たアフガニスタンのニュースがアメリカ軍の攻撃で、アフガニスタンで地雷撤去をしていたNGOスタッフの人が亡くなったという、ニュースだった

想像して怖くなってしまった アフガニスタンに救援に行けばいいのではと思ったが、怖くて決心ができなかったが、そうこうしているうちにアメリカがアフガニスタンにからイラクに移った
小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持するとの発表があった
イラク攻撃が自分の戦争になった(これはお前の戦争だと突きつけられた様に思った)
イラクに行くべきだと思った 
拘束されて、最初の3日間は目隠しされて、スパイ容疑 日本の自衛隊のスパイのように言われていた
何故日本人が加担するのかと、スパイ容疑 盛んに関係ないといった
すこしずつ相手に納得してもらう様に、必死で説得した  
我々のやっていることは人道支援活動だと、具体的に支援の活動について説明した
釈放すると言ってから、なかなか解放してくれない
武装した人がアメリカは酷い、残虐だと、私の乳飲み子を殺したと、しかしあなたがやっていることは何だと、あなたがやっていることも同じではないかと、私の家族はどうなんだと、あなたが今私にやっていることは、あなたがアメリカ軍にやられたことと同じではないかと、それでは同情も応援、サポートを得られるはずがないと言った
ほかの方法を取ってほしいといった
武装して抵抗するしかないと言ってた人が私の手伝いを半信半疑でおこなっていたが、医者がこれで医療行為ができるとか、人を死なさないで済んだと言われて、そういう状況を踏まえて、武器を持っていても人を守れない、武器を持っていたら人を助けられないといった

そういった心境の変化について、私を拘束している人に話してやった
じっと見て涙をにじませながら、僕たち友達になれるだろうか、と言ってきた
友達だと思っているから言ったんですと言った  私の言っていることを理解してくれた
帰国後激しいバッシングを受ける 帰ってから4か月寝ていた 
正直、イラクの武装した人たちには殺されないで、日本で殺されたという感じだった
兎に角それが辛かった 言葉が通じて、自分の国でどうして話を聞いてくれないのだろうかと思った、全然かけ離れてイメージを語られて、苦しかった
どっちを向いても話が通じない様な感じで、5年かかった

脅迫状とかが来ている  見ないようにしていたが、2通たまたま見てしまった 
私のへの脅迫ではなく、私の兄弟への脅迫だった「天誅」と書いてあった
私が殺されていれば、家族にこんな脅迫は無くて、私はイラクで殺されれば良かったと思って
家の中でパニックになって「殺されれば良かった」と叫んだ
母親に頬を叩かれて、「いつまで寝込んでいるつもりだ」「さっさと起き上がって、イラク人に会いに行って来い」といわれた  
「イラク支援を止めるなんて、私が許さないよ」といわれて、その一言ではっと目が覚めた
ヨルダンに行く 友達が6~7人来た
その人たちから、
目と耳だけでなくて、身体でイラク人の苦しみを知ったねと、君はもうイラク人だと言われた

あの事件で更に思ったのは、時間が経つに従ってより鮮明に思ってきてることは、何かというと
後から気付いたんですが、私は誘拐犯たちに言ってたことは、それって憲法9条を訴えていたなと、後でそう思った
どうやったら解決できるのか、こういうやり方はうまく行かない(武力でなんとか解決しよう)
と言っていた
今は医療支援に力を入れている(平和構築を意識している)
先天異常に力を入れている サルージャは猛攻撃を受けてきた場所
今、2006年、2007年あたりから現場の医師が肌で感じるぐらいのレベルで、激増している
先天性欠損症 重度な欠損症がおおい  頭と同じぐらいのこぶがある 脳瑠 水頭症
無脳症 脳のダメージが多い  口唇口蓋裂 唇が裂けている
2009年からデータ 3年間 1000人以上の先天異常がある 14.4%の発症率
1991年の湾岸戦争の後から言われるようになったが、アメリカ軍は使用している劣化ウラン弾に依る内部被爆が原因ではないかといわれている

今の段階では、アメリカは特に影響が無いとずーっと言っている
調査、論文、国際会議で訴えたが、
サミラ医師の言葉 何度も国際社会のドアーをノックしているのだが、誰も返事をしてくれない
イラク人では出来ない私に出来る事があるのではないかと、思った
データを取って、東京ベースの国際人権団体と協力して、事実調査報告書を出した
日々の出産データ、出産数、死産の数、流産の数 その他異常出産 SRPS 骨が未発達で四肢が極端に短い (4人とも死産)

発表したら、あちこちから反響があった
イタリアのNGOからイタリア版を出してほしいとか、国連から問い合わせが来たり、協力してくれるための問い合わせ等 
平和のために大事にしなければいけないこと  平和憲法ではないでしょうか
ただの文言ではないとイラクに行って、すごく学んだし、知ったし、日々思っている
残虐行為は命令に従ってやっている 
アメリカに帰ると家庭に入るが、折り合いがつかずPTSD激しいトラウマで、眠れない、悪い夢を見る、自殺 苦しむ
悲惨な姿を見ていたら、日本の平和憲法をアメリカにあげたいと思ってしまう
広めてゆく方が日本人としての役割としてはあると思う
千歳、駐屯地の風景 迷彩服 演習の音 実践になった時の違い 失われた命 戻らない身体
傷ついて自らの命を立ってしまったアメリカの若い兵隊   
日本の若い世代に同じ体験をしてほしいとは全く思わない
平和に向かって実現するためにやるんだというのが希望なんじゃないかと思います