2013年9月25日水曜日

山 下純司(長良川鵜匠代表)   ・鵜匠の心は鵜の心 2

山 下純司(長良川鵜匠代表)   鵜匠の心は鵜の心 2
かたらい つがいとは言わない 鵜小屋 2羽一緒になっているものと、1羽のみもいる
性格は荒い 闘争心は有る  ご飯は1日1回 仕事をしながら食事する
細かい魚が自然に入るように首に緩みが作ってあって、仕事を終わるころには、8分目ぐらい入るように加減がしてある  いろんな小魚を食べる
かがり火に使う薪は、アカマツの山の峰の岩山の松が一番いい  魚を照らす
11月に切って寒のうちに割る 綺麗に乾く
蓑は腰につける 鵜を扱うと前が濡れるので、身体が冷えるので付ける
1年前のわらを農家に頂いて、自分で蓑を作る
仕事が終わる10月過ぎになると、鵜は疲れるので、身体をもとに戻す作業をする 少なくとも1カ月半、2カ月かかる

鵜の生息地 茨城県 絶壁の人間の寄りつかないところは休憩場所なので、そこに飛んでくる
竹にもちを付けて其れを羽根の元に、ちょっとあてがうと鵜が怖じけて飛び立とうとするときにぱっと捕まえる
ぬるま湯で身体を洗うと落ちつく 初めが肝心で、第一印象が大事 気持ちをにこにこして対応
自分に偽りを持たずに、有りのままで生きてゆくと、俺もお前のために手伝ってやると云うのが基本であり、全部だと思う
「おもしろうて やがて悲しき 鵜飼いかな」 芭蕉 

この世を去る時に、有難うございまいたと、生かさしていただいて、この世にいさしていただいてありがとうございましたと、去っていける人間になりたいと思っている
遊覧船にたいして、郷に入っては郷に従う と言う姿勢、心がないようなきがする
人間の心を育てる場所が昔に比べると、本当に少ないんじゃないの
鵜が死ぬと新しい鵜が来るが、来ると俺はこういう生き物やと 先ず教えてくれるので、先ず吃驚するが、そうですかと、最敬礼して、鵜との生活が始まるわけです
人間の休みとは、他の生き物との出会いをさせるために、休みがあるのではないか
自然界の営みに沿って、人間もそこの何十万種の一種にすぎない
自然界の営みに合わせて、物事をやらないと、やっている意味がない
その出会いのために休みがあるような気がする  鵜飼いを利用してほしい
それに合致する内容をこれからやろうと 

出会うのはほかの生き物との出会い 出会って手を合わせる その先には樹や草 
それに対して最敬礼をする 自然界に対して最敬礼をする そこで心が穏やかになる
鵜飼い こういう自然の営みもありますよ と 
昔から鵜飼いはかがり火を見てよし とする  鵜が魚をとる所を見なさいと云う教えは無い
最後に有難うございました と3回言うと お客様も反応があり、 有難うと手を振る 
そうすると心と心が出会う  そうすると船の中、全部が輪になる
6人が並んで鵜飼いをするときに、年齢も違うし、技術も違うので、見よう見まねで覚えてゆく
働かない鵜もいるが、実社会では早く辞めろと云うような風潮があるが、その人はちゃんと役割りを以ってきている、それを見る目がない見る人が、それだけの事
鵜でも魚の数は決まっている そこに鵜が全部集中したってしょうがない、たくさんとれるわけではない  3羽、4羽がばばばと,獲る 

えにし、縁と言うものを重視しなければいけない 
今は、鵜匠を育てるために鵜飼いをやっている 漁をするため、お客さんに見てもらうために
やっているのではなく、縁あって鵜匠をやって、鵜匠を立派なものに育てるために、自然界の鳥がここへ来て、そうやって此の人間を育てる、ひいてはそれが鵜飼いが永遠に続く
いろんな働かない鵜でも、一緒に生活する事でこの人間の幅が広がる
鵜匠を育てるために今の長良川がある 育ったら自分の想いを 有難うと言って そこへ来た人が味わっていただければ、酒よりもあの最後の時間が良かったなあと 云ってもらえれば 鵜が教えてくれた事が意味がある

鵜飼いを世界遺産に、という下準備をしている
河川工学の先生と打ち合わせを先日した
自然の場所とそこに住んでいる人間が旨い事云っていると思う
他の国で鵜飼いが続かなかったという事は、そこの自然とそこの人間とが合わないし、いろんなものがピタッと合わなかったから、続かなかった
いろんな条件が合致したから、日本では続けられることができた(清流、魚、金銭的援助等)
日本には33000本の川があるが川を見ているので、昔の川に戻したら、日本も変わるのではないか