2013年9月19日木曜日

山田二郎(虎造の次男)      ・甦れ、浪曲師広沢 虎造

山田二郎(虎造の次男 虎造節保存会名誉会長) 甦れ、浪曲師広沢 虎造
広沢 虎造 昭和10年代から40年代 にかけて、浪花節、浪曲は、落語や講談をはるかにしのぐ人気でした
中でも次郎長伝、石松三十石船道中記等 「江戸っ子だってねー 神田の生れよ  酒飲みねえ寿司食いねえ 馬鹿は死ななきゃ治らない」など 誰一人知らぬ者がいないほどの流行語になりました
人気絶頂の虎造も、脳溢血で倒れ、リハリビの甲斐もなく、昭和39年世を去りました
今年で50回忌を迎えます
山田二郎さんは昭和11年 早稲田大学卒後、スポーツアナウンサーとして活躍、6年前から虎造節浪曲コンクールを主催、今年12月25日 浅草の木馬亭で歴代の優勝者に依る広沢 虎造50回忌名人大会を開催する予定です

名調子、子供のころに聞いたのがそのまま残っている
親父の浪曲、節もそうですが、語りがうまい印象が残っている
啖呵読みの虎造といわれていた  啖呵が50% 節が50%だった  他の方は節が70%だった
江戸っ子で芝の生れ 東京で浪花節の師匠のところに行ったが、玄関払いを掛けられてしまった
(弟子が多くて、)
大阪で兄が電気屋をやっていて、大阪に行く 友達に紹介され、広沢館(浪曲専門の寄席) 広沢虎吉二行くことになる
たまたま前座が病気になり、やってくれと言われてやったのが、気にいられた

関東、関西は三味線の調子が違う(関東は高い)、節周り、読み物も違う
寅吉が亡くなって、初代虎造が寅吉を継いで、虎造をもらった
広沢は関東では知られていなくて、名を広めて来いと言われて、関東に戻ってきた
関西節を取り入れて、独自の物を作りたい、と思って作ったのが虎造節といわれる独特な節回しになった
見こまれて、山田さんという興行師のところに、養子に入る
結婚した奥さんが(芸名、みや子)は虎造さんの合い三味線を担当することになる
昭和11年 山田二郎 私は 虎造さんの次男として生れる
もう浪曲界のスターだった 子煩悩だった    父は野球、落語が好きだった
スポーツアナウンサーを目指すことになったのは、親父のおかげだった
当時、浪曲は落語や講談よりもはるかに人気があった

明治大学に浪曲部があって、そこの顧問になる その時の生徒が島岡さん(ラクビー)松木謙治郎(野球)、等がいた
大学生にファンがいたほど、人気が高かった
戦後、人気が衰えずドンドン高まってくる 
昭和25年にはアメリカに公演に行って大好評だった(ハワイ、サンフランシスコ、ニューヨーク、シカゴ)
(日系の方が外国にいたので要望があった様だ) 翌年ブラジルにも行く
昭和26年民放が開局して、虎造アワーができ(水曜日8時)、好評で虎造が倒れるまで続く
民放ラジオが人気投票をやったら、美空ひばりさんを抑えて虎造が1位になったことがある
当時他に人気のあった人 寿々木代米若 玉川勝太郎 伊丹秀子 天津羽衣 二葉百合子
天津羽衣さんは三味線以外に初めて違った楽器を使ったが、周りから非難されて、虎造節で自分も非難された経験があったので、虎造が面倒を見ることになる

三波 春夫村田英雄等が出てくる
村田英雄の父親と親交があり、村田英雄の世に出るきっかけになった
父が掛けている眼鏡は伊達眼鏡だった 
ソフトをかぶり、ステッキをついて歩いていて、お洒落だった
女性にもてた  大阪にも愛人がいた
私が高校1年の時、姉と共に甲子園に行き、泊り場所に姉が連れて行ったのが、愛人宅だった
春休みになると、大阪に行き泊ったりしていた  母親も愛人がいることは知っていた
如歳ない人で私も親しくなってしまった
三宮 映画館で昼間は映画 夜は虎造の独演会だった そこに行ったが、3階まであったが、人がびっしりで吃驚した  入りきれないので舞台にも座っていた(人気の高さに吃驚)

清水次郎長伝は18番 
もともとは講談ものだったが、面白いという事で取り入れる(シリーズにする)
清水次郎長伝のなかでも、「三十石船 道中記」 懇談の内容を膨らませて、最も有名になる
語りが軽くて、面白い要素がたくさんあったのが、第一人者でいられた原因ではないでしょうか

山田二郎さんは早稲田大学を卒業後、NHKのアナウンサーになるが TBSに行くことになる
スポーツ中継を中心に活躍することになる 木村誠順の様なアナウンサーになりたかった
父は昭和36年に2度目の脳溢血で、言語障害になってしまったので、舞台には立つことができなかった
昭和37年に引退 引退興行をする  終わってから、これからどうしたら良いんだと、生き甲斐が無くなってしまって、急激に衰えて、昭和39年12月29日に亡くなる
その頃から浪曲界が衰退してくる(全盛期を支えた来た他の人たちも亡くなってくる)
若い人たちは、浪曲を聞いていない 1回でもいいから聞いてほしいと思う
虎造節保存会名誉会長を現在やっている  
最初やる人はいないだろうと思っていて、第一回コンクールをやってみたら14人参加 (テープ審査で絞って14人にした)
現在チャンピオンが4人いる 12月25日に 寅造50回忌という事で、浅草 木馬亭で行う事になる