2013年9月9日月曜日

木村孝禅(住職)         ・震災後、子供の居場所を作りたい

木村孝禅(住職)   震災後、子供の居場所を作りたい
1969年宮城県石巻市生まれ 東日本大震災で親や家を失ったり、生活が困難に成ってしまったなどの理由から、親元で生活できなくなった子供たちが数多く生まれました
こういった子供たちのために立ち上がったのが、木村さんです
木村さんは子育て支援を行うNPO法人、「宮城子供養育支援の会」を設立したうえで、去年自ら借金をして、自宅敷地内に子供たちと一緒に生活するファミリーホームを完成させました
現在中学生、高校生二人の子供を引き取り、養育里親として、木村さんの小学生の実子、3人と一緒に生活をしています
木村さんが子供達の支援のいきさつ、ファミリーホーム建設までの道のり、子供たちとどう向き合い育てているのか、お聞きしました

木造2階建て 2階は4畳半の個室、6部屋がある  中学2年、高校生の二人をあずかっている
大震災当日は 寺に向かっていたが、子供を迎える手立てが無いと聞き、急遽保育所に行き、3人を御自宅に届けてから、寺に向かったが、伽藍の中はめちゃくちゃだった
津波が到達したことはラジオでするは、被災の程度はわからなかった
支援物資を避難所に配るという事から始めた (支援物資を寺に送ってくれるようになった)
小学校の方に伺ったが、子供達の様子を見ると、両親が助かっているものかどうか、が解らない状況だった
3月下旬、4月になると様子が段々安否が判るようになり、寺としても、火葬では対応できなくなり
土葬することになり、土葬時に読経すると、いう事になる
親御さんが亡くなったんだなあと、言う事は直に感じた

親御さんを無くしたり、家族を無くしたりが多くあり、子供さんの居場所が必ず必要だなあと感じた    
親族里親、が子供の養育することがあるが高齢化している
避難所で両親が見つからない子がいた   祖父母が面倒を見ていた
10年子供ができなくて女の子がようやく出来て、この子が20歳になるまで生きれるかと、節なる思いが胸にぐっと来た
私自身が何かできないかなあと、思った
傾聴活動をしていたが、親御さんなりがゆっくりとした時間を過ごしてもらうために、子供さんを一時的に預かって、託児所的なことを始めた
石巻には児童養護施設が無くて、県に呼び掛けたりした
歴史的に沿岸部には里親が沢山いたが、減って行って、今回の震災で受け入れ態勢が無く
、石巻は社会的にも逸脱する子供が、人口の割に多い地域で、地域で育てるスタンスを取っていきたいと思った

行政の方では建設は出来ないと言われて、実際に活動する事から、地域の方から、認知され、被災に在ったお子さん等の家庭にも、地域にこういった施設があるという安心感を先ず種として蒔きたいなあと思った
NPO法人作る おととしの11月に設立  目的、事業を明確にして活動開始
昨年6月にファミリーホームを設立 宮城子供養育支援の会
地域の方々の子育ての相談、被災家庭の集う場所 個々の問題の相談に乗れる事 
障害を持っている家庭の軽度の障害の子供さん、お母さんを雇用して、工房と5つの事業を展開している

条件にふさわしい人を雇用して、我々がサポートするようにした
自宅の敷地内に建設する 2000万円ちょっとかかっている(自宅を担保に借金をする)
震災当初からの活動の中で、自分の命は生かされていると強く感じた
亡くなった方々の代わりに、生かされた自分の命をどうにか社会のために使う、そういった人生を歩むことを、なんとなく決断した
最初落ちつかない様な雰囲気があった  
あずかっている子供さんの個室が必要を感じた
保育士、児童養護施設で働いた人、乳児院で務めていた人などが預かっているお子さんを社会の一員として、自立させるという共通の目標を持ってそれぞれの視点から、日々の生活の中から養育してゆくという方針を作って、運営しています

それぞれの体調を把握しつつ、育った環境を理解しつつ、子供たちの自尊心をわきまえて対応している
施設運営費用 2人の委託費を県と国から頂いているが、実際的には運営できないので、民間の助成金申請して、寄付金、年会費をいただいたりして運営している
昨年始めて、600万円の赤字だったが NPOとしては500万円の黒字だった
賛同者の寄付、チャリティー、募金のNPOへの寄付 、企業等の大きな助成金等に依る
中学2年生の子は震災当初は施設にいたが、親族の方の家が流されたりとか、大きな怪我をしたりとか、養育する環境が整っていないというところで私の方で引き取った
背景としては児童相談所さんからの委託 軽度の障害を持っており、コミュニケーションを取るのが難しかったが、段々実の子と同じようになって、悪いこともしっかり伝えるようになった

震災当初、母子家庭 母親が体調を崩して、私のところに来ることで通学が断然近くになるので、児童相談所から委託された
高校生の子は前から学校に行きたがらない子だったが、一緒に買い物に行ったりして、自分一人で将来生きていくという自立の部分で、唯学校を卒業するだけというのではなく、社会に出て自ら人生を歩んでいけるすべを育てることが重要な部分としている
中学生の子は手先が器用なので、進学を含めて、技術的な部分を導いていけたらなあと思っている
実子 3人いる 小学4年(男)、2年(双子の娘) 
最初は家族がたくさんになり、はしゃいでいたが、小学4年生の子が(3年の時)学校に行くのが嫌になったり、学校に行っても保健室にいたりだとか、精神的な部分で何らかの影響があった
失敗したのかなあと心の中にあったが、息子も一緒に暮らしたいとの思いもあったので、踏ん張りどころと思って、ある程度の距離感も必要と思い、生活時間帯が違うので、夕食の時はゆったりした時間を取るようにして接した

妻も寺で生まれて、駒沢大学を卒業してから修行に行って、保母さんの資格を取っているが、理解が難しいと思っても、いろいろやっているので、正義感は強いのかなと思っている
負担は大変だと思う
問題があると一人で抱えるのでは無く、職員皆で共通の問題として捉えるようにした
気持ちをやる気があれば、お子さんを預かることができるという、モデルケースを加味しながら
私たちがやってることによって、社会の方々ももしかしたら、私たちにも一人ぐらいは預かれるのではないかという里親が、多くなっていただくというところも私の心の中にはあるのですが

被災という部分からすると、津波で、建物、人的被害があるが、人間の命というものは直したり、戻ってくるものでは無い
日々、人が亡くなるという事は現実なので、亡くなった方々残された方々とどう向き合っていくかを考えたところ、前に進むしかないので、亡くなった方々への供養、生きている方々への「布施行」(仏教語) 施す気持ちはいつも持っていたいと思う
思うのではなく始めるという事が大切だと思う
子育ての相談事業 震災後の悩み DVの問題が一番多い 父親からの暴力、生活費用の不足、等の相談を受ける場合が多い
電話、直に聞くが100%男が悪いというようであるが、お互いにどっかに非があって、非を消火しないといけないので、もう一度ゆっくりお互いに話し合ったり、改善するところは改善することが大切だと思う

個々の自分の主張があるが 親であるという気持ち 子供達を第一に考えて、自分たちの日頃の考えや、生活をととのえてゆくことが大切だと考えている
社会的養護を必要としている人は全国的に増えてきている
虐待を受けている子、親が何らかの精神的な不安定な状況で家庭にいるのは、危険な状況下であるので、ファミリーホームとか里親とか、多くの地域に増えて来る事に依って、受け皿、地域との連携が図ることができれば、虐待、DV家庭の情報源にもなるし、抑制になっていくのではないか
人間としてはまだ成長過程に在ると思うが、住職として考えると、宗教者なので、仏から私たちは御加護をうけているなあと、日々感じています
私自身間違いとか、多々あったと思いますが、地域の児童福祉、地域の方々の幸せを一つの目的として、今後も歩んでいきたいと思っています