高野宏康(東京都復興記念館調査研究員) 当時の若者たちが見た関東大震災
関東大震災から90年 今年5月から墨田区横網にある東京都慰霊堂と復興記念館に残されている遺品の整理などを行ってきました
高野さんは今年新たに注目したのは当時の子供たちが関東大震災をどう見て居たかです
当時の子供達が描き残した作文や絵画、大学生が自発的に作った避難者カードなどから90年前の震災を、当時の若者達はどう見ていたかを分析して、今日から復興記念館などに展示します
大学院で大正時代から昭和初期の政治家の勉強していた
神奈川大学 北原糸子 災害史の研究が有名な人 関東大震災の資料の調査の研究プロジェクトを立ち上げるので、参加しませんかと言われて、調査するようになったというのが、きっかけ
2008年からプロジェクトが立ち上がってからは、復興記念館と、東京都慰霊堂に収納庫の中に12000点の膨大な資料が未整理の状態で保管されているので、それを整理して分析するという研究プロジェクトだった
生の資料はそれまでほとんど見たことが無くて、本当に驚いた
本所、被服所跡にある 避難場所で関東大震災時、4万人が集まってくる 9割以上が亡くなった
関東大震災の象徴的な場所 復興記念館、慰霊堂があるところ
復興記念館で企画展を開催する 子供に関する資料を展示 (絵画、作文、学校の日誌など)
「子供が見た関東大震災」というタイトル
作文は簡潔に誰とどこに行って、はぐれたり、友達が無くなったり、描かれている
(震災1周年目に体験を描いた) 196校から寄贈されたが、今残っているのは15校分
震災時の行動、復興の在り方はこうした方がいいとか、高学年になるとそういったことが書かれている
後藤新平の壮大な復興計画が大きく縮小されてしまうが、子供ながらにもっと予算をつかったほうがいいとかも、書かれている
流言飛語 津波が来る、富士山が噴火する、朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、聞くがそのようなことは無くてよかったと、作文を締めくくっている(1周年を振り返って)
昨年、北原糸子先生と一緒に静岡福祉大学の図書館で、津波の展覧会をやっているという事で、見学に行った
三陸津波、ラフカディオハーンの津波の話を基にした小説をかいたもの、 等の展示、関東大震災の展示ができればいいと話があり、是非子供の展示がしたいとのことが最初だった
それがきっかけで子供が見た大震災の様子を提示することになった
学校の日誌、震災後、どういう風に学校が対応していったのか、子供の状況がどうだったのかが解る
復興史、先生の体験記、先生の思いが書かれている
146枚の絵画が1つの学校(本横小学校 現在は無くなっている)で纏まって残っている
高田力蔵先生(後に有名な画家になる) 23歳 震災の絵画を指導している
とにかく自由に自分の個性に随って、自分の体験を書きなさいと指導している
見た方が、それぞれ受け取ってくれればいいと思っているが、絵画ですと3つのテーマ
①火炎(恐怖感) ②避難(状況) ③救援、救援物資(米俵等 救援された嬉しさ)
救援物資を整然と並んで待つ姿が絵ががれていて、今回の大震災にも通じている
自警団に呼び止められて、話を聞く状況
児童雑誌、と紙芝居の展示 高橋五山、児童雑誌編集者 原本と復刻版(手に取って読める)
避難者カードを自発的に作った 震災後、自分の家族がどこにいるか分からないので、それを確かめる為のカードを作っていた
まとまった形で2万枚あって、復興記念館に寄贈されて、今に伝わっている
活動の中心になったのが学生で、ボランティア的に作ったカードです
東京帝国大学の学生が、自分たちで何かできないか、最初はし尿処理を取り組んでいたが、行方不明になった人をなんとかしなければいけないという事で、東京市警調査会が後藤新平が作った組織、避難者の情報を把握する必要があって、組織を作るが、そこで学生たちがボランティアという形で、図書カードを使って避難者の名前とか、簡単な情報を記載した
日比谷公園の近くにテントを設けて、其カードを来た人たちが見れるようにした
意義のある活動だった 普遍的な人の想いがあると思う
復興の取り組み、無名の職員の一人一人の意識が高い
復興記念館、慰霊搭の知名度が低いので、今後沢山の人に知ってもらいたい
いかに分かりやすく大事なことを、示せるのか 何を伝えてゆくのか、何を受けとめるのか
入口を作ってゆく