2017年10月29日日曜日

釜本美佐子(日本ブラインドサッカー協会)・【スポーツ名場面の裏側で】釜本姉弟、サッカーを語る

釜本美佐子(NPO法人日本ブラインドサッカー協会代表理事)
釜本邦茂(日本サッカー協会顧問)
・【スポーツ名場面の裏側で】釜本姉弟、サッカーを語る

ア:釜本邦茂選手はメキシコオリンピックで6試合で7得点を取り、大会の得点王となる。
釜本美佐子:視覚ブラインドサッカーはかなり知られるようになってきたが、認識ではまだマイナーではないかと思っています。
視覚障害者ですら視覚ブラインドサッカーを知らない人がいます。
ア:2004年のアテネから正式種目になり、日本は4回のパラリンピックではまだ出場がない。
釜本美佐子:2020年の地元開催と言うことで、今回初めて出場することになりました。

釜本美佐子:5人兄弟で兄が2人、私がいて、下に邦茂(4歳違い)、その下に妹がいます。
弟が中学に入って、何にしようかと思ったときに、その時に私がサッカーを勧めました。
釜本邦茂:もしかしてオリンピックに出られると言われて、サッカーにしました。
釜本美佐子:私は英語を勉強する方向に行きました。(海外が一つのモチベーションになったと思います)
ア:大阪外国語大学で英語を学んだ後、通訳の試験に合格、大手旅行会社の第一期のツアーコンダクターとして採用されて、140カ国余りに日本の旅行客を案内しました。
講演、旅行の本も数多く出版、10数年後子供たちのための英語塾を開きました。
50歳過ぎに突然目の病気で、いずれ失明すると宣告されました。
日本ブラインドサッカー協会を作ることになって、2002年発足と同時に理事長となってそれから15年協会のトップを務め続けています。
5年前視力が全くなくなりましたが、一人でマンションで暮らし、ブラインドサッカーと視覚障害者のための活動に忙しい毎日を過ごしています。(現在76歳。)

釜本美佐子:ツアーコンダクターと言うことで海外に行くと言うことになったのは一つの分岐点だったと思います。
突如目が見えないと言う状況になり、すべて放棄しなくてはいけなくなり、それが一番の精神的ショックでした。
網膜色素変性症協会に入り、会長もやって、目が見えないと言うことを受け入れることが又大きな転機になりました。
徐々に見え無くなって行って、色もピンク、黄色が見えなくなり色合いの世界も無くなっていきます。
今は全く見えないが、家の中では日常生活、料理も自分でやっていて外出はヘルパーさんが来てくれるので毎日の生活としてやっています。
網膜色素変性症は日本に3万人いると言われる。
「3秒悩んで決める、判断基準は後悔しないこと」
決断は早いです。
間違っていたら決断をし直せばいいし、くよくよ悩まないをモットーにしています。

釜本邦茂:気が強いし、凄いなあと思います。
楽しい自分の人生をしているなあと思います。
釜本美佐子:早稲田大学の最後の試合は家族全員で見に行って、就職先が決まっていないと言うことでしたが、翌朝の新聞でヤンマーに決まったと新聞に書いてあり、新聞で知りました、自由な家族だったと思います。
釜本邦茂:ブラインドサッカーのことは全然知らなくて、やり方も知りませんでした。
釜本美佐子:2002年に日韓ワールドカップが行なわれたが、2001年に韓国に行って視覚障害者のブラインドサッカーを導入して、普及活動を11月に大阪府立盲学校で行いましたが、その時に弟が来てびっくりしました。
釜本邦茂:大阪協会の岩井さんに観に行きませんかと言われて行きました。

釜本美佐子:ブラインドサッカーは私の後半の人生を大きく変えてくれました。
視覚障害者がサッカーが出来る、こんな素晴らしいことはないと思いました。
日本でもやらなければ、と言う思いで韓国から帰って来ました。
5人制のサッカー 4人が全盲、全盲に近い 40m☓20mの面積、ゴールキーパーが一人。
声を出してくれるガイドがいて、ボールはシャカシャカと言う音が出るようになっています。
条件を同じにするために、全員がアイマスクをします。
声を出せるのは選手とガイドと監督だけです。
ボールを取りに行く時は声をかけないと反則になります。
シーンとして観客には見てもらいます。
釜本邦茂:横田基地から飛行機が飛んで来た時には試合が中止になった時がありました。

釜本邦茂:ブラインドサッカーのポスターに出ました。
ア:京都山城高校で高校日本一になり、早稲田大学では天皇杯の2回の日本一に成り、大学2年の時の東京オリンピックでベスト8のメンバー、メキシコオリンピックではブラジル、スペインと引き分けて決勝ラウンドに進み、順々決勝の時フランスに釜本さんが2点を入れて勝ち、準決勝ハンガリーには破れたが、3位決定戦で2点を釜本さんが入れて2-0で勝ち銅メダル、この大会では7点をあげて大会の得点王となりました。
ヤンマージーゼルではリーグ7回の得点王、チーム優勝4回黄金期を築き、日本代表を14年間務め日本サッカー協会の最多得点保持者になっている。
ガンバ大阪の初代監督、日本サッカー協会副会長、参議院議員を務める。

釜本美佐子:一番の追っかけは母親で私は二番目でした。
釜本邦茂:海外のプロチームからのオファーが5カ国からありました。
行くのだったらドイツと思ったが、肝炎になり行きませんでした。
ア:ブラインドサッカーでは3年前世界選手権で12カ国が出場、日本は6位、現在ランキングは8位。
釜本美佐子:選手の若返りが必要で、ここで若返りをしないと2020年が苦しくなるという危惧があります。
競技人口は日本選手権の出場チームは全国で19、20チームになってきています。
釜本邦茂:日本のサッカーチームも若返りが必要だと思います。
今は役割が決まっていなくて、点を取れないことにもなってるのかもしれない。
11人同じ練習をしていてもしょうがないと思う、個人の練習をしないといけない。
スペシャリストを作ってほしいと思っている。
強くなってゆくためには①普及、②強化、③財政が豊か、3つの要素が必要。