2017年10月6日金曜日

荘村清志(ギタリスト)          ・70歳は通過点(2)

荘村清志(ギタリスト)       ・70歳は通過点(2)
スペシャルプロジェクトと言うのを始めて、3年間で4回特別なコンサートをする計画。
普段できない様な形の演奏会をやろうと言うことで、第一回目が今年の3月、さだまさしさんをお呼びしてジョイントコンサートをしました。
さだまさしさんは子供の頃からクラシックのバイオリンを一生懸命プロを目指してやっていました。
小学校5年の時に全日本コンクールの西日本大会で2位になったりしました。
歌だけでは無くて、バイオリンもやっていただくことになりました。
ピアソラの「デュエルタンゴ」、「オブリビオン」 、「カヴァティーナ」の3曲をやっていただこうと言うことになりました。
素晴らしい演奏をしていただきました。
さだまさしさんから歌を歌うように言われて、初めて人前で歌を歌いました。
さだまさしさんはお客さんを楽しませる話をされるので楽しいです。

第二回目は来年6月6日にやることが決定していまして、バイオリンの古澤 巌さん、彼とは前からジョイントコンサートをやっています。(アコーディオンのcoba (コバ  小林 靖宏 )さん、テノール歌手の錦織 健さんも呼びます 3人のゲスト)
武満徹さんには、1974年のリサイタルの時にギターのオリジナル曲がなかなか無かったので、武満徹さんにいきなり電話をして曲のお願いをしました。
断わられるかと思ったが、ギターを持って来なさいと言われました。
武満徹さんは柔らかく、優しく、ユーモアもあるし全然イメージとは違っていました。
5回目にお会いした時に曲がかけそうな気がすると言われました。(1973年9月頃)
野球の話になって、巨人がファンだと言ったら、曲を作るのはやめたと真顔で言われてしまって、これからタイガースファンに成りますと思わず言ってしまいました。
武満徹さんは純粋で子供の様なところがあります。
「フォリオス」という3部作が出来上がって、楽譜を頂いたと同時に巨人ファンに戻りました。
その後家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています。

25年周年リサイタルがあり曲をお願いしたのですが、物凄く忙しくなっていて、無理だと断られたが、30分後に電話があり広告に予告を載せなければ書いてもいい(間に合わないかもしれない)と言われて、その後3カ月に「エキノクス」と言う楽譜と手紙をいただいて感動しました。
武満徹さんはギターと言う楽器が好きなようです。
武満徹さんは95年に体調を崩されて、入院されて、2週間に一回見舞いに行っていましたが、はがきが舞い込んで吃驚しました。
「・・・明るい顔を見ると希望がわいてきます。
まだもう少しの辛抱ですが、頑張る覚悟です。
出たらギター曲、良い物を一曲 きよちゃんのために書くつもりで寝ながら構想を練っています。
楽しみにしていてください。」

武満徹さんにある御代田の家に来ないかと言われて、出来上がっていて吃驚しました。(1995年11月)
「森の中で」と言うタイトル 3曲あって大自然をテーマにした作品。
その2曲目を頂きました。
武満徹さんは1996年2月20に亡くなりました。
武満徹さんはあらゆるジャンルの音楽にアンテナを張って聞いていて、色んなものを吸収しようとしていたようです。
「オーバーザレインボー」をアレンジしてくれました。
他にビートルズとかを含めて「12の歌」と言うタイトルでレコーディングしました。
僕がクラシックの硬い演奏をしていたので、音楽に酔いしれてギターを楽しんで弾いてくれればいいなあという思いで、12曲をアレンジしたと言うことを武満徹さんの奥さんから、武満徹さんが亡くなられたあとに聞きました。
*ビートルズ「ミッシェル」のアレンジ曲  荘村清志演奏

スペインにいたときに武満徹さんと一緒に旅行をしたこともあり、楽しい思い出がたくさんあります。
ナルシソ・イエペス先生からは「間の取り方」を勉強しました、間の取り方を自分で見つけて、その間の取り方を取る事に依ってその曲が生きてくる。
武満徹さんからはいろんなものから学ばなければいけないと言うことを学びました。
岸田今日子さんからも詩を朗読する迫真に迫る気持ちの集中する姿、芸の力に感動しました。
2015年イ・ムジチ合奏団(イタリアの室内楽団)と演奏旅行をしました。
スペシャルプロジェクトの3回目はバッハの演奏会をやりたい。(2019年春)
4回目はオーケストラとの協奏曲の夕べ、みたいなものを考えています。
常に吸収すると言う事をやっていれば表現力が増してゆくと思います。
人間は進歩することが快感につながってゆくと思います。
歳を取ったから衰えて行くのではつまらない、歳を取ったからこそ素晴らしいもの、味が出てくると言う事でないと生きていてもつまらないので、そういう路線でこれからもやって行きたい。