2017年10月25日水曜日

大野田勝行(元航空工学エンジニア)    ・命を守る飛行機を

大野田勝行(元航空工学エンジニア) ・命を守る飛行機を
戦時中日本軍が行っていた特別攻撃、特攻、そのために開発された兵器の一つが航空機型の特攻兵器、「桜花」です。
神奈川県横須賀市に有った海軍航空技術廠でひそかに作られました。
名古屋市に住む大野田さん(95)は「桜花」の設計や製造に携わったエンジニアです。
当時どのような心境で「桜花」を作っていたのか、戦後も旅客機の開発に携わった大野田さんは今飛行機にどのような思いを寄せているのか伺いました。

「桜花」はロケット機で自分からは飛べない、飛行機にぶら下げて行って、ロケットに点火して飛び出す。
ロケットエンジンで目的に突入するわけです。
「桜花」の操縦席の前は爆薬、操縦席の後はロケットエンジン、真ん中に兵隊さんが乗る訳です。
着陸する車輪もない、(そりの様なものは有るが)
長野県の松本で生まれて、松本飛行場があってよく遊びに行きました。
子供のころから飛行機にあこがれました。
旧制中学を卒業後、浜松高等工業学校(静岡大学の前身)で航空工学を学ぶ。
大学卒業前に技術士官コースを受ける。
三菱重工の試験を受けて、受かって入社して直ぐに海軍に行きました。

軍艦に乗せられて中国の青島に連れて行かれて、山東大学に行ってしごかれました。
ボートが一番厳しかった。
11月だったので北海道よりも北なので、凄く寒いし、ボートのしごきで尻も痛んだ。
内地に戻ってから海軍航空技術廠(戦闘機の開発拠点)に入りました。
ほとんどものは作らず、作ったのは「桜花」位です。
三菱もここからの指示で行い、海軍で受け入れるかどうかを審査するところです。
堀越さんがゼロ戦を設計したが、海軍で使えるかどうかを審査するところです。
「秋水」ロケット機は、ドイツのロケットエンジンを潜水艦で持ってきた。
「桜花」の全長は5~6m、ジュラルミンで表面は塗っていない。
人がはいるところは狭い。(無駄なものは一切ない、軽いことが大事)
普通、落下傘を座席のクッションに使ったりするが、それも無い。
生き延びることは考えない、お国のために命を捨てると言う事だった。

日本は国産が厳しい、ジュラルミンを作り出す資源がほとんど無かった。
鉄板を薄くして軽く細工してジュラルミンに代わる方法はないか、などを考えました。
工場見学に行ったことが有るが、品川で部品を作っているのが、駆り出された芸者衆、飲み屋等の女の人でした。
回天
」特攻潜水艦は人間魚雷だが、「桜花」は人間爆弾ですよ。
軍艦に向かうが、仕留められればいいけれども、ほとんど駄目ですよ。
そのようになるんではないかと憶測は有りましたが、作らなければいけない状況であった。
横須賀の空軍廠にいるときに学生時代の同級生が、特攻隊を志望していてお別れに来ました。
横須賀の飲み屋に行って話したりしたが、逝ってしまいました。
特攻に行くことは彼は言わなかったが、それとなくこちらもわかってしまいました。
戦争は国のためになんとか耐えて勝たないといけない、という気持ちにみんななってしまう、それはしょうがない。

「桜花」を一機作れば一人誰かが亡くなるがそれでもつくらなければいけなかった。
「桜花」50機を航空母艦「信濃」に積んで南方の戦場に輸送しようと思って房総半島を出たら、潜水艦にやられてしまって全部沈んでしまった。
誰も乗ることはなかった、聞いた瞬間は物資の無い中せっかく並大抵な苦労ではなく作った物が沈んでしまって、くそっと思った、涙が出ました。
50人が助かったのでよかったという気持ちには直ぐには成らなかった、それは複雑です。
目的を達したとしても特攻の人達の事を思えば万歳と言う訳にはいかない。
戦争は矛盾だらけ、でもそれが戦争。
戦後、三菱の名古屋の工場が焼け野原になり、長野県の松本に移りました。
そこで農機具の設計などをやり、私は脱穀機を設計しました。
その後名古屋に戻ってきて、国産機の開発を目指しました。

昭和34年 国産プロペラ機MU2をリーダーとして開発に携わる。
ゼロ戦などはレシプロエンジンと言いますが、ターボプロップエンジンはジェットエンジンでその推進力をプロペラに変えるものです。
ドイツのハノーバの航空ショーに出すために、ゼロ戦のパイロットと一緒にドイツの航空局に行ったが、ドイツにもメッサーシュミットと言う戦闘機が有りそのパイロットがいて、2人で審査することになった。
結果的に700機以上を売り出した。
飛行機を作ると言う仕事が出来ると言うことに対して幸せだと思いました。
「桜花」は夢がない、MU2は夢がある、それが一番大きな違いです。
「桜花」を使ったら命を断たれる、MU2は夢を運べる。
好きなところへ行けるし、ビジネスでいい仕事が出来るとか、色々エンジョイできる。
もっと平和に安全に向かってほしいと思います。。
トラブルフリーの乗り物の代表みたいになってほしい。