2017年10月14日土曜日

渡邉文隆(京都大学iPS細胞研究所)   ・研究に託す思い、受けとめて

渡邉文隆(京都大学iPS細胞研究所)・研究に託す思い、受けとめて
2006年に京都大学の山中教授がマウスから初めてiPS細胞を作ることに成功して注目され、翌2007年には人のiPS細胞を作ることに成功、2012年にノーベル賞を受賞して、世界から注目を集めました。
このiPS細胞の発見から 10年世界の研究の拠点となっている京都大学iPS細胞研究所では多くの研究者やスタッフが働いています。
その研究を支える財源は国からの期限付きの研究費が中心ですが、民間からの寄付も大切な役割をはたしています。
寄付を申し出る市民のみなさんの中には、自ら病気と闘っている人や難病患者の遺族もいて寄付の窓口には研究を託すさまざまな声が寄せられています。
京都大学iPS細胞研究所、所長室基金グループ長の渡邉さんにうかがいます。

オープンラボ、研究室が開かれた状態になっていて、壁が無く、隣の研究者らと意見交換が簡単に出来ます。
下のフロアとの行き来がしやすいように吹き抜けでラセン階段も有ります。
教職員数は約400人、研究支援者。
iPS細胞、幹細胞の一種、色んな細胞のもとになる細胞の一種、人工的にほかの種類の細胞から遺伝子を導入することによってつくられた多能性幹細胞で、2つの特性がある。
①さまざまな細胞に変化することができる。
②どんどん増やしてほぼ無限に作ることができる。
iPS細胞は再生医療と、創薬医療の2つの使い道がある。
①再生医療、弱ったり駄目になってしまった細胞にiPS細胞などから作りだして、移植をすることによって改善しようとするのが、再生医療の分野におけるiPS細胞の活用です。
ES細胞から研究は進められていました。
iPS細胞の臨床研究が一番最初に始まったのが、加齢黄斑変性という病気です。
網膜が病的に変性してしまう、そこに同じような網膜の細胞を植え付ける。

パーキンソン病の治験の計画、筋ジストロフィー、血小板減少症、じん臓疾患、ガンの研究などをしています。
パーキンソン病の原因となるドーパミンの不足、ドーパミンを生み出す細胞を入れるというのも有りますが、若い状態の細胞を移植して徐々に成熟していって役割を果たすようなやり方があります。
神経の病気の患者さんがいるとすると、患部は取りだして観察は難しいので、iPS細胞を使えば、血液を取ってiPS細胞に変化させて神経に変えてやれば、患者さんの神経細胞とほぼ同じものがたくさん得られる。
色んな薬を振りかけてどの薬が効くのか調べられるようになったのは大きいです。
iPS細胞を使えば動物実験だけではなくて、薬の効果を予め調べるツールとして使える。

拒絶反応は完全に解決した訳ではないが、汎用性のある移植用のiPS細胞を作って行くプロジェクトが順調に進んでいます。
がん化に対してはiPS細胞の作り方が進歩して、がん化のリスクが非常に少ない作り方が出来るようになっています。(10年前とはかなり違う作り方をしています)
国際広報室の中にサイエンスコミュニケーターと言う職種の人たちがいて、高い専門性と平易に説明する技術も持っている人達で、判り易く説明する活動をしています。
iPS細胞の持っている倫理的な問題を明確化、整理して対処法を検討する部門も有ります。
基金グループ、研究者をささえるスタッフを安定して雇用するには自主財源が欠かせない。
国からの支援があるが、資金は期間限定で有り、教職員の終身雇用はできない。
期間限定になっていて雇用が保障されない、400人のうち9割が期限付きの雇用になっています。
これからがまさに重要な10年、20年になって行くと思います。
技術員、特許化する人、広報員など研究を支援するスタッフは色んな研究チームの業務を手伝うスタッフなので、長く勤める人が多いのでその人たちの雇用を支えることは重要です。
iPS細胞研究所の場合は、基本特許について他の研究機関には無償で、企業にも安く提供し、特許料で雇用を賄うことはできません。

2009年にはiPS細胞研究基金を設置していました。(米国を参考)
多くの方々にこの基金の事を知ってもらえるような広報活動を行っています。
2015年度のiPS細胞研究所の総支出が73億円で8割が国からの期限付きの予算になっています。
9%(7億円)が国から基盤的なお金が毎年支給されて、iPS細胞研究基金からは5%(3~4億円)位です。
期限付きの予算が減らされる可能性もありますから、教職員を減らす可能性もあり、一般市民から集める基金を潤沢にしなければいけないことにもなります。

中学3年の時に父親(大学の教員)を食道がんで亡くしました。
高校で奨学金の事を知って、京都大学に理系で入学することになりました。
専攻は生理学、副専攻は社会学でした。
ボランティアに関わる様になり、エイズで父母を亡くしたウガンダの子供達のサマーチャンプでエイズの事に関心を持ち、ウガンダに1年間調査に行きました。
エイズ支援していましたが、村の中だけで500人ぐらいエイズで親を亡くした子供たちがいましたが、足長育英会が作った足長ウガンダの組織では150人しかケア出来なかった。
ウガンダでは何万人とかになり、アフリカでは想像できない数に上りました。
精神的に挫折して、違う道にしようと思いました。
親をエイズで亡くして、なお心臓に病気を抱えていた女の子(10歳)に出会って、そのままだと命が亡くなることがわかっていた。
友人と帰国してから募金をしようと言うことになり、友人と募金活動を始めましたが思うようには金が集まらなかった。(200万円必要)
最後に80万円募金してくれる人(医療関係者)がいて、インドに渡って無事に手術をして、今元気に暮らしているようです。
一人だけを助けるのは不平等ではないかと言われたりもしましたが。

7年間会社員生活をしました。
その後結婚して2010年子供が生まれて、先天的に異常(食道閉鎖症)があると言われて、生後1日目に6時間の手術をして、何とか助かりました。
これを経験してアフリカの家族の苦痛のことは何にも理解していなかったことが判りました。
日本の医療に恩返ししなければいけないと思うようになりました。
2013年6月から寄付金募集専門職員として勤め始めました。
年間14000件の寄付があります。
病気の子がiPS細胞研究を知って、手紙を書いてこづかいから寄付をしてくれたり、高齢の方から自分には間に合わないが子、孫が病気で苦しまないように財産を残して、それを使ってもらいたいとか、病気で亡くされた遺族の方からとかいろいろ有ります。
大切に使う義務があると思います。
医療従事者の現役を退いた女医のかたからの電話で、余りにも大きな額だったので、その理由を話されているうちに嗚咽が聞こえてきました。
自分が医師として治せなかった患者さんがたくさんいたが、引退して10年たつが忘れられずに、自分の代わりに新しい技術で患者さんを治してほしいと言う話でした。

2012年ノーベル賞を山中先生が頂いたときに、まだ一人も救ってない、と言っていましたが、数限りない難病があるので、今後5年、10年やって行くので息の長い基金だと思います。
ヤフーネット募金と言う仕組みがあり、そこと一緒にやらせていただいて1円分からの寄付が出来るようになりました。
クレジットカードの寄付もあり、又問い合わせ番号を判りやすい番号にしました。
0120-80-8748 80=走れ 8748=山中伸弥(