2017年10月11日水曜日

石澤良昭(上智大学教授)         ・アンコールワット修復は地元の力で

石澤良昭(上智大学教授)     ・アンコールワット修復は地元の力で
アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞をこの夏受賞されました。
この賞は毎年アジアの平和や発展に尽くした個人や団体に贈られるもので、これまでマザー・テレサ、ダライラマ14世などが受賞しています。
石澤さんの受賞理由は世界遺産アンコール遺跡群の修復や保全などに、半世紀にわたり尽力されたことでした。
石澤さんはカンボジアの世界遺産アンコール遺跡群の研究の第一人者で、1970年代のポルポト政権下での虐殺や内戦を乗り越え遺跡の修復や保全にあたって来ました。
大切にしたのは遺跡の修復や保全を現地カンボジアの人たち自身にやってもらうこと、資金の手当てに苦労しながら、半世紀にわたり粘り強く地道な努力を積み重ねてこられました。
石澤さんは現在79歳、遺跡修復にかける思いや、目指すものをお聞ききします。

私がカンボジアに行って行って感激したと言うのが、原動力だと思います。 
あれだけ大きな石造建造物、石造伽藍は世界に類例がない。
石が砂岩で積み上げられているのが、何処にもない、カンボジアだけにある遺産で、非常に技術的にもすぐれていたので、800~1000年もってきた。
しかし経年劣化により痛んできていますので、それを取りかえるのが私たちの修復作業の一部です。
解放勢力の避暑地であったので、守られてきたと言うことがあります。
もともとはアンコールワットはカンボジア流に作り直されたヒンズー教のお寺です。
中央塔は65mあり、それを800年前に作った訳で、技術料は凄いです、
クメール王朝、9~15世紀まで続く。
インドシナ半島のほとんどがカンボジア王朝で、小さなものからを含めると2300を超えると思います。

一番立派なものがアンコールワット。
中に壁に彫られているデバターと言う女神、アプサラス(天女)があり、メッセージがあるのではないかと考えています。
(デバター=遺跡のあらゆる所に女神「デバタ−像」があり、それぞれ表情も違っている。回廊の右には、左右四本ずつの手を持った高さ3メートルくらいのヴィシュヌ神の立像が安置されている。参拝に訪れた人達は、この像に手を合わせお祈りしていた。)
(アプサラス=インド神話における水の精で、その名は「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」の意。天女とも称され、一説では乳海攪拌の時に生まれた存在という。)

アンコールワットは接着剤を使わずに65mまで建てた。
石と石をすり合わせて、途中で水、砂をそこに噛みこませながら長く何回も磨っているうちに表面張力でピタッとくっつくわけです。
実験しましたが裏付けを取れました。
仏教のお寺に変えているが、そこを信仰の場所として村人の参詣が絶えません。
アンコールワットに寄せる思いは強いと思います。

1960年に大学4年生の時にアンコールワットに出かけて驚いてしまいました。
①65mまで大きいお寺を作る当時の建築技術は何なのか?
②作りだした当時の社会はどういう社会なのか?
2つの疑問をしっかり研究しようと思いました。
アンコールワットは大帝国だったと言うことが判りました。
ベンガル湾から南シナ海まで陸路で物が入ってきたんではないかと思います。
ヤシの葉っぱに文字が書かれていて、裁判記録、税金の文書などがあったが、無くなってしまって社会の仕組みなどが判らなかった。
古クメール語で壁に彫ってある文字を調べると、お寺に寄進して、寄付台帳を読むと、当時の社会構造、税金などの事が判った。
拓本にとって、少しずつわかって来ました。

1970年からカンボジアの混乱が始まり、24年間4つの派に分かれて戦ってきた。
1980年になりカンボジアの中に入り込み、ポルポト時代がいかにひどかったかが判りました。
TVの取材があり同行しました。
43名の知人がいたが知識人の虐殺に会い、3名の友人としか再開できず、自分たちの手で遺跡を直せるように、私どもが支援することを掲げてやって来ました。
破壊の原因は
①植物の根が石の間にはいって石を破壊する。
②雨水が地下にしみ込み、土台を柔らかくして、重いものが崩れてくる。
③カビが表面に付着すると蟻酸を出して石を溶かしてしまう。

若いカンボジアの人達に技術、保存方法を学んでもらって彼らがやれるように私たちが助けるわけです。
40数名各地に赴いてやってきてやって来たが、10年、間があって遺跡が損傷してきたわけです。
カンボジアの悲惨な状況を見て、黙ってはおれなかった、私の性分でした。
ポルポトの後の政権は国連に誰も席を持っていなかったので、誰も助けにこなかった。
上智大学のレスキュー隊として出かけてカンボジアの人たちを助けようと始めました。
人手が無くて、最初村人にアルバイトしてもらって根を切ったり、水を抜いたりしました。(一時的保全)
お堀は水草が生えていて、草を切りました。
5~6年は瞬く間に過ぎましたが、村人とは仲良くなりました。
色んな方から寄付を貰ったり、企業からも寄付をして貰いました。
数百万円/年かかるので、毎年寄付くださいと言うことでお金を頂戴しました。

アンコールワットを中心とするアンコール王朝の研究は興味をそそられました。
アンコール王朝は戦争、戦争で滅びて、そして現在に至っています。
大陸の歴史は力が正義なのでどうしてもそうなってしまいます。
カンボジアの人たちが頑張れるようにアンコールワットで平和な時代に戻って一緒に仕事をしようと言う呼びかけが皆さんの共鳴を頂いたようです。
アンコールワットは信仰の対象なので、お手伝いすることで功徳というか、来世に繋がると言う気持ちを誰もが持っています。(単なる作業ではない)
日本人が何で来ているんだと言われますが、カンボジア語で話をすると理解してくれました。
カンボジアには「お金の有る人がお金のない人に与えて当たり前、お金のない人がお金の有る人から貰って当たり前」こういう言葉があり、日本人がやってあげて恩義を感じるとかはありません。

フランス植民地という時代があり、1953年に独立、1901年からフランスチームが来てアンコールワットを直しているが、カンボジア人が駄目だから俺たちが直していると言うことだった。
60年になって私が入って行って、一緒にカンボジア人と仕事をしたが、カンボジア人は優秀で手先が器用だった。
カンボジア人に依る遺跡の支援と言うことに私は徹しました。
私どもの大学のイエズス会で人材養成研究センターを建てて人材養成の活動を始めました。
宗派を超えてボランティアで奉仕活動をしていきました。(国内では募金活動、遺跡修復に依る文化復興)
アンコールワットの修復をすることによってカンボジア人が熱を帯びて来ました。
アンコールワットに寄せる思いは誰もが持っていて、いまでも夕涼みを兼ねて家族、親戚が集まっている風景が伺えます。
アンコールワットは民族の和解、文化復興を兼ね、カンボジアの平和につながってゆくという、一つの塊みたいなものですね。
12年かかってアンコールワットの西参道を修復しました、その前に石工を育てましたが、
ボランティアで8年間小杉さんが手伝ってくれて、100m直しました。
100人ぐらいが手伝ってくれましたが、幹部を育てるために、日本に連れて来て、上智大学の大学院で6年間で学位を取る指導をしました。
ドクターが7名、修士が11名、全員カンボジアに戻って第一線で活躍しています。
(局長クラス、大学の先生、プノンペン大学の副学長とか)

初期のころ、食糧問題があり、遺跡は後でいいのではとの意見もあったが現在まで続いています。
政府の要請ではなくて、奉仕活動なので思ったようには行かなかったが、働き方が違うこともあり、「郷に入れば郷に従う」と言うことで進めてきました。
修復は又新たに始まりました。
研修生が一人前になって彼らがやる場所をあえて残しておきました。(100m分)
アドバイスは欠かさずにやっています。(7~8割は完成されつつある)
村には古い技術が残っているので、そういったものを応用しながら最新技術(事前調査の機器など)を組みこませています。
アンコール遺跡を子供たちに知ってもらうために大学院生が教育をしています。
カンボジアの後継者が育ってきていることは大きな力だと思います。
彼らが自分たちで自分たちの遺跡を直す日が近いと実感しています。