藤本聰(柔道男子 銅メダリスト) ・あきらめずに目指し続けた努力のメダル
(リオデジャネイロパラリンピック柔道男子66キロ級 銅メダリスト)
徳島県出身、過去5大会のパラリンピックに出場しています。
背負い投げを武器にアトランタ、シドニー、アテネでは3大会連続の金メダル、北京五輪では銀メダルを獲得しました、ロンドンでは代表選考会でライバルの広瀬さんに敗れて5大会連続出場は成りませんでした。
更に藤本さんを襲った両手首のけが、一時は選手生命すら危ぶまれました。
さまざまな困難を乗り越え自身と向き合ったリオまでの4年間、41歳で銅メダルを獲得した藤本さんの姿は多くの人に勇気と感動を与えました。
メダルの一番大きいのが96年のアトランタ、緑のリボンが2000年のシドニー、一番小さいのがアテネ3連覇達成、北京はヒスイの石が入っていて重たい、ロンドン大会はありません、この間のリオで銅メダルを取れました。
目の障害者のために音が鳴るようになっていて、金メダルが一番高い音になっています。
20年間この世界に関わって来ました。
今年で42歳になりました。
生まれた時から目が悪くて、左はほとんど見えず、右は0.3とか0.4有ったと思うんですが、学校では席は一番前にと言うことを親が先生に伝えてました。
徳島商業の柔道部の監督の小泉先生が盲学校に勤務された経験も有ったと言うことで、理学療法師に成ってみないかと言う事で盲学校に入りました。
そこでパラリンピックと言うことも知りました。
夜遅くまで勉強した為に視力が落ちて0.1位だと思います。
網膜色素変性症(中心しか見えない)、黄斑変性症(周りは見える)、弱視(ぼやっと見える)3種類有る。
顔が判らず挨拶しないで誤解されたり、小さいものが見えないので掃除が苦手です。
この8年間は大変でした。
手首が曲がらずに3回手術をしましたが、やるたびに悪くなりました。
背負い投げが得意技ですが、それが出来なくなりました。
ロンドンの代表決定戦で広瀬さんに負けて出られませんでした。
今なにが出来るのか考えました。
やっていなかった技なども取り組みました。
怪我をしたところをどう補うか、トレナーの稲垣さんとやらせてもらいました。
トレーニング内容の説明。
筋肉がそこで鍛えられました。
きめ細やかさが日本人の強さだと言われました。
徳島商業の柔道部のコーチを現在やっています。
そこで色々学びました、指導者は実践者たれ。
柔道に勝るよろこびはない、柔道は生きがいです、「継続は信なり」(信念、自信、確信、信頼)
今の心を信じているかどうか、信念を持つ。
続けることによって、自信が出来て来る。
試合で結果が出ると確信に成る。
そうすると人に信頼されるようになります。
後悔だけは絶対したくなかったので、懸命に練習をしました。
言い訳をしないと言うことが大事だと思います。
諦めなければ何とかなります、本気でやれば大体できます、逆境はマンネリ化を打破して自分を大きく成長できるチャンスです。
もうこれ以上できないと言うところまで追いこんで練習をすると腹が決まります。
試合中にいかに冷静に立ちまわれるかが大事です。
ミスジャッジがあったりするが、それに対して気持ちが切り替えられるかどうか、引きずってしまうと駄目、そこで負けです。
練習が2割、試合でいかに実行できるか(メンタルを含めて)が5割、運がどれだけかは未知数です。
終わったら反省する、これのくり返しです。
苦手な事をする、これも意識してやっています。
いかに日常的なことにそれを落としこめるかどうかです。
結果を求めるのではなくて、情熱を持つ、向上心、探究心、悔しさ、行動力を起こして楽しむことが大事だと思います。
障害者に対しては一方的な思い込みがあるかもしれないが、自分で体験することが大事だと思います。
そうすると考え方が変わったと言う人がいっぱいいます。
助けてもらう側は自分のことは自分でする、これは大前提になります。
助けてもらう時の信頼関係、必要以上に助けない。
残された時間が3年間ありますが、武道館で君が代を聞けるように、それを見て引退したいと思います。