2014年4月9日水曜日

鶴岡真弓(多摩美・人類学研究所・所長) ・渦巻文様に魅せられて40年

鶴岡真弓(多摩美術大学芸術人類学研究所・所長)  渦巻文様に魅せられて40年
19歳の時に、横浜からソビエト船でナホトカに渡り、単身アイルランドまで旅をして渦巻きの形をしたケルト文様に魅せられました。
文字を持たなかったケルトの人達の想いは独特の文様に表現され、やがて鶴岡さんはケルト文様のうず巻きや組み紐文様は日本人が描いてきた文様とよく似ていることに気がつきます。
ケルト文化研究の先駆けになった鶴岡さんに伺います。

人間が三半規管で平行な状態を保っていると思っていても、不意をつかれるところに人生のダイナミズムがある。   
カルマン渦 障害物が異物があるからこそ、水の流れがそこで踊ってみようと思う。
ラーメンにナルトがあるが、あれが決定的な素晴らしい渦のデザインだった。
何故ナルト巻きが日本からなくなってゆくのか、怒りを感じています。
神社の神文、でんでん太鼓(パワーを赤ちゃんに与える) 西園寺家 家紋左三つ巴にもある。
神聖なものだといわれてきた。
渦は日本のものだと思い込んでいた。 ブリテン島(イギリス) アイルランド ケルト人がいた。
その人たちの美術に学生の時に、突然であって、羊の皮とかに装飾されたお経に不思議な渦巻き模様があり、それがでんでん太鼓の三つどもえ、ナルト巻きのコイル状のものが、アイルランドの国宝のケルズの書、今から1200年前にアイルランドの島の修道士たちが書いたお経の三つどもえがそっくりだった。

非常に驚いて、毎日毎日通いました。
何で日本から来て、毎日来るのかと聞かれた。
ミクロコスモス(小宇宙)、マクロコスモス(大宇宙) ケルトのお坊さんたちはミクロの中に入ってゆくほど、そこに宇宙が開ける (壺の中の大宇宙)  ひっくり返った世界。
小さき者の中にこそ、それを見つめれば見つめるほど、そこに大宇宙が開けるよという、メッセージを渦巻き紋様と言う、三つ巴、というケルトのまったき文様に込めて、当時の大変高価な子牛皮紙に、手に入らない顔料で渦巻きを書いていった。
私たちとは何か、宇宙自然と言ううごめきとはこういうエネルギーに満ちているのではないかと、この羊皮紙のうず巻きに託して、表現したと思う。
大自然、宇宙、生命は渦巻きだと言うのが一つ。
物の中にも アニマ、 魂の活動があり、渦巻く様に動いている。(アニミズム

アイルランドのスケリッグ島 修道士の修行の島 
船で行くが渦巻く波にもまれながら行くが、恐怖と闘いながら、大いなる自然の渦のうごめきに自分を託す。
渦 始めも終わりもない形をしている、一個の命が終わった先端部で又次の生命が生まれて次々に展開してゆく、始めと終わりがないというのが生命なんだという事を、教えてくれている様に思えた。
死が終点ではなくて、時間が巡ってくれば又死からよみがえるという奇跡が起こるかもしれないと、それを祈るのがハロウィン。
近代人は生まれて死ぬという直線の中でしか、自分たちの人生を考えていないと思う。
死が訪れたら、多くの現代人は病院の中で終わることだと覚悟して思っていると思う。

今はスケリッグ島には修道士はいない。
何故修道士がスケリッグ島を選んだのかと言うと、わざわざ危険にさらされる処を選んだ。
死と隣り合わせで、苦行をやっている人たちが昔からいた。
ケルト人は紀元前1000年にヨーロッパを席巻して、その後ローマに追われて、アイルランドにいってしまう。
ユーラシアの両側に小さき島のアイルランドと日本がある。
自然の脅威と闘いながら、脅威があるという事は自然がおおいなる渦を作って常にうごめいている。
日本列島人とケルト人は合わせ鏡の様に思っている。
結び目 霊結び 男女が恋をして、其時に二人で心の底から魂の結び目を作って、それを実際に持ち合う。
死んだ人と、生きている我々がその魂が結び目を作る。
絆、結び目 を作るっことに依って、結ぶことに依って最初は別々だったあなたと私が強くなる、深くなる、絆ができる。
しめ縄、あざなえる縄の様に、2本、3本になって行った時に、そこになにか新しい命、意味、価値がそこに誕生する、というそれが渦巻きとか組み紐とかに表してきた、日本の、アジアの歴史がある。
結び目はまさに、終わりのエッジから放射状になって、また人々へ、幸運なら戻ってくる。
飾るというのは、幸運であれかしと祈りのうず、祈りの結び目。
自分の体に結び目をまとわせるという事が、人間に幸運を、健やかにという事を、祈りの衣、帯、
日本とケルトで響き合っている。

ちょうつがい 蝶が羽を広げて、光の象徴。 箪笥のなかには私たちの命を護ってくれる、薬、お金、着物、守り神としての蝶の文様。
青海波文様 扇を開いた様な形の波が重なる様にして、こちらにやってくる波です。
夏、かき氷屋さんにある旗、全く知らないかなたから、きっといいものが運んで来て呉れる者があるよ、それが波、青海波文様。
畳の縁、掛け軸の文様、装飾しているが、光そのもの。
飾り、余ったスペースと思われているが、一個の小さき文様でも、結び目でも、晴れの日、人生の節目節目でそこに込める様なものが、心をこめてたむける花の様に、生と死が飾られる。

お祭り、祈りの行事 そこにデザインはある。
祇園祭は疫病が夏になると、はやるので、清める。 
装飾の展覧会、動く織物、動く結び目、動くちょうつがい。
鐘を叩くが、美しい結び紐を垂らしていて、それが鐘を叩くたびに揺れる。
お祭りは人間の幸福を祈る。  又神々に見て頂いて喜んでいただく。
最高の手段が、飾ること。 
自分が誰かと誰かをつなぐもの、渦と渦、違う存在がそこで出会う、再開できる、そういう空間や時間を作ってゆく、という仕事、営みが飾る、装飾するという、営みだと思う。
川が合流するときには緩やかな渦ができる。 そこに何かのエネルギーが生じる。
人間が、生きる、死ぬは 合流するんだと思う様になった。
合流するという事を考えたら、生きている事が、そこで緩やかな渦になって合わさってゆく、そうすると生きるという営みはいつかやってくる、もうひとつのステージと合流するんだと、合流地点まで元気にいってみようと思いながら、ケルトのうず巻きもナルトのうず巻きも青海波文様も全部同じ、厳粛な装飾文様としてみている。