山本玲子(石川啄木研究家) 新たに羽ばたき、啄木の魅力を伝える
岩手県、八幡平市出身、東北福祉大学を卒業した後、岩手県立博物館を経て、1990年1月から、石川啄木記念館に勤務しました。
およそ24年間学芸員として、独自の視点から石川啄木の作品と人間性を研究し、紹介してきました。
著書に、「花と香りと女の暮らし」、「啄木歌ごよみ」、「拝啓啄木さま」等があります。
法人法の改正に依って、財団法人石川啄木記念館が解散し、記念館の運営が盛岡市に、移管したのを機に、2013年11月30日に記念館を退職しました。
今は啄木ソムリエと成って、自由な立場で啄木の魅力と感動を伝えたいと全国を舞台に活動を続けています。
4月13日は啄木忌 啄木を偲ぶ会などが開催される。
函館、啄木のお墓が立待岬にあり、地蔵堂で、啄木の法要がある。
盛岡の宝徳寺でも啄木の法要が行われる。
東京でも啄木終焉の地にお花をささげると言う事もしている。
頼る人は函館にいたので、啄木が亡くなってから節子さんは函館にいって、啄木の骨を函館に持って行った。
啄木は小樽にいて、そのころに借りていた部屋の隣に、易者さんがいて、占い、催眠術に興味を持つ人だった。
自身の占いもしてもらっていて、55歳で亡くなると言う占いで有った。
実際は26歳と2カ月で亡くなる。
石川啄木記念館に24年務める。
啄木の資料、手紙などから離れると言う事が出来ない様な気がしたが、物に拘らない事にしたら、心が自由になった。
小学校の5,6年生の頃、兄が湯呑茶碗を買ってきて、それに啄木の歌が書いてあった。
「故郷の 山に向かいて 言う事なし 故郷の山はありがたきかな」
兄は文学青年だったので、兄の影響がある
生活の中に啄木の歌があって、知らず知らずに目にしていた。
東北福祉大学を卒業後、岩手県立博物館に就職。
昔の人はどいう言う風に幸せと感じてきたのか、調べてみたいと思った。
民俗学を勉強したいと思った。 門屋光昭さんと出会って、民俗調査をした。
人々の衣食住について、調べた。
博物館は10年勤務、展示の案内をするのが仕事だった。
石川啄木記念館の学芸員が欠員になったと言う事で希望して、学芸員として24年間務めた。
企画事業に追われていた。
6月に啄木祭、啄木学級、短歌甲子園 故郷で啄木学級、誕生日には啄木生誕かるた大会などの対応、等をやっていた。
啄木没後100年記念事業、大震災の年が重なって、心の復興にならないかと、陸前高田に歌碑を新たに立てることをした。
「ほにつとう なみだのごわず いちやくのすなを しめししひとを わすれず」
石川真一さん(啄木のひ孫)が字を書いてくださった。
「拝啓啄木様」 啄木の日記、エッセーとか、啄木のメッセージがあり、それに対する私の返事と言う様な感じで書きました。
膨大な資料から取っている。
私の短歌ベスト3
「いのちなき すなのかなしさよ さらさらと 握れば 指の間よりおつ」
(かなし と言う言葉をほとんどひらがなで書いている。 私は愛するの 愛をかなしと読む。
命のない砂は 何と興味深いのであろうかと、そうすることで啄木は生きていると言う事を実感している。 命の無い砂が何と興味深いという風な意味で捉えるといいなと思っている)
「わかれきて ふとまたたけば ゆくりなく 冷たきものの ほほを伝えり」
(南道行さん? 移動で東京に行かれたが、 震災後に復興の様子を見てきた人で、愛情と平和を持っている人だと思っていた。 南さんが移動になると言う事で浮かんできた歌)
「あたらしき こころ求めて 名も知らぬ 街など今日も さまよいてきぬ」
(私ガフリーになった心境ですが、新しい気持ちになると言う事は心が弾む、新しい出会いがある)
100年前から私たちに、向けて様々なメッセージを送っている。
哲学があるし、啄木を知ることに依って、人間を知ることになるし、自分自身を知ることになる。
「人間は自己にある欠点を 他に認めた時、その欠点を酷く憎むものである」
啄木を嫌いだと言う人がいるが、啄木の中に自身の欠点を見ているのではないかと思う。
石川啄木の生き方には批判的な見方もある。
啄木は文学と言うものを高級なものにしないで、庶民に近ずけたと言う風に思っている。
歌は、日常の生活の中では漬物の様なものだと言っている。
大逆事件 評論が残っている。
啄木はしっかりと見つめようとした。
思想を調べてキチンとものを言おうと思った訳です。
言論の自由を啄木は訴えたかったと思う。
時代閉塞の現状は、今の時代にも重なる。
明治の時代の問題点を挙げているが、現代にも重なる。 (教育、就職難)
必要と言う事、が私たちが最も向かうべき理想であると言っている。
必要なことをしましょう。 何故明日が必要か、と言う事を考えましょうと言っている。
代用教員時代、学校のストライキにかかわって、放免されたりした。
盛岡中学時代、 労働運動が始まって、労働者たちの運動があって、社会に対して訴えるという新しいやり方に興味を持つようになって、先輩たちがストライキをするが、それに啄木が参加する。
代用教員時代、教育に不満を持っていて、子供たちと共に授業をボイコットする。
故郷を離れることが自分の身を切られるような思いで去ってゆくが、辛い思いもあるが、自分の味方になってくれた人もいるし、山河があり故郷をとっても愛していた。
心の中に磁石があり、いつも故郷の方向を向いていて全てを受け入れていた。
これからはフリーの立場で、活動をしてゆこうと思う。
仙台文学館では15周年記念で啄木展を開催しているので、全面的に協力している。
函館文学館 啄木講座があり、呼ばれている。
全国を回りたいと思っている。
啄木の魅力と感動を全国に皆さまにお伝えしたいと思っている。