2014年4月14日月曜日

西岡久寿樹(総合研究所所長)   ・患者に学ぶ医のこころ

西岡久寿樹(東京医科大学医学総合研究所所長)  患者に学ぶ医のこころ
昭和18年三重県に生まれ 三重大学医学部卒業 カルフォルニア大学のリュウマチ科に学び、帰国してからは、東京女子医大、聖マリアンナ医科大学教授を歴任して、一貫して関節リュウマチ、痛風など痛みを取り除く道を歩まれました。
1973年には、日本人にはないと言われていた、痛風が発症する事を学会で発表して併せて痛風の治療法に尽力されました。
現在は四六時中、痛みが続く線維筋痛症の究明と治療法の確立に取り組まれています。

診療、リュウマチ膠原病の研究、若い先生のトレーニング等をやっている。
免疫学、血液学、骨関節の諸道をやってきたので、リュウマチ膠原病、痛み 興味を持って患者さんを見たり研究を進めている。
線維筋痛症、 骨粗鬆症もいろんな痛みがある。 
線維筋痛症の場合は頭のてっぺんから、つま先まで全部が痛くなってしまう病気。
実家の医者は150年の歴史がある。  志摩市で開業している。 
そこも関連していて土日はそちらに行く。
痛みは身体の痛みと心の痛みと二つあり、両方見ないといけないと最近痛切に感ずる。
どう考えているのか、どうしようとしているのか、短い時間で患者の心を、目の動き、一つ一つの言葉から読み取る様にしている。

線維筋痛症 30代、40代の女性に多い。 
中枢神経に問題があり、様々な原因で中枢神経が痛みを普通では感じない痛みを拾ってしまう。
気圧の変化で痛むとか、精神的なストレスがあっただけで痛むとか、痛みに対する感受性が非常に高まってしまっている。
1990年代アメリカで患者を見ていたが、日本ではないと言われていたが、日本でもあるといったら、全国から問い合わせがあって、行政面でも何とか作らなければいけないと、実態調査を行ったら、推定患者数200万人と言われて吃驚した。
高齢者では骨粗鬆症、多発性筋肉リュウマチ(元気なおじいさんがかかるリュウマチ、ある日突然体中が痛んで寝たきりになってしまう)
治療法は明確で1週間で直ぐに治るが線維筋痛症は原因が解らない。
痛みの受容体が脳下垂体で、それを標的として治療薬が開発してきて、痛みはかなり軽減できるようになってきた。

原因、物質レベルまで捉えてないといけないが、その部分は不明確。
診断できる医者もほとんどいなかったという事もある。
痛風 今はだれでも知っているが、当時は日本ではないと言われていたが、でも実際は研修医として当時見ると全国からちょろちょろ来ていた。
血液中の尿酸値を調べたら、推定0.3% 30~40万人の指定患者がいることが解った。
初めて日本人も痛風になると、国際会議で発表したら、東洋人でもなるのかと大反響で、白人の富裕層の病気でと考えられていた。
ベルツ博士が日本人に痛風無しと明治中期に言った。
新しものに対する興味があって、追っかけではなく立証しようと思った。

線維筋痛症、すこしずつ光明が見えてきた。 心の痛みが結構この痛みをおこす。
子供の頃いじめられたとか、離婚、交通事故、様々なストレスがかかるようなことがあって、それからしばらくしてから起こる。
心の痛みが身体の痛みを招き、身体の痛みが心の痛みを招く、両方からこの病気をコントロールしていかなくてはいけない。
精神科の医師と心療内科の医師、神経内科の医師、リューマチの医師がチームでやらないと駄目。
初診料、一人にかかっても、4人に掛かっても同じ料金になる。

患者さんとの対話は常に上から目線では絶対駄目、水平でも駄目、自分たちが下にいると言う事が大事なんです。
取材と同じ、上から目線では本音を絶対に言わない。
ある親しくしていたジャーナリストから言われた言葉だが、取材対象が向こうから来てくれるし、座っているだけでいいと、向こうからいろんな情報を提供してくれるからと言われて、そういう見方があるのかと、私の心の中に残った。
患者さんの本音の部分をどうやって引きだすか、そういうところが非常に医師として要求される時代になってくると思う。
伊勢では地元の言葉を使ってやる。(フランクになる)
踏ん反りかえっている時代はもうとうに過ぎていると思う。
患者さんの情報が勉強になり、血と成り肉と成って次のアイデアが出てくる。

患者を見ないで、パソコンを見る、若い医師が多いが、これをやっていたら情報を得るためには集中できない。  これでは駄目です。
患者さんとの関係が希薄になってしまうと、私たちの仕事と言うものは終わりなんですよ。
患者さんだけでなく、家族も一緒にいれて話す様にすると情報が増えるし、家族も理解する。
家族に理解してもらうと言う事は非常に大事です。
インターンは無くなり、研修医となりその第一号だった。
トータルに患者さんを見ることが大事だと思い、いろんなところを回ったが、それが大きな財産になった。(4年間の総合診療が凄く貴重な体験だった)
人間の体は一つなので、パーツではないので、タイヤだけを取りかえればいいというものではない。

とかく専門志向ですが、総合診療をきちんとやってくるのが本質、土台の無いビルディングみたいなもので、総合診療は建築でいえば土台の部分です。
総合診療を充実させることが、医療費をコストダウンさせる一番大事なところですが、今の日本医学界で判っている人が少ない。
医療とは高度医療だけではなくて、患者さんを元の生活に戻してやることだ。
病気になった患者さんを一生懸命第一戦に戻してやることが国に取って、税金、収入が国に入る。
日本は難病対策、医療費補助にかなり回る。 
難病の患者さんを如何に少なくするかが大事で、治療薬をきちんと開発する環境を作ってあげることが非常に大事です。
難病を減らす、その為にはきちんと薬を開発する。
製薬会社の倉庫には途中であきらめた薬がいっぱいある。
IPS細胞で最終医療、超先端医療と、製薬会社で眠っている薬を安全性は終わっているわけです、それを患者さんに巧く適用拡大する、この二本柱が絶対必要です。
新しい薬を作るために患者さんから情報を得なくてはいけない。

目の病気と関節の病気(ベーチェット) 合併症 ある先端医療に使っている薬を使うと両方とも綺麗になってしまう時があるので、そういう視点で難病を捉えてほしいと思っている。
患者ありきの僕たちの仕事ですから。
行政に対して、日本の医療が世界のモデルとなるような、システムを作るのに役立てば私の仕事は終わったと思っているのですが。
線維筋痛症も病気のメカニズムもかなり分かってきたので、それに対する治療はできるわけなので明るい見通しになってきた。
学会を作ってガイドラインを出して、一番大事なのが国家試験に線維筋痛症 出題項目として取りいれられたので、勉強しなくてはいけなくなったので、勉強した医師はこれからは経験を積んでいく事でしょう。
学んだ物をどうやって次の世代にバトンタッチしてゆくか、患者さんから教えてもらった情報を次の世代に教えてゆく事、情報、家族のケアの仕方、心の問題 色々ある。