森下辰衛(三浦綾子記念文学館特別研究員) 氷点50年~三浦綾子文学の力を信じて(2)
13年間闘病生活をする。 前川さんが亡くなったころが一番悪い状況だったが、彼女を養ったときでもあったのではないかと思います。
「氷点」 デビュー作 出版から50年。 その後80冊余りの本を出版。
一番中心にあるのが、 題名 氷点 心がさみしくて凍えてしまっても生きて居られないと言う人間にはそういう時が時々ある。
どうしてそんな寂しさに落ちいってしまうのか、又しかしそこから本当に人間を回復させて生かしてくれるものは何なのか、問おうとしたことがそこにあると思います。
人間を人間らしく生きさせるために、其所に先ず光を当てると言う事をしたのだと思います。
陽子 主人公を設定したところ、自殺未遂、3日間のこん睡状態で生き返るのかなと、いうところで物語は終わっているが、そこに中心の心がある様な気がしています。
陽子は綾子さん自身の直ぐ下の妹の名前です。
綾子さんが13歳の時に陽子さんは6歳で亡くなってしまった。(医者の誤診)
「お姉ちゃん 陽子死ぬの」 と言ったことを綾子さんは何度も何度も思い出す。
自分は悪くないのに死んでいかなければいけないものの、寂しさ、不安、恐さ、絶望感、を感じる。
「幽霊でもいいから陽子ちゃんにあいたい、陽子ちゃんでておいで」と叫んだそうです。
三浦文学は そういう「でておいで」 という、呼び声の文学ではないかと思います。
綾子先生の担任だった生徒がいた。
不登校の生徒だったが、大福餅をもってきて、僕に向かって「坊っちゃん、学校に出ておいでよ」
小説の中にも「でておいで」と言う言葉がいろいろなところで出てくる。
「銃口」のたこ部屋から逃げ、納屋で隠れているところに、主人公の北森竜太と彼の父政太郎が来て、政太郎さんが「安心して出てきなさい」というと、転がるように出てきて、その人をかくまって、国に帰させてゆく。
北森竜太が満州で逃亡している時に、竜太を助ける人物になる。
「氷点」 罪 に許しを乞う。 誰か許してくれる人はいないのか、許してくれる人格である、誰かを求め始める陽子を書いていて、続編で自分を産んだ本当の母と出会って、其母を許せないとか、最後になって、「許し」が本当にわかる。
13年の闘病をしていたからこそ、むしろ人間のことがよく判るんじゃないかなと思っている。
その間にいろんな人に出会って、悩みを打ち分けて、その相談相手になって欲しいと言う事で、いろんなことを持ち込んで、綾子さんはじーっと聞きました。
そこに秘密があるのだと思います。
人の言葉を本当に注意深く聞く、読むと言う事を通して、言葉と言うものは養われてゆく。
人間観も、世界観も養わってゆく。
その人たちの悩みの声、苦しみの声、痛みの声に耳を傾ける、それを通して三浦綾子は人生の事、家庭の事、人間のことを理解していったのだと思います。
語る言葉の力、の素晴らしさは、実は聞く事の力があって初めて、生まれてくるものだと思っています。
勿論読書、聖書、手紙のやり取りも、勿論あるとは思いますが。 言葉の人だと思う。
「はじめに言葉があった。 言葉は人の命で有り、光で有った。」と聖書に書いてある。
母の腕の中で子供たちは言葉を学んでいって、嬉しい言葉、物語の楽しさ、言葉の温かさ、そういうものを子供たちは一杯もらって成長してゆく、人格が形成されてゆく、どんなに大事なことかと思う。
いろんなことを知るようになってゆく。
三浦綾子が、痛恨の思いがあったとすれば、子供たちに「あなたたちは戦争に行くのですよ」、と一生懸命、国が注ぎ込もうとした言葉だけを、一生懸命注ぎ込んだんじゃないか、そういう痛恨の思いがあって、最後の小説、「銃口」で子供達の生活作文が大事だと知っている先生たちが、一生懸命教育をしてゆく物語を書こうとした。
言葉は物凄い力を持っているものです。
全国に110か所 2000人の会員がいる読書会。
東北にも仙台、福島を中心に読書会がある。
震災の1カ月後に仙台に読書会があって、そこに行く。
荒浜地区に連れて行って貰ったが、根こそぎ津波で流されて、どろの中に埋まっている様な地域だった。
光景を見てどんなことを語れるのか、途方に暮れるばかりだった。
三浦綾子と言う人は、人生の大事なものを根こそぎにされて、泥のなかに泥まみれにされた人なのではないかと、そこに還ってゆきました。
この東北から三浦綾子の様な人が、本当に命のある言葉を語り始める人が、東北から日本の希望が始まり、日本を変えてゆく器がここから起こされるんじゃないかなあと、確信として仙台の人たちに話をしました。
三浦綾子読書会の人と記念文学館の人と、協力して2012年5月に1万数千冊、被災地、仮設住宅、図書館打とかにプレゼントする活動をしました。
全国に呼び掛けて、沢山の本を下さいました。
三浦綾子さんの言葉が被災地に届けられて、それがもとで三浦綾子読書会が始まりました。
一緒に手を携えて生きてゆく、三浦綾子の言葉が私の支えになっていますと、涙ながらに語ってくださった方がいます。
「私にはまだ死ぬと言う大切な仕事が残っている」と、三浦綾子が晩年に繰り返し語った。
老いてゆき病になると、自分で自分の人生は使い物にならないと思ったりするが、最後まで人は生きている限り死ぬまで、この地上にある限り、大切な大切なもので、大切な使命がある、と言う事なんじゃないかと思う。
ドストエフスキーが「地獄とはもう愛せないという事だ」と言う名言を言っている。
もう愛せないと思えるが、それは気の毒です、でももう愛さないと決めてしまえば、その人生はもう地獄の様なものとして決まってしまう。
でも神様はそうでなくて、そんな風にあなたは思っているかもしれないが、死ぬところまで大切な仕事として、私はあなたに与えているんだよ、それを大事に死んでみないかい、と言ってくださっていると思う。
にもかかわらず、愛せないような状況だけれども、愛すると言う道もある、死ぬという大切な仕事があると言う事が、はっきりとあらわしている。
死ぬと言う事は誰も好きではないが、大切な仕事として、尊ぶ事を三浦綾子は見せてくれている。
三浦文学が語っているもう一つの事、其れは、にもかかわらず愛する事の凄さ。
前川正さんが其れを見せてくれた。
神様が、そういう、にもかかわらず愛して生きていこうとする、そういう奴はいないかと、いつでも探している。
「にもかかわらず、愛する。 にもかかわらず生きる。」
「銃口」 子供が生活の作文を書くと言う意味があると思う。
地球が始まってから終わるまで、たった一人しかいない、掛け替えのない自分が、その掛け替えの無い人生の中でいろんなものに出会って、体験したこと、考えたことを自分の言葉で書いてゆく、それだけでとっても素晴らしい掛け替えのないものじゃないかと、先生が子供に教える場面があるが、子供たちは自分の言葉で自分の人生と世界の真理を発見してゆく。
そうやって子供は成長してゆく。
人間が人間として人間らしく生きる力が、その言葉の養いの中で生れてくる。
子供の言葉であっても、真理として世界を照らす、不正を照らしてしまう力を持っている。。
治安維持法を持つ国がそれを恐れて弾圧する、そういう構造もあったかもしれない。
「銃口」と言う作品のなかで書こうとしている。
三浦綾子の文学は証しの文学、 体験の文学と言われる。
体験談を通して、人生がどういうものか、神様がどういういうものか、証しをする。
三浦綾子の文学は生活つづりかたの文学だったと思う。
三浦綾子記念文学館のコンセプトは「光と愛と命」 どれも言葉のことを言っていると思う。
言葉は光で有り、愛であり、命でもある。