岩崎京子(児童文学作家) 童話作りで見えてきたこと
1922年大正11年東京生まれ 子供の頃から本が好きだった岩崎さんは、児童文学の世界に入ったのは結婚後夫に勧められて、書き始めたことだとおっしゃいます。
ご本人も作家としては遅いスタートだとおしゃっていますが、昭和34年のデビュー作「さぎ」で児童文学社協会新人賞を受賞、昭和45年「恋のいるむら」で芸術選賞、文部大臣賞、昭和49年
「はなさか」で日本児童文学者協会賞を受賞するなど児童文学界を代表する作家の一人として知られています。
岩崎さんは童話の元は、昔話だと気付いて、永年昔話や民話の取材を各地でされてきました。
創作活動をする一方で、子供たちに自宅を解放して、子供の本の家を開き、その活動は40年を越えるといいます。
90歳を越えてなお、好奇心あふれる児童文学作家の岩崎さんに伺いました。
童話創作60年以上になる。
必要に迫られて書いて、書くものがないから探し歩いて元気を貰ったとかと思います。
「子供の本の家たより」
「ぶんこのお客様」 子供たちの実態を知りたいのがぶんこのお客様
いろんな鳥がかつてはいた。
3人兄弟で、私は仲間外れで、近所の家に行くが遊びになかなか入っていけない。
本しかなくて本が好きになりました。
適齢期の頃、戦争末期から終戦直後での混乱期だから、旦那さんがいないのでやっと落ち着いてきて、貰ってやると言う人がいて、是しかないと思った。
最初の日に正座させられて、10カ条の家庭方針が書かれていて、9条目までは納得できる内容で、10カ条目が「テーマを決めて勉強しろ」と書いてあった。
吃驚して、テーマを決めないと妻の座は危ないと思って、考えて一番楽なのは子供の本だなあと思って、家に置いてきた本を持ってきて本を片っ端から読もうと思って、それを話したらいいと言う事になった。
いつの時代でも同じですが、先輩たちに造反してゆく若い世代がありますよね。
児童文学のなかにいて、子供もかわいいだけではない、少年文学宣伝をした人がいて、私たちはでも、かわいいと言う様な生活童話しか書けない、何を書いていいかわからない。
其頃教養派、石井桃子さんとか、瀬田貞二さん、松居 直さんとか、子供かわいいという抒情ではだめで、行動を書く、主人公の子供の行動を書いただけでも、骨太の文学になる。(人間を書く)
それは民話だと思い、民話を考えるようになって、書いてみてはと進められて、民話を書いた。
与田準一さん(北原白秋の弟子)を紹介されて、友人がちゃんと日本語を勉強しなさいと言われて、与田先生に伺って作品を置いてきて、やってました。
文学は人間を書くもので、全然人間を見ていないと言われて、「窓を開けてみなさい」と言われて、(心の窓を開けてみなさいと言う事だったが)、家で窓を開けたが、勉強にならないなあとおもったりした。
普段遊んでいる男の子一人がバケツ一杯かえるを入れているので、蛙をどうするんだろうと、聞いたら怪我をしている鷺を拾っていって家に持って帰って、これはその餌だと言う事で、慣れてきて付いてくるとの事、想像を交えたりして、書いたら21枚になった。
題を「さぎ」にした。 昭和34年のデビュー作となる。
白鷺物語、山の鶯 、ゆうじときじ 鳥が多い。
童話の元は昔話 昔話は子供の教育でもあるし、教科書でもある。
生き方について親が話すのに、狸にしたり、狐にしたりしているので、使わせてもらった。
昔話を将来につなげてゆきたい。
今の子供たちは昔の話より、現代の話とか、家庭の話とか親近感を持つと思うが書けないです。北原白秋も子供の言葉は、詩で天使の声だと言って集めていらしった。
リンゴが落ちるのを、子供(りんご)が枝につかまっている、手が痛くなるからはなす、それがりんごが落ちるなよと言ったんですって。 (?)
幼稚園の先生がメモして話してくださって、ニュートンがりんごを落ちたのを見て、地面が引っ張ったという、あれとおんなじ発想なんだと、科学の真理につながる。
子供から学んでいる、子供はありがたい存在です。
「はなさか」 江戸時代の植木職人の日記、メモを元に描いている。
常七が短い日記を書いている。 天保2年やよい 11日地震 新花 花のみ、葉はい出ず、木全体が花で埋まり候、 吉野と名を付けて候。
大島桜と江戸彼岸桜の交配化 植物学者藤野重雄 明治19年に「染井吉野」と命名する。
江戸時代に花を一生懸命に植えて江戸の街を、東京の街を、花の名所にしようと言う職人さんがいたと言う事は、日記に残っているのは凄い。
世田谷は桜が多い。 新聞記事にコラムがあって、供養桜という文が出た。
若い職人さんが脚立に上がって作業していたときに、高圧線に触って、感電して亡くなって、其供養のために小学校1年生に3年物ソメイヨシノの苗を10万本あげる。
それが世田谷に植わっている。 千歳船橋と経堂の間の並木もその時の名残らしい。
越後ちじみ歌、東海道鶴見村 久留米がすりの歌、少女たちの明治維新・・・・。
作品の幅の広さ がある。 書くために行く。
みつばちの件で北海道への調査をしようとしていたら、夫が切符を買ってきてくれて、12日間行ってきた事もある。
トルストイ 「イワンの馬鹿」 トルストイ研究もする。 凄い勉強になった。
昔話、地方地方で扱う材料が変わってくる。
「トイレのはなこさん」 ノックして入れば何にもないが、ノックしないで入ると、なかにははこさんがいて、怖いことがあったりする。
学校には怪談の生れる部屋があったりする。(トイレ、理科室とか)
これだけは子供に伝えたいと言う事を話にしたり歌にしたりして伝えてきている。
なるべく、書き続けて、自分のものを全部渡してゆきたいと思っている。