小笠原 望(医師・診療所院長) ”いのちの仕舞い”を支えたい
高知県四万十市の医師 62歳
四万十川の河口に近いところに小笠原さんの診療所があります。
香川県の高松赤十字病院で20年間勤務医として働き、、17年前に四万十市の診療所にやってきました。 妻の父親の診療所を継ぐ為でした。
小笠原さんが力を入れているのは自宅で療養している人達を訪問して診療する在宅医療です。
流域に暮らす人たちは人生の最後を命の仕舞いと呼んでいて、痛まず、苦しまず、住み慣れた我が家で人生を終わることが良い仕舞いとされています。
かつて働いた赤十字病院での経験を踏まえ、四万十の豊かな自然の中で地域の人々の最後の時と向き合っている小笠原さん、命の仕舞いを支えたいt語る小笠原さんに伺いました。
始めてこの言葉を聞いたのは訪問診療していたときに、患者さんに明日又来るからと言ったら、夕食を食べていたら調子が悪いと言ってきて、前の日はご飯も食べて、苦しむこともなかったが、半日の経過で患者さんが亡くなった。
大往生 「良い仕舞い」と言うんでしょうね。
家族の方から良い仕舞いができましたと最初に聞いた。
命には終わりがある、その終わり方を皆さんがどう感じるか。
病院にない物が在宅にはある。 在宅で患者さんを見ると、点滴をなるべく少なめにして、患者さんとのやり取りをしながら、家族の力があったら、もっと患者さんがゆったりするし、患者さん自身も、気持ちの上でも楽な場面は作りだせると思います。
自然の中で命が最後が来るとしても、最後の来方が、家と言うのは、華族と言うのは物凄い大きな力かと思います。
高校3年生の夏に、父が病気になり、親戚が集められて、父が11月まで入院して、生きる死ぬの世界を潜り抜けた時に医者になろうと思った。
高松赤十字病院は医者がケア、介護的な部分の発想が全然なかった。
神経疾患難病などを見ていたので、治療が無いので、何年かしたら亡くなるので、看護師さんと一緒にやってゆくという事で、看護師さんたちにケアを教えて頂き、そこで鍛えられたのが凄く良かったと思う。
人間対人間が大好きだったので、終末期ケアを徹底的に看護師さんと一緒にやった。
2年ちょっと、筋委縮性側さ硬化症、難病患者と看護師さんと泥まみれになりながら、ケアするが、チューブを入れたり、抜いたり、半年間 土日も全部やっていたが、その方の2年何カ月ケアをか考えて、私が中国、四国内科学会で発表した。
座長の先生が、この発表に何の意味があるんですかと言われた。
私の言いたいのはケアの質、工夫をしてきてやってきて、こんなことです、と言いたい。
生きた長さを言いたいんではない。 大学の先生には伝わらない事が解った。
よし判った、私が医者をやっている間に神経疾患のケアを、大学の視点がそうならば、この分野でとことんやってやろうと思った。
看護師さんと一緒に最後を看取るときに、医者が一人で独善にならないで、看護師さん、家族も一緒にと言う事で、ホスピスと同じ様な空間を一般病棟の中に作ろうじゃないかと、思った。
看護師が子宮がんになって、違う病院で療養していたが、戻ってくるようにと依頼されたが、そこで1時間弱ずーっと座っていたらようやく振り向いてくれて、一緒に帰らないかなあと言ったら、主治医が小笠原なら、帰ると言ってくれた。
沈黙も会話だと若い看護師さんに言うのだが、40分、50分の沈黙 患者のギリギリの心は微妙だし、こちらがそれに合わすのに、沈黙でもコミュニケーション、会話だと、その時思ったと、若い看護師さんに話す。
病院の中の看取り、なるべく家族の中で、なるべくホスピスに似たような感じと言う流れの中で四万十に来た。
在宅に医療は病院に医療とは全然質が違う、視点が違う。
心臓がどうの、肺がどうのではなく、その人を家族を丸ごと受け取って、ケアしている。
在宅医療は科学を越えた文学だと思っている。
文学も中学3年から親しんでいる、川柳です。
つたわるものであり、ユーモア、せつなさ、悲しさがあり、1フレーズの短詩の世界、それを在宅医療と重ねて感じる部分がある。
それぞれの個性、それぞれの状態があり、一人一人のかかわりをしてゆくので、味わいのある面白いと思っているところがある。
最後はどこで迎えたいと思ってるかと言う時に圧倒的に家でという想いが一番。
命の最後を覚悟したら、我儘を言おうと言っている。
遠慮していると思うが、やれるところまでやってみて、駄目だったらいつでも修正もするし、病院にも入ってもいいし、命がかかっている場面なのでもうちょっと我儘でもいいと思う。
仕方なしに最後を病院で迎えるのはもったいないというか、さびしいというか、唯日々が過ぎてゆくよりは長さが少々短くなっても、家族の中で、自分が生活した場所で自然に接した方が、生きている質という点では全然違うのではないかと思う、我儘になっていいと思う。
最後を家でしたいから、小笠原に頼むといわれるのは、意気に感じる。
死ぬという事をタブーにしないで、話ができるのは病院とは違う。
病院では死ぬという事はタブーで有り、敗北でもあるので。
在宅はそんなに悲愴ではない、命の最後の近い時でも、話をよくするが、あまり暗くならない話をする。
命が最後を迎える事も自然の流れなので、その流れを壊さない事、流れに乗ってゆく事、本人が辛くならないように、時間を持ちながら最後はくる。
病院のケアとは違う何か柔らかさ、悲壮感の無さ。
最後を家で迎えた時には、意外と皆さん亡くなることの前提があるので、静かな感じの最後が多い。
在宅死は自然の流れだと思います。
死をできるだけ自然に辛くない様に、痛くない様に、家族の中で自然の中で、と言う様になってきている。
資料を一杯持って診察室に入ってきて、資料を渡されて、肝臓がんで、科学療法をしたがもう効きません、あとはもう最後を家で迎えます、先生お願いしますと本人がいう。
在宅医療をしてほしいとの事だったので、できる事はしようと思った。
調子が悪くなって、日曜日に診察にったら、息子さんには有った方がいいと言っていたら、別の日にのぞきにいったら、意識はもうろうとしていて、呼吸が段々遅くなり、息子には会ったとの事で、呼吸も止まって、最後に奥さんがいったのは、この人らしい自分で段どりして、私を困らせないようにとの段取りだった、との事だった。
家族も疲れ、訪問看護も疲れ、私も疲れ、これ以上続いたらどうかと思っていると、患者さんは意外と亡くなる。 偶然ではない様な気がする。 人間の関係の不思議なことの良いうに思う。
信仰は無いが、僕の神様と言う文章を書いた事がある。
僕の中には神様がいる。 僕の神様に祈っている場面は珍しくない。
科学的な部分もあるが、人対人 仕事の中で祈るという気持ちが自然じゃないかと言う気がする。
いろいろ起こりませんように、診察したときに患者さんが帰る時にも思う、在宅の方が今晩いろんなことがが起こりませんように、一日うまくいきます様に、辛くない様に、患者さんが最後を迎えるまでいろんなことが起こりません様に、祈りだと思います。
医療は決して科学だけではない、科学を越える者がある。
人が生きるという事は科学的なものではない。
科学は限界があって、人を全部コントロールする事が出来ない、その先は祈りの世界かなと言う気がする。
四万十に来て、祈る事が多くなって、心の変化としては大きい物がある。
今は毎日の診療も疲れるが、患者さんを家で見て帰ってくる、90歳を越えた患者さんと話をして、元気を貰うし、四万十の風景を見て、自然があるという事は自然を見ている時の気持ちと言うのは祈りに似ている感じがする。
自分の中では、科学的な事にはここまでの限界があって、それ以上は祈り何だという事が自然の中で、かなりきっちりして来たような感じがする。
ここへ来て、目から鱗だったのは、堤防に沿って走る、堤防に沿って診療所に戻ってくるときに夕日が丁度上流に夕日が沈むが、本当に涙が出るんですね。
患者さんも、医療者も自然を感じる、医療者も自然を感じたら、もっと違う感性で患者さんに接することができるかもしれない。
病院の中だけが医療ではないので、感性が固くならないように自分を自然の中に置いてほしい。
風に吹かれて、外の空気を吸ったら、四万十の風の中で私は目からうろこですと言う話をするんです。
高松の病医では人を切り取っていた、人の心の一部分を切り取っていたのではないか
夕焼けに涙する亭主になるとは思わなかったと妻から言われた。
自然の力はすごいと思う。
癌で有ろうと、認知症で有ろうと、不自由になろうと、自然の中で地域の中でと言う事が成り立てばいいなあと最近強く思っている。
高齢者の方の四万十川のそばにある家のベットは川向きにあり、起きると堤防が見えるようになっている。
足が痛い腰が痛いという人が、川とかかわりながらという、生活の中に川があるというのは強く感じる。
長く寝付いている方の脇に一輪草が飾ってあったのを見たりり、四季折々の花に目が向いてきたというのは、人の命もゆったり見れるようになってきたのも自分の変化なのかなあと言う気持ちになってきた。
花の好きな患者さんにうちの庭のサザンカの花を持っていって渡したが、昔だったら絶対にそういった感覚は無かった。
自分自信嬉しかった。 患者さんも喜んでくれた。
命の最後に向けて日々を過ごしている方とかかわるという事は私の今は、無理なくやれているという気がします。
自分自身の気持ちの不安とかいろんなものを少なくするために、患者さんと接している部分とか、教えてもらう部分があると思うが、命を大事にして、最後が来るとしたら良い仕舞いだと、ご本人がそう思われるように、命にちかくで寄り添いながら、自分で出来る事を死ぬまで一緒に寄り添ってゆきたいと思っている。