鶴岡雅義(ギタリスト・作曲家) 昭和の響きは ギターの音色
鶴岡さんは東京ロマンチカのリーダーで、「君は心の妻だから」、「小樽の人よ」などの作曲、レキントギターの奏者として知られています。
古賀正男さんに作曲を習い、トリオロスパンチョスの演奏にヒントを得て、レキントギターを歌謡界に取り入れ、数多くのヒット曲を世に送りこみました。
昭和8年生まれ 80歳でムード歌謡コーラスで活躍している鶴岡さんに伺いました。
「君は心の妻だから」 ステージでいつもやっていて、沁みついている。 昭和の歌ですね。
(来年昭和 90年になるが)
音楽の世界でもいい時代だったのかなあと思います。
子供のころからませた子供で、子供が流行歌をうたうと叱られてが、流行歌を歌っていた。
ギターを習い始めたのは中学の時。
音楽家、画家、天文学者にも成りたかった。
生れてのは中国で空が物凄く高く、夜は星が凄く綺麗で興味を持った。
引き上げ船の中で、ギターを引きながら歌っていたのを聞いて、ギターを弾きたいと思った。
其時の歌が古賀メロディーだった。
安陪保夫 私のクラッシックギターの先生
自分でも活動を始めたいと、アントニオ古賀さんと組んで数年おこなった。
レキントギター 5つ上げる (クラッシクギターはミの音→5つあげる)
トリオロスパンチョス リーダーが自分流の考案して4つあげて弾いている。
レキントギターは情熱的で真赤に聞こえた。(船の中で聞いたのはブルーに聞こえた)
トリオロスパンチョスが初来日した時に聞いて、是が私の弾きたいギターだと思った。
日本にはなかったので、レキントギターを作ってもらった。
レキントギターでいろいろアルバムを出した。 700曲ぐらい 日本の歌謡曲に合っていた。
始めて作った曲が「二人の世界」 石原裕次郎 当時もう大スターだった。
B面に「なかせるぜ」を作った。 ディレクターが二人だったので、どちらもA面と言う事になる。
レコーディングに来た時にはまだ覚えていなかった。
東京ロマンチカ 「古賀正男と古賀ギターロマンチカ」のグループの名前からロマンチカの名前を入れた。
遊び心がないと駄目だと思います。 遊び心を出すまでの蓄積が大事。
あるときに、キャバレーで3日間ショーで出るが、メンバーが地元の女性と恋に落ちた。
逢えない彼を見ていて、是は歌にできるのではないかと曲を作った。
「小樽の人よ」 (小樽ではなくて釧路だったが。) 昭和41年
「小樽の人よ」はラテンリズムです。
若い人は自由でいいと思う。 やりたいことをやりなさいと。
これからの俺たちはこの道やりたいんだと、方向で好きな音楽を選んでやればいいのではないかと思う。
座右の銘「死ぬまで青春」 明日に希望を持つ
私にとってギターが青春ですので。 青春真っ只中です。
自分で自分をお年寄りにしては駄目。
60歳になった時、70歳、80歳になった時に年寄りになったと思ってはダメ。
今のムードコーラスはわたしたちとは違うが、まねではなく、自分たちのやりたいことをやった方がいいと思う。
ニュームードコーラス 昨年より言われるようになった。(若いグループ)
食事が大事だが、いつでも自分は若いんだと思っている事、素晴らしいものに素直に憧れを持ち、感動する気持ちを忘れない事。
遅い朝食(10時頃) 夕食(6時頃) 私は2食にしている。
出来るだけ指を使う。 指を使っていると良いと言われている。
決して頑張らずに歩く事。(季節感、等を感じながら)