2014年2月25日火曜日

森井大輝(チェアスキー日本代表)  ・ソチ・パラリンピックを滑走する

森井大輝(チェアスキー日本代表)      ソチ・パラリンピックを滑走する
ソチオリンピックで日本は金、銀、、銅会わせて、8つのメダルを獲得しました。
海外では冬季オリンピックでは最も多いメダル。
来週、3/7からはパラリンピックが始まり、日本は20人の選手が参加予定。
特に注目されているるのが、スキー、アルペン部門の選手たち。
脊椎損傷で下半身が、不自由な人、事故などで足を失った人などがチェアスキーと言う障害者用に開発されたスキーで行われる競技で、多くのメダル獲得が期待されています。
急斜面を滑リおりるスピードは時速100kmを越え、1/100を争う激しい競技です。
日本選手団のキャプテンも務める、森井さんに伺います。

仕上がりは、よく仕上がっていると思います.パラリンピックは4回目。
トリノ、銀メダル  バンクーバーでは銀と銅なので取ってないのを目指したい。
アルペンでは5種目あるが全てに出場したい。 大回転、スーパー大回転が得意です。
他の世界大会などでは全て金メダルをとっているが、パラリンピックでは金を取った事がないので是非頑張りたい。
パラリンピックは最高峰の大会なので、そこでの金メダルは特別なものだと思っている。
出場種目がアルペン、ノルディック、バイアスロンなので小さな日本選手団になってしまったのは残念だが、強いチームなので沢山のメダルが取れるのではないかと思っている。
過去最強のチームだと思っている。
アルペンでも金を3つ取りたいと思っている。

チェアスキー バケットシート カーボン製で出来ている。 座りながら、スキーの板は1本。
クラッチと言う杖があり、その先に小さなスキー板を付けたものを両手に持って滑るのが一般的。
5歳からモーグルスキーをやっていた。 高校ではアルペンキーをやってきた。
異和感無く滑ることができた。
15年前チェアスキーを始めるが当時と比べると、重量は半分以下になり、強度は強くなっている。
サスペンションに関しても、動きを制御する事が、依り早く滑る為にはどうしたらいいかという事で進歩している。
テクニック、コースのレベルも上がっている。

障害者になったのは、16歳の時にバイクの事故で脊髄を損傷してしまった。
単独事故だった。 友人に声をかけてもらって意識を戻した。
病院に搬送されてその日のうちに手術をして、翌日意識が戻って、目が覚めた時に足がついている感覚がなかった。
麻酔のせいかと思ったが、布団をはがしてみたら、体中に管だらけだった。
パニックを起こしてしまった。
先生がレントゲンを持ってきて、脊髄損傷は今の医学では治せないと、言われる。
「判りました」と平常心で言ったつもりだったが、一人になった時は泣いてしまった。
肉体的な傷も、結構大きな傷がついてが、歩けなくなったという精神的なショックは本当に大きくて、受容するまでは大変だった。

入院中に長野パラリンピックをみた。
リハびリの先生とも喧嘩をしながらのリハビリをする状態だったが、映像を観た時に、ゴールをした選手が皆本当に笑っているんですね。
僕と同じ損傷を持っている人なので、僕もあのように笑えるるようになりたいとおもって、チェアスキーを始めようと思った。
見た翌日からはチェアスキーをやる為のリハビリと思ってやる様になった。
始めてチェアスキーをに乗った時に、初心者コースを滑ったが、これでもかと思うほど転んだ。
リフトから降りるときに転んでしまって、悔しくて仕方なくて、直滑降で滑ってみたら、自転車と同じようなイメージだった。
速度が速くなる事によって安定感が出て、ターンができるようになった。
その日のうちにスキー場のほとんどのコースを滑れるようになった。

パラリンピックに出たいというのがきっかけだったので、早くレースに出たいと思った。
ソルトレークに初めて出場する。  
海外の選手の滑りを見た時に度肝を抜かれた。  井の中のかわずだと思った。
これではいけないと気付かされたレースだった。
2006年トリノパラリンピックに出場する。
醍醐味はスピード感。  
チェアスキーをに乗っていると健常者と同じフィールドで楽しめる事が出来る。
一番の最高速度は130kmを速度ガンで記録したことがある。
目線が低いので、スピード感がより早く感じる。

日本選手に鈴木たけしさんがいるが、小学校の低学年の時にトラックにひかれて、両足を無くしてしまった。
彼は足は大腿からの切断で大腿は動くが、私は足がついていても動かない。
障害としては大きい。  
脊髄損傷の腹筋が効かない  腹筋は動くが足が動かない  つかまり立ちはできるが立っては歩けない  この3ランクに分かれる。
個々にハンディがあり、実測値にそのハンディーをかけて、競い合っている。 
障害の一番軽い選手と、一番重い選手では、条件にはよりますが5秒以上早く滑らないと、障害の重い選手には勝てないようハンディーです。
ハンディーの係数がかかった数値が表示されるので判るようになっている。
1/100秒差で優勝できたことがある。

最大の僕の武器はターンの質ですね。 雪面を切り裂く様なターンができる。
旗門から遠い位置でターンをしていたが、ここ2,3年頑張って滑り方を変えていい成績を取れるようになった。
2002年 体重は47kgぐらいで 今は62~3kgで筋肉を付けている。
チェアスキーに乗っている時の方が自由にスキー場を移動できるので楽しい。
チェアスキーをやることによって色々体験できた。
大手コンピュターメーカーに勤めていて、会社の理解もあり、競技に専念できる環境が与えられていて、成績も伸びて感謝している。
この様な環境でないと世界には通用しない。
障害者チームは日立ソリューションでノルディックチームがある以外は判らないです。
凄いことだと思います。
徐々に企業のアスリートも増えてきている。

障害者スポーツ スポーツをやることによって生き甲斐を感じる。
巧くなるためには、トレーニングをする。 筋力が増えて来る事に依って、普段の生活の動作が楽になってくる。
一番いいのは仲間が生まれる事。  人間として生き生きとした生活が送れるようになる。
障害を持つとか持たないにかかわらず、熱中できるもの、生き甲斐を見つけてほしいなと思う。
自分自身が枠をはめてしまう事があると思うが、スポーツをやることに依り、今の環境ができたので、スポーツをやることによって飛び越えてきたと思う、
障害者の取ってのバリア  海外にもバリアがあるが、階段だと思うと、ガタイの大きな人が来てくれて、持ちあげてくれて店に入ることができる。
東京の場合は、階段でどうしようと周りを見ると、見て見ぬふりをする。
気持ちの部分の問題も多いと思うので、そういった部分も徐々に変えていければいいと思う。
心のバリアフリー 率先して声を掛け合って行けるよう無社会になっていければいいと思っている。
日本にも、海外の様なところがあって、大阪では困っていると、あんたここに行きたいの、とおばさんが声をかけてくれて、近くの人に呼び掛けて手を貸してくれる。

スポーツとして見て頂いて、それをどう思っていただけるか、最高のパフォーマンスをソチパラリンピックで発揮できるように頑張りたいと思います。