2014年2月11日火曜日

御手洗瑞子(ニット会社代表)   ・被災者の心を一つに編む

御手洗瑞子(ニット会社代表)  被災者の心を一つに編む
東日本大震災から来月で3年 復興の状況は地域によって様々ですが、産業の復興や新たな地域おこしの面ではまだまだこれからというところです。
此のような中、震災で大きな被害を受けた、気仙沼で新たな地域産業が起こっています。
コピーライターの糸井重里さんのアイデデアから生まれた、気仙沼ニッティングという会社です。
この会社では地元の主婦の皆さんが中心になって、セーターやカーディガンを手編みで製造し、全国に販売しています。
日常の作業はそれぞれ自宅で行っているが、週に一回開かれる編み会は主婦の皆さんのおしゃべりや情報交換の場所にもなっており、楽しんで仕事をしながら家計の助けにもなっています。
この会社の代表を務めているのが28歳意の御手洗珠子さんです。
大学卒業後、コンサルティング会社に勤め、その間にブータンの観光振興の政府の仕事に携わる事になり、帰国後縁あってこのニット会社の代表を務めています。

20畳ぐらいの部屋で20名程度の人が週に一度集まって作業をする。
主にオーダーメードのカーディガンが基幹製品 エチュードと言う名前のセーターが主なもの。
アイルランドアラン諸島を発祥としている、アランのセーターに似ている。 
模様にもそれぞれ意味がある。 航海の無事を祈るというような。
気仙沼はもともと遠洋漁業の漁師街で編むという文化に親しい。
魚場に着くまで時間がかかるので、漁師さんが自ら編んだり、旦那さんを待つ間に旦那さんの為のセーターを編んだりしている。
そういった関係で編み物と相性がいいところと成っている。
編み会になると楽しくおしゃべりをしながら、やっている。
皆さん、良い物を編もうとか、ドンドンうまくなっていこうという想いが強い。

ほとんど復興支援のプロジェクトは残ってないなあと思うが、中長期的に東北の復興を考えた時に、外からの支援がひいた後に、ちゃんと現地に残る産業があると、そこできちんと持続的に収益を上げて地域に貢献してゆくことができるものを作る必要があると思った。(一過性でなく)
地域に根ずいて続けてゆく為には収益がないと駄目。
かわいそうだから買ってあげようというようなことでは持続性がない。
初期の頃、編み手さんが言った事、子物みたいなもの(たわしとか)どう参加していいかわからなかったと言っていた。
仕事の楽しさは良い物を作ったらお客さんが喜んでくれる、それっが嬉しくてもっといいものを作るろうと思えるそういう仕事をしてゆくのが誇りだと思った。
かわいそうだから買ってあげようという様な物を作ることが、自分の心持が解らなかった、と言われた。

働く人が誇りをもてるようにしようと思った。 
そのためには妥協せず良い物を作ることと、お客さんが本当に欲しいと思って買ってくれるという形にしていかないといけないと思った。
全力でやっているからこそ喜ベるという事はあると思う。 ポジティブな循環になっている。
仮設住宅に入居している人は半分ぐらいいる。
自分だけではではどうにもできない事は暮らしのほとんどだと思いますが、どこか一か所でも自分が頑張れば良い結果を出せるところがあれば、気持ちを明るく持つ良い場所になっていると思う。
辛い事を抱えながら仕事に没頭する、非常に前向きになれる場所になっている。

私は東京生まれ、東京育ちで、気仙沼には震災後何度か足を運んで、友達が出来て縁あってこの仕事をするようになった。
震災前はブータンで産業育成の働いていた。
糸井重里さんとインターネットで知り合う。 糸井さんがブータンに来てくれて、交流があった。
帰国後、ブータンの事で対談があり出版社の方々がいて、糸井さんからいきなり気仙沼出編み物の会社をやりたいのだが社長をやってくれないかと言われて、是非にと言う形で引き受ける事になる。
気仙沼の人は物凄く面白い。  視野がひろく垢ぬけている。
遠洋漁業なので世界各地に行っているので、世界に海でつながっている。
田舎だという様なコンプレックスはない。
グローバルな考え方があって、大きなことに対してチャレンジしたがって、リスク持つる事が出来て、常に堂々としている。

ここ場所だったから新しいことができるのではないかと思った。
若いよそ者が来て、世界出戦えるようなブランドにして生きたいというような話をしたら、普通の田舎では何を言っているのかと言われてしまうが、気仙沼の人は夢はそのぐらいでなくちゃと盛り上がる。
こちらに来ることには全然迷いはなかった。
被災地とは言え、ブータンにいるときの方がよっぽど物がなかった。
小学校5年生の時に子供の国際キャンプに出掛けた。
世界中に友達ができるようにしようとの目的があって、ポルトガルのキャンプに行って1か月一緒に暮らした。
世界が小さくなった感覚がった。 
自分の友達がいる国だといろいろなことが起こった時に心配になる。
友だちになれるような子が、いろいろ辛い経験をしている事を想像することが、自分にとっての大きな原体験で、中高生の時にも、十代のための国際会議などにもでましたが、やはり原点としては日本にいて学校生活を送っているが、離れた地域の人の事を創造しやすくなったというか、我がことのように感じるようになった。

海外からみた時に日本人とはこういうものだと思われやすいが、考えていた日本人像とは気仙沼の人はあまりにもかけ離れていたし、自分は日本を知らないあなと思った。
気仙沼の人は懐が深いのだと思う。  外から来ることに慣れている土地だと思う。
世界で通用するブランドまで育てる。 パリ、ミラノでも気仙沼ニッティングでは知られていて、2011年に震災があった時に出来た会社らいいよ、と言われるようになって丁度いいと思っている。
そこからか考えると、まだまだやることがいっぱいあって、やることが山ほどある。
編み手が19人いて、これから新しく入る方が14人いて30人を越える。
編み手にはできないが拘わりたいと思っている人もいるので、接点の人が増えてくれれば良いと思っている。(地域のすそ野の広がり)
漁業の街と同じように編み物の街と言われるようになってくれれば、嬉しい。
ハーバードビジネススクールの皆さんが取材、調査に来てくれて、ハーバードビジネススクールの事例教材として取り上げて頂く事になっていて、ハーバードビジネススクールの教材は世界中で使うので、各国のMBAの学生たちがうちの事例に学ぶのを楽しみにしている

メディアに取り上げて頂いても、震災後に気仙沼でこういった会社が立ちあがったという文脈が強いので、今年はもっと商品を一人歩きさせたいと思っている。