2014年2月8日土曜日

熊井英水(近畿大学水産研究所顧問)・クロマグロ完全養殖への道

熊井英水(近畿大学水産研究所顧問)   クロマグロ完全養殖への道
78歳 和歌山県 近畿大学水産研究所顧問 ヒラメやかんぱち等の人工ふ化や完全養殖を成功させ、平成14年には、世界で初めてクロマグロの完全養殖を成功させました。
海で稚魚を捕獲して育てるそれまでの養殖と違って、いけすの中のマグロに卵を生ませ、孵化せて育てるのが完全養殖です。
成功までに32年もかかりました。
去年、大阪の梅田と、東京の銀座に完全養殖のクロマグロを提供する、アンテナショップを開店させ、研究から普及に舵を切りました。
大トロがとれるクロマグロはホンマグロと言われ、日本人にとって特別な魚です。
その完全養殖に拘ったのはなぜか、熊井さんにお聞きしました。

アンテナショップは近畿大学が運営している。
天然ものと比べて遜色ないといわれている。 養殖は薬付けなどと言う事はまったくない。
30m角で深さ10mのいけすで、一番大きくなったのは304.9kg 2m87cm 。(15年掛かった)
天然と比べると脂肪分が高い。 
最初2年目に 兎に角出荷して見せてほしいといわれて、いろんな方を呼んで試食会をやった。
赤みが10%、中トロが60%、大トロが30%だった。
養殖は運動量が小さく、餌を十分やるので脂肪がどうしても高くなる。
健康に育てるには、配合飼料を研究してそれを完成させるという事がまぐろも健康に育つし、肉質も良くなる。

世界のマグロ類の30%は日本人が食べるが、そのうちクロマグロは80%を日本人は消費する。
マグロは8種類ある。 一番多いのは、きはだまぐろ、63.1%  めばちマグロ 18%
びんちょうマグロ 9.6%  クロマグロ 大西洋 太平洋で生物学的に違う事が研究で解った
大西洋が1.4% 太平洋が0.4% 合計しても1.8% 微々たるもの
そのうちの80%を日本人が食べてしまう。
ワシントン条約では問題になる。
このまま続けて行けば枯渇してしまうのではないかと危惧されている。
いままでのクロマグロの養殖は、天然の稚魚を取ってくる。 資源を減らしている。
地中海は産卵を終わったものを捕まえて、元の身体に肥らして日本に持ってきていた。
高値で日本に売れるので競ってやるようになったため、巻き網で根こそぎ取ってしまうという事になって資源が激減した。
稚魚もドンドン取ると資源が減ってしまう。

我々は最初は稚魚を取って、親にして親から卵を取って、人工的に育てて、親にして卵を生ます。
人間の管理下で彼らの一生を一巡させる、是が完全養殖、持続的に資源を続けてゆく事が出来る。
昭和10年 長野県生まれ 海がない県、農家で生まれた。  生物好きだった。 
高校ではプランクトンを集めて、ミジンコの仲間の調査をやっていた。
そのまま水産の大学に行った。  (海を観たのは中学三年の修学旅行の時、伊勢湾が見えた)
高校2年の時に始めて海に接した。 
沿岸の身知らぬ生物がいっぱいあり、海の生物をやったらおもしろいと思った。  
昭和33年、22歳で近畿大学水産研究所に入所した。
恩師 原田輝雄先生が主任 事務員1人、ほかおばさん1人、と私の 4人だった。
昭和29年から原田先生がはまちの養殖を始めた。  当時、海の養殖研究はやられてなかった。

最初、はまちの養殖の研究に取り組んだ。
生け簀網を細かくして、魚の密度を変えたり、餌を変えたりして実験していた。
昭和34年の春、東大の駒場の校舎で水産学会があったが、そこで「はまちの養殖について」という題で発表した。(稚魚を取ってきたものをいけす養殖で商品にするというもの、いけす養殖は世界初)
いけす網は綿糸だったので海に漬けておくと腐ってしまうのだが、合成繊維が出来てそれによってはまちも商品化できるようになった。
当時予算は、大学としては魚のえさにやる予算などは出せるか、という事だった。
銀行にお金を貸してくれと言ったが、駄目で、初代の所長が松井義一先生(旧家)が判を押してくれて借りる事が出来た。
売らないといけなくて大阪の中央市場に出荷、そこである会社の専務が応援するという事から、援助してもらったという経緯がある。

大学が魚を売って商売をするとは何事か、学問を汚すというような批判があって、そんなことをして漁業者を苦しめるのではないかと、近畿大学がやる量などは知れているのにも拘わらず、新聞にも書かれた事がある。
当時は随分苦しんだ。 近大のやっていることが学問ではない技術だと、周りの大学の先生からも面と向かって言われたこともある。
大学では水産では漁労、加工、増やす 3つのコースがあるが、兎に角増殖を専攻した。
当時漁労が花形で漁労以外は水産ではないと言われていた。
遠洋漁業で世界を制覇したと、当時言われていた。
これだけ取ってしまえば、資源がなくなってしまうのではないかと思って、やがて増殖に芽が出るのではないかと思った。
世界初の人工ふ化による養殖、ひらめ、へだい、まだい、しまあじ、いしだい、ぶり、主要な海産物をいろいろやってきた。 (我々は養殖をした親魚から卵を取って育てた。)

残ったものはまぐろだと、昭和45年 クロマグロに取り掛かる。
魚体が大きく、大回遊する魚なので、飼うと言う事自体が夢だった。 養殖はだれもやらなかった。
飼育設備もどうしたらいいか、判らなかった。
潮岬の定置網を参考にして行った。
三善信二 水産庁の生産部長が、世界からつまはじきにされるという事で、マグロも増養殖をしなければならないと言われて、東海大学、近畿大学、三重、静岡、長崎の施設に号令をかけてまぐろの研究が始まった。
まぐろは生態研究をしていなかったので、定置網ないでもみくちゃになり、肌の弱さを知った。
釣って捉えようとして、マグロに指を触ると、そこから腐るという事を漁師から言われていた。
手で触らない様にいけすに入れるのに、4年掛かった。
108リッターのポリバケツに海水を張って、手ぐすをはったものにひっかけて、ポトンと落とす。
釣り針はかえしをしない様にして、使用した。
大回遊の魚は酸素の要求度が高く、酸素欠乏になり、静かになったところをそーっと活魚槽に移す、そしていけすにうつす、と言う事で成功した。

光、音に敏感でパニックを起こして、網にぶつかって死んでしまう事がある。
(夜の雷とか、車のライト、花火とかでパニックを起こす)
対策として、夜も明かりを付けて昼間にしてしまおうという事になった。
昭和54年についにに産卵した。
卵を孵化した仔魚 3mm  何を餌にするかが問題だった。
プランクトンを人工的に増殖する。(初期のえさ) 次はどうするか 次はなにするか
成長すると、消化管が発達してきて、段々身体の大小が出来てきて、仲間をドンドン突っつく。(共食いをする)
しかし、喉につっかえて、死んでしまう。
餌をやる為の子魚の研究とか、マグロの大小を手作業で仕分けるなどいろいろやってきた。
完全養殖が 2002年 平成14年に成功する。
11年間卵を産まない時期があって、何故産まないのだろうという事だが、黒潮が大蛇行をしてしまっていた。  
その影響が強いのではないかと思っている。

2004年に完全養殖マグロの初出荷になった。
台風が来て、1995年孵化したのが14匹、翌年のが35匹だったのが 台風で14匹→6匹  35匹→14匹になってしまった。
外観からはオスメスの区別はつかず、5年以上たっていたので、成熟年齢に達しているので、一緒にしてみたら2002年6月23日に卵を産んだ。 是が世界で初めての完全養殖と成った。
クロマグロは資源が少ないので何とかして、持続的に残していかないといけないと思っている。
アジアからの研修生を受け入れて人も育てている。
マグロは世界の資源だと思っている。 ほかの魚でも同じ。

3訓
①継続(生物の研究は継続する事)  忍耐が必要
②魚に学べ(観察をしっかりする)
③生き物に愛情を持って育てる。

稚魚がたくさんできても減ってしまうので、生存率を高める研究をしている。
クロマグロの資源を増やしたい。 放流。 
遺伝的なものがあるので、一つ一つクリアしながら天然の資源を人工的にも増やしてゆきたい。