2014年2月7日金曜日

吉岡久子(老舗旅館女将)    ・私と”ガマの油売り”口上

吉岡久子(老舗旅館女将)    私と”ガマの油売り”口上
昔懐かしいガマの油売り口上、路上からはすっかり姿を消してみられなくなっていますが、発祥の地とされる筑波山の地元では、ガマ口上保存会が作られ、伝承芸能として市民たちの間で受け継がれています。
ガま向上19代名人吉岡さんは、91歳、筑波山中腹にある老舗旅館の大御かみです。
お客さんの要望があればガマの油売りの口上を、披露し、宿泊客をお喜ばせています。
江戸時代、筑波山の長井村の兵助が陣中ガマの油を販売したその口上が人気を呼んで、子の芸が誕生したといわれます。
陣中ガマの油については400年前にの大阪冬の陣で戦場で負傷した武士の切りっ傷、擦り傷、血止めとして、筑波山のガマの油が使われて、評判となったことから陣中という言葉が付け加えられたと言う、言い伝えもあります。
ガマの口上で60年以上宿泊客をもてなす、吉岡さんにお聞きします。

口上歴は60年以上になる。 奉天から引き揚げてきてからずーとやっている。
主人は中国で身体を壊すが、命はあって帰ってきた。
旅館なので朝は早く、夜は遅いので商売はきついので、市長から主人は役場に呼ばれてはたらくようになった。
地元に名物を作ろうと、落語家の春風亭柳好を呼んで、ガマの油売りの口上を聞かせたいと、毎月来てくれ、皆が聞いた。
それを私が主人からやるように言われて、「はい」と答えるしかなかった。(終戦間もなく)
テープに取って聞いて勉強する。  自分の好きなようにやれと師匠からはいわれた。
旅館では、お客さんがおいでになったら聞かせるようにした。  今でも希望があればやる。
2000年に第19代名人になる。 口上保存会では若い人が増えて、100名以上になる。

始めた当時はまだ誰もやっていなかった。
18代は小学校の校長先生で私と一緒にやっていた。 
初代 江戸の街中でやっていた。(兵助)
落語ではガマの口上をやっていた。  春風亭柳好の十八番になっていた。
しろくのガマ 前足の指が4本 後ろ足の指が6本 と成っている。
旅館は寛永5年の創業。  
主人は筑波の観光協会の会長をやっていて一つの目玉にしたかった。
紙を取り出して、1枚が2枚、2枚が4枚と刀の切れ味を示すが、紅を刀にちょっとつけておき
それを腕に付ける。 
口上の文句が長くて身体にも良い。 
保存会のメンバーが筑波山神社へ行ってやっている。
力を入れるところ、文句を早める、しっかりゆっくりやるところとか、大きな声を出すところとかはっきりと声を出す。
岡野先生 18代名人 102,3歳までやっていた。