2011年7月28日木曜日

岸谷五朗(俳優)         ・秀吉をどう演じたのか

岸谷五朗(俳優) 秀吉をどう演じたのか  
利休切腹・・・ドラマの中でも大きな山場
「江」のなかで狂気じみた世界に入ってゆく 
鶴松の死を境に,非常に変わっている秀吉像だった (大河ドラマ) 
緒形拳 西田敏行とは意識しなかった 脚本にしっかり従ってゆこうと思った 
寄り添わないとひずみが出来てしまうと思う  
その役と共存しながら一年を共に生活する 
一生懸命役をこなすうちに役がわたしを追い抜いて行ってしまう 
岸谷五朗は許しても秀吉が許さないと云う風な事  

演劇の場合は一日で表現する 連続ドラマの場合は其の人の一生を長い時間をかける
休演日にその時間になるとばーっと汗が出てくる
ワンカットずつ綺麗に撮ろうと云う姿勢  女性が多い 
全ての世界に囲まれている時がある その時男はなにもしゃべれない 割り込めない 
俳優は集中している(東北大震災時に撮影中  続けていた)  
上野樹理 なまなリアクションは出来る人  
クランクアップするとぱっと頭からいなくなる(秀吉像) 
からにして、又新しい登場人物と出会うというのが俳優の仕事

子供の頃はそとで遊びまわっていた 
19歳で劇団に入って 学生の頃から器用貧乏で直ぐ飽きてしまう状況だった  
ある時俺は舞台俳優になるんだったとふと思ってしまった 
子供のころから母が演劇に連れて行ってくれていた  
点が線で結ばった感じであの舞台の感動を人に渡したいと 思った→何の迷いもなくこの道に突き進んだ
劇団に入ったはいいけれど、演劇の勉強をしてなかったので、演技ができないので役に着かない
こんな難しい世界があるんだと思って吃驚した 
出来ないからどんどんのめりこんでいった

20代~30代が最も忙しかった 
朝までアルバイトをして2~3時間仮眠をとったら直ぐ稽古にスタートして、劇団外の稽古(自分で金を払ってジャズダンスとかバレイとか)
劇団に行って芝居の稽古して10時とかに終わってそのあと又アルバイトに行く
(公演本番になるとアルバイトはできない・・・金は無い)
冬 東京では寒くて夜中コインランドリーで隅っこで良く寝ていた 
(暖房器具が全くなく 凍死するかもと思い) 止めようとは一度も思わなかった
20代の経験があったからこそ今の芝居が出来ている  

目指すべき自分の太陽に走っているとき、周りの景色は真っ暗 太陽に近づいて行ったときに、振り向くとその太陽に照らされて色鮮やかに全部見える
こんな色してたんだこの落ち葉はとか、こんなきれいなブランコがあったんだとか、色鮮やかな原色が見える・・・役者としての財産になっているのではと思う
がむしゃらに稽古してきたことが、多分振り返ったら全部僕の力をくれている  
又見えないところを目指して走りだす
ミュージカル、新劇等母が連れて行ってくれた・・・そのことが下地になっている 
それがなかったら今はない
家は貧しかった 母はチケットを買って外で待っていた 
(俳優にさせたいとかは思っていなくって、感動を子供に見せてやりたかった)