2011年7月4日月曜日

リービ英雄(作家)       ・私の日本 私の中国

 リービ英雄(作家)        私の日本 私の中国  
1987年『万葉集』の英訳で全米図書賞。  父母ともに米国人
「星条旗の聞こえない部屋」 最初の小説  2005年『千々にくだけて』で大佛次郎賞 2009年 『仮の水』で伊藤整文学賞受賞
日本語で書いた作品が英訳されて出版  仏、独、中国語にも訳される

17歳で日本に来る  17歳で経験した事を20年後に書いた(「星条旗の聞こえない部屋」) 英語の世界から日本語の世界に入りこんでやろう
ひらがなの美しさに目覚める  新宿深夜営業の喫茶店でアルバイトをする  
60年代の新宿はいろいろあったが狭い、隘鎖的、アジア的混沌、マンハッタン的知性も感じる
新宿では西洋人的先入観を全部棄てて、生の日本語に身をさらした 
文化の肉体は言葉 書き言葉は日本語の場合非常に特殊 特殊な歴史をもっている 
漢字を輸入

子供時代は台湾で暮らしていた  漢字と漢字の間に変な文字が入っている 
聞いたら日本語との事 初めて日本語を意識した
ひらがなは不安定 やわらかい感じ 惹かれた  
家出して新宿駅に来た時に ひらがなの「しんじゅく」目に入る 
話言葉も面白いが、書き言葉が複雑(漢字+ひらがな+カタカナ)で刺激的 豊かさ 多様性   万葉集を読みだして、歴史を学ぶ
19歳のときに なにかのきっかけで新宿から鈍行列車に乗って、京都に一泊
(リュックの中に万葉集の文庫本入れて) 宇治(源氏物語)に一泊 奈良まで行く
奈良で一泊して山の辺の道を通って桜井市大宮神社 明日香に入る  
万葉集にひかれていた(何故ひかれたのか判らない) 

万葉集自体 日本文学の出発点  日本独自の文字を使って完成させようとする  
万葉集 一番古いはずのものが、新鮮に感じた 一種の現代文学として感じた
考えてみると、日本人が初めて文字を使って、自己表現する時代だったから
多分彼らにとってこんな面白いことはなかったのではないか
柿本人麻呂 の長歌が急に出来上がって来ている 
(何もない野原に急に高層ビルが出来るような感じ 本当に凄い)
三島由紀夫は「万葉集は日本文化の曙だ」といった  
面白い表現で、何べんも新宿から明日香に通った

「英語で読む万葉集」・・・英語で読んで初めて内容が判ったという手紙を貰った
山上憶良は朝鮮の百済で生まれてのではないか 小さい時に日本に来たのでは・・・学説がある(中西進ら文学系研究者の一部からは百済系帰化人説)
(中西進:山上憶良を朝鮮半島からの帰化人とする説を提唱し、万葉時代の東アジアの文化交流の研究に大きな影響を与えた)

日本に戻って来て新宿の路地裏の古い日本家屋の畳の上で、襖をみながら原稿用紙に縦文字でこれを(旅)を書いている・・・自分にとって魅力的
アメリカの大学で日本文学を学ぶ あらゆる時代のあらゆる文学を読み続けた→今や私の力になっている
40歳の頃 スタフォード大學の教授だった  

アメリカにいるか(経済的保障有)日本に来るか(経済的保障全くなし)迷ったが  
( アメリカに帰るのが嫌になり)
若い時から日本人作家と付き合う中で中上健次から翻訳だけでなく日本語で本を書くように示唆される(80年代)
日本語を理解しているだけでなく、日本の奥義を判っているという様な事を言ってくれた
スタフォード大學の教授を辞職して日本に定住する事にする