2011年7月13日水曜日

大井 玄(医師)        ・看取りの医療 2

大井 玄(医師)
「人が老いると云うのは人はそれぞれに意味の世界を紡いできた 老いは網が破れた
状態である」→脳というものは見るもの、触るもの、聞くもの
から世界を作っているんじゃあなくて、自分の経験、記憶から瞬間瞬間に世界を作り上げ
ている
説明するのに認知症の人が説明しやすい 東京都精神医学研究所の所長だった
石井武先生が面白い報告をしている
86歳の女性 元気がいい時には 非常に頭のいい方で、料亭(芸者置き屋)を経営し
、物凄く財をなされた方 ボケてしまって石井先生の元にこられた
石井先生の事をお客さんと思っている かつて経営していたおかみとして振る舞う
(その病院で) そういう意味の世界に彼女は生きている

認知症の人の作り話には方向性がある 自分の住んでいる意味の世界を壊さないように、
そういう風に作ってゆく
その人の自尊心、自負心 、誇りと言うもんが保たれている限り その人の意味の世界
は壊れない
認知症があろうが無かろうが、我々はそれぞれ意味の世界を作ってそれを壊さないよう
に生きている
デイケアーをしている人(石橋さん)のところに、90歳の認知症の人が来た 
この人は若いころ子供を亡くした 

成人した婿養子を貰ったが、養子夫婦とはうまくいっていない
彼女は自分の名前と亡くした子供の名を混同してしまう事がある  
石橋さんは人形を与えた その人は可愛い可愛いと云って、抱きしめたり背負ったりした
段々落ち着いてきて、周りの人と子育て談義をするようになる 
この女性は尿の失禁があった 家にいる時にはおむつをしている
デイケアに来た時おしめをしないと失禁する その女性はなんていうかと言うと、
その女性は人形を抱いているのですね この子ねえ おしっこ垂れて困るんですよ
この作り話の方向性も判るでしょう 自分の自尊心を守るような方向に作り話をする 
石橋さんは失禁する前に時間を詰めて行って、1時間→30分→20分と  遂におしっこを
されないようにした 

その方の意味の世界を石橋さんはちゃんと察してそれを壊さないように、彼女の自尊心
が壊れないようにする これが認知症の介護の一番大切なこと
我々の脳が自分の経験と信仰含めた記憶に基づいて世界を構築してそういう意味の
世界を作っている限りは、認知症であるが無かろうが
必ず意味の世界に住まざるを得ない
認知症が何故仮想現実症候群だとか、そういうのが判るのかと言うと、現実の環境との
つながりが切れるからなのです
認知症の人は時間、月、日、と場所とその場所で何をやってるのかと言うような認識が
断たれてしまうものだから、ただ単に3分前の事を忘れると云う
のでは無くて、検討意識が切れてしまうから、だから認知症と判る

大原則は認知症の住んでいる意味の世界を壊さないと云う方向に接する
壊さないためには何をしたらいいのかと言うと、決して怒らないと云う事です 
絶対怒っちゃ駄目です
20編も同じことを聞かれたりすると、怒りたくなるが 20編同じ答えをしてあげるか、
度量が必要です  怒らない人には安心している
何故聞くのかと言うと不安だからです  認知症の意味の世界と言うのは壊れやすい 
認知症でない人の意味の世界と違うところ
絶対怒らない 怒った声を発しない このことが大事 認知能力が衰えたとはいえ 
相手が怒っている顔は直ぐ判る

それはなぜかと云うと、我々の脳の中にはミラーニューロン(鏡神経細胞あるいは物まね細胞)
と言うものがあり、怒った顔をしていると、ぱっとそれと同じ
シュミレーションすなわち脳の中に同じ怒った顔を作る 
その時の怒りとか不安とか恐怖とか、それは覚えている
怒った顔をしない 怒った声を出さない せかせない せかせると怒ったような状況になる 
あまり言葉で説明しない 認知症の能力を試してはいけない
これ覚えているでしょうとか そんな事はないでしょうとか 否定することは試すことになる  
はい はいと言っているうちそのうち落ち着いてくる
コミュニケーションと言うのは言葉の内容よりも言葉を出すその音声であるとか にこにこして
いる表情ですね そしてある人と繋がっているんだという手当を
する意味での接触というのはこれら全部をやらないといけない 

それが日常の方々に対するある種の看取りの医療なのです
これからは老いそのものの一般的な話になるが、早く辛い生活から離れたいと云う気持ちと、
まだまだ長く行きたいと云う気持ち両方有るのが老いなのです
耳が聞こえなくなってきて、目も悪くなってきて、糖尿病など患って、周りとの接触も段々
無くなってくる 
死にたい 死にたいと言っていた人がいた(90歳)
3時ぐらいに起きて星影のワルツ等歌っている ご飯がおいしいと云う ご飯がおいしいと
云う事は生きたいという事なんじゃないんですかと言ってあげた
神谷美恵子さん 彼女は精神科医としても詩人としても、作家としても本当に素晴らしい
仕事をされた
 
あの人の日記を読んでみると、自分の衰えが進んで行っていると云う事 に対しての恐怖感がある  
「段々視力が落ち、右半身不随になってゆく事がわかっているけれども、痴呆になりきる
までせめて感謝の歌を絶やさないようでありたい」・・・素晴らしい
「二、三日前から目覚めた時、胃の上の方に麻痺がおこりつつあることが判った 
初めは右側小指のびりびり 胃や手首の痛み 腕の関節の痛み
そして今は腕の腋の下の筋肉の痛み くるべきものがきた 素直に頂こう 約束の原稿を
書く傍ら 左手で書く練習をしたり、そういう風にして受け入れてゆく」
「14回入退院繰り返した私の存在が自他共に不幸であると考えるのも私の小さな脳の
こだわりかも知れない

しかし私がこういう体で生きてゆくのは正直なところ大変難しい 
私がキリスト者にならない理由はイエスが30歳の若さで自ら死に赴いた為だ
30歳と言えば心身共に絶頂期 その時思う理想と65歳にして経験する病と老いに
何年も暮らす事は何という違いであろうか
私はまだしも、ブッダの方に人生の栄華も空しさも経験し、老境にまで至って考えた方に
惹かれる」・・・この日記は一流の文学である
良寛も同様であった 最後の頃になると物忘れはするし、ちびったりするし、いろんな事
で身体が痛くなってくるし、と言う事で辛い
「老いが身の 哀れを誰に語らまし 杖を忘れて 帰る夕暮れ」
老境に行くときに捨てざるを得ないものがいろいろある

何を捨てるか→生きてゆく為に他の人と競争して持っていなければいけないような能力、
記憶力、体力、それがどんどん無くなってゆく
だけどそれを乗り越えると云う事を神谷さんも良寛もやっているわけです
良寛 本当の自己が自然、世界、宇宙の現れであると、そのようにして納得している
自分自身が自然、世界、宇宙のその中の存在であって、そこに入ってゆくんだと云う
感覚がある
歌にしている   
「淡雪の 中に立ちたる みちおうち(大宇宙の事 三千代千世界)
又その中にぞ 淡雪ぞ 降る」

(今 淡雪が降っている その淡雪の中に その大宇宙が入っている その大宇宙の中
に 又淡雪が降っている)
介護の人達へ
自分が全くそれに係わってくたびれてしまう事には避けなければならない
ある程度 距離を置いて いろいろな人達 地域の支援を利用する(ケアマネージャー、
ヘルパー・・・・)
看取りと言うのはマニュアルに書いてあるようなものではなく、自分が体験しないと判らない  
それを次の人に伝えないと伝わってゆかない

看取りの技術が今日本では絶えようとしている (8割がた病院なので判らない)
本当は自宅で死にたい しかしICUみたいな救急治療室みたいなところで亡くなるのは最低
本人にとっても最低だし、看取りのやり方がそこで途絶えてしまう事が大きな問題
自ら病気をし、手術を受けると患者の気持ちが良く分かる 
日本では自宅で死を迎える事は少なくなって来ている  我々が死というものをもっとっも
っと学習しなければいけない