2011年7月12日火曜日

大井 玄(医師)        ・看取りの医療

大井 玄 (医師)    看取りの医療
1935年生まれ 東京大学名誉教授 元国立環境研究所所長
臨床医の立場を維持しながら国際保健、地域医療、終末期医療にかかわってきた
著書は、『終末期医療―自分の死をとりもどすために』『痴呆の哲学―ぼけるのが怖い
人のために』(共に弘文堂)、『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)など多数
週一回 70~90歳の地域高齢者医療(終末期医療)行う→もう一度健康な体へ,について
は役に立たない
永く対応すると、患者との話し合う事が出来、ツーカーの仲になってゆく
80~90歳の独居患者は独立心が強いばかりでなく、生きてゆく生き甲斐を見つけている
俳句を作ったり、和歌を歌ったり、ボランティア、寺に行って掃除をしたりして元気にしている
この高齢者医療はやっていて楽しい 一般的に云って繋がりが持てる
私も高齢者で見取りの医師 一週間に一度の対応だけでは友達感覚みたいなもの薄れ
てしまうので電話をいれて、その間のいろいろな出来事
身体の等を聞く (先生がいつも私の事を気付かってくれているという安心感が大切) 
家族との話し合いもできる・・・状況把握もできる

33年前 東大助教授になった時から高齢者医療に着く
長野、佐久市で寝たきり、ボケの宅診  一番思ったのは何故(寝たきりの人を起き直す
のは不可能 脳梗塞、脳出血の人多かった ボケた人を
頭脳明晰にする事も出来ない)  ショックを受けた  一つは直せない状態に対する事に
恐怖感を持った
ボケた人 女性が多い  バックグラウンド 戦争で夫を亡くしてしまう 子供を女手 一人で
育てる 長男夫婦と孫とで暮らすが そのうち嫁が気付く
難癖を付ける わしの財布を持って行ったろうとか 最初長男は母親を庇うが、
そのうちに嫁に味方するようになる  一人ポツンと座っているようになる
私がかわいそうなので肩を抱いてあげたらボロボロと涙を流した・・・人間関係が独立して
しまった

そういう人達を見ているうちに、急性鬱病になってしまった 孤立した老人を見ていると
酒を飲まざるを得ない・・・辛かった→止めようと思った
一巡するのに 一年以上掛る ある患者から診療のリクエストがあった 
一カ月して大変元気になったので家族も喜んでもう一度来て診てもらいたい
そこで私の医療観が変わった→それまでは医療は直すのが目的であった、健康を取り
戻すと云うのが本来の目的である
ところがそうじゃなくて、医療で最低出来るのは そうやって動けなくて、或はボケて
しまった人の気持ちを良くしてやる事が一番大切なこと
介護者及び本人の気持ちを良くしてあげる・・・安心立命
高齢者は殆どのかたが、自宅で最期を迎えたいと云っているが、病院でなくなる方が
8割 病院の見取りの施設がない
医者の数、看護師の数が他の国々に比べて圧倒的に少ない OCDで1000人当たりの
医師の数が3.1人 日本は2.1人(2/3)

医者はオーバーワーク 病院が治る人に手を掛けて治らない人に手を抜かざるを得ない
ICU治療室で末期がんの奥さんに対して夫が「大丈夫だよ」と言って手を握って話をして
いたら そこの看護師がやって来て
「ここはICUです 他に重病の患者が沢山いるので声を立てるのは止めて下さい 
付添いの方は外へ出て下さい」と言われ 夫は外へ行き居ても立っても居られない
シフトが替わって次の看護師がきて、「もう最後の様ですからどうぞ中で小さな声で
しゃべって下さい」と言われる 明け方亡くなる 夫は怒った
家族とか皆がいるところで死なせてあげたい  穏やかになくなってゆく人はある種の
繋がり感を持っている (子孫、宗教、文化)
アメリカインディアンの人達は死ぬと云う事にあまり拘らない 地獄だとかない
フェルローインディアンの歌
「今日は死ぬのにもってこいの日だ 生きているもの全てが わたしと呼吸を合わせて
いる 全ての声が私の中で合唱している
全ての美が私の目の中で休もうとしている 

あらゆる悪い考えは私から立ち去って行った 今日は死ぬのにもってこいの日だ
私の土地は私の周りを静かに取り巻いている 私の畑はもう耕されることはない 
私の家は笑い声で満ちている 子供たちは私の家に戻ってきた
さあ 今日は死ぬのにもってこいの日だ」・・・この人はもう宇宙、自然に戻っている
胃ろう:主に経口摂取困難な患者に対し、人為的に皮膚と胃に瘻孔作成、チューブ
留置し、水分・栄養を流入させるための処置
看取りの医師として一番気を付けることは「安心立名」  
①安心してもらうためには繋がりを持てるかどうか 繋がりの方向を見てそれを強化するようにする
②痛みをとってあげる ・・・延命をしなくてよい
沖縄は高齢者に対して敬意を表する 大事にする 認知症のひともゆったり生きられる
認知症のひとでもこちら側がにこにこしていると 妄想 幻覚 夜間のせんもう みたいなこと
は起こさない
日本ではとっても介護はいい アメリカは能力主義で自立していなければ生きていても
しょうがない、死んでもしょうがない
日本は医療関係者の犠牲の元に成り立っている 日本は病院で亡くなるのは8割
(とんでもないこと) イギリスは5割

人間の生・老・病・死というプロセスは絶対に変わることはない
良い施設に入れて延命と言うのは正しいとは言えない →「安心立名」が大事
出来る限り苦痛をとってあげる 食べられなくなったら、食べられないままに 
アメリカのホスピス 私は飲まず食わずで死にますというと 半月ぐらいで亡くなる
(八丈島は同様にやっている)
非常に具合の悪い死に方を「0点」 全く文句の無いような大往生を「9点」とする 
私は飲まず食わずの死に方をしますと云った方は中央値8がもっとも多い
結論として何かと言うと飲まず食わずというのは、若い人にとっては怖い状態か
もしれないが、歳とって行って食べる気力もなくもう食べたくないという人達
にとってみては決して苦痛のある死に方ではない 
むしろ眠るがごとき大往生に近い

死ぬと云うこと自体よりもどのように最後まで生きて行って、どのようにして死んでゆくか
と言うその時に 一つは安心感を持つというのは
祖先であるとか、国、世界、宇宙でもいいのですが、そういうところに繋がりを感じるし、
持つことが出来る 昔は日本人はそういう人が多かった
死がかつては身近にあったし、どうやって死んでゆくのかを学習する事が出来た
(べらぼうに大切なこと)
出来る限り孫とか呼び寄せ、看取ってる手伝いをさせる 呼んで笑い声を聞かせる 
それは物凄くきく 
うるさいぐらいの笑いの中で亡くなってゆく事は安心である 
介護者はどんなにいい看取りをしても後悔は残る
介護者に対して良くやってあげたよ、という保証をしてあげる・・・介護者に対する安心感