2018年6月9日土曜日

城みさを(手織適塾SAORI 前主宰)   ・“自分らしさ”を織る(H17年5月14日 OA)

城みさを(手織適塾SAORI 前主宰) ・“自分らしさ”を織る(H17年5月14日 OA)
さおり織りは独自の手織り機を使って織りあげるものです。
初心者がこの織りをする時には縦糸は既に組み込まれています。
そこに自分の好みで色とりどりの横糸を織りこんでいきます。
特に見本や手本があるものではなく、織るにあたってのルール 、規則と言ったものもありません。
自由奔放に好きに織ることによって出来上がった織物に自分の感性が現れると言うものです。
織りあげた布は幅が50cmから60cm余り、ショールやマフラー、壁掛けになったりしますけれども、長いものを織りあげると洋服にも仕立てることができます。
色は赤、だいだい、ピンク、黄色、黄緑、緑、薄い青、濃い青など様々です。
それがワンピースになったり貫頭衣ふうになったり、ロングコートになったり、チャンチャンコになったりします。
このさおり織り、昭和44年に当時50代の後半だった城みさをさんにより生みだされました。
2005年当時92歳だった城みさをさんへのインタビューです。

3番目の息子が独立する時にこれからは好きなことをさせてもらいましょうと喜びました。
それまでは織物などは一切関係ありませんでした。
きっかけは以前母親がやっていた手織りを母親にもう一度やらしたいなあと思って居ました。
近くに織り屋さんが沢山あったので手おり機を作ってやろうと思いました。
参考の本を取り寄せ材木を取り寄せてやっていました。
そうしたら夫が眺めていて手伝ってくれて、織り機が完成しました。
母親がやっているのを見ていて、一つ珍しいものを見つけました。
私も自分で勝手に考えていて、やっていたら縦糸が一本抜けていたものがあり、これは傷ものだと言われました。
それを聞いて私の感性でもっと傷を付けてやろうと思いました。
以前生け花をやっていて、自然そのままの美しいものをわざわざ折ったり切ったりして一つの型をこしらえている、こんな詰まらんことを人間がやるのかなあと考えていました。

自分の好きな生け方をやろうと思いました。
生け花は、自然の美しいものを如何にしてその美しさをなお一層強調して、あー綺麗だなあと思ってみる様になっているのが生け花ということの勉強だと思います。
一つの型を追いかけるのが習慣になっていたが、しかしそんなものを追いかけることがどんなに嬉しいのかと思いました。
師匠から離れで自分の生け方をしていました。
大阪府立三国丘高校の校長先生が面白い生け花をやるそうなので来てほしいということで、行って教えることになりました。
自分がこうしたら面白いということをやってごらん、と言うと生徒はなんとかできるんです。
最初5,6人でしたがどんどん増えて行きました。
自分で綺麗なところを見つけて行くと面白いんです。
一人ひとりの感性を引っ張りだすことの勉強だったわけです。
ほうぼうの学校から来てくれと言われて多忙になり、ついに入院しました。

織りも自分の感性で織る様になる。
絶対に人の真似はすまいと思っていました。
出来たマフラー10本を大阪心斎橋の店に持っていったら9800円で売れていました。
1000円で売れたら嬉しいと思っていました。
店の人、お客さんがそれぞれに美しさをみつけだしたということ以外考えられない。
織らせてほしいと言う人達が10人現れてきて、自宅で織って素晴らしいものを織ってきてくれました。
織る前に「あなたの好きなように織えばいいのよ」と言いました。
そのうちに全国に広がって行きました。
自分の中に有ったものが外に現れた、自分で見つけた喜びだと思います。
「さおり織り」 一人ひとりの違い、差異を織る、そこから「さおり織り」としました。
「山路きて何やらゆかしすみれ草」 芭蕉の句
「何やらゆかし」、という言葉でみんな魅かれている。
「何やらゆかし」を一つのマフラーにぶつける、自分が見付ける。
ああしなさい、こうしなさいと言うように導く訳ではなくてその人が持っているものを上手く引っ張り出してゆくのが、城みさを流ということです。
雰囲気を作り出すのが私です。

1979年に「手織り適塾SAORI」 をスタート。
人が尋ねるまでは答えない、質問されて初めて答えると言うのが主義主張です。
「何やらゆかし」というものの魅力を中心に持って行くとそれぞれに考えます。
1980年第一回障害者の為の手織り教育研究会を開く。
障害の向こうの先生が講習会に来て感動して、大阪の大きな施設「金剛コロニー」から呼ばれて行きました。
そこは前から織り物をしていて、見せてもらったが均一に織られていて残念に思ったが、古い別の箱から見えていた布があり、それを見たら素晴らしかった。
それは最初の頃の作品だった。
明日からは何にも云わないようにと言って帰ってきました。
今度行ってみたら我々が飛びつくような凄いものばかりが織れていて吃驚しました。
子供達が私に飛びついて来るんです。
それを見ていた先生はそれまでのやり方が間違っていたことが判ったんでしょうね、明日からは黙って放っておいてくださいと言ったその成果が物凄かったんです。
自由に好きにやったらすごかった。

広島にも行って、あなたの好きに織ってといったら、喜んであるお嬢さんが織ってくれました。
以前はそのお嬢さんは夜中に飛び出したり、100m競争で先頭がゴールする時に30m位のところを歩いているような子供だったそうでした。
その子がさおり織りに出会ってやって見て、自分を自由に表現できることを知って、すっかり自信が付いて変わることができて、いくらお礼申しても言い足りませんと言って下さいました。
何度も何度も頭を下げて下さいました。
3歳の時から今まで(20歳)カメラ向けたいと思ったことのない子ですと言われました。
あの子の喜ぶ顔を見てくださいと言って喜んで泣いていました。
私は特別の能力を持っていた人間ではなくて、天から貰った先天的感性というものをそのままに表現出来ているということをもって素晴らしい者だと私は思っているから。
親から貰った先天的なものを凄く素直に認めることを喜びとしている。
自分の親ほど大事な人はいない、その感性を受け継いでそれを表現しているのを先生から褒められる、これが嬉しい。
褒められればその人は幸せな気分になるし、それが究極の目的なんです。
自分しかできないものを自分の中からおびきだすことのできた喜び、何よりの喜びがあるから。