2018年6月8日金曜日

本田明子(料理研究家)          ・【わが心の人】小林カツ代

本田明子(料理研究家)          ・【わが心の人】小林カツ代
昭和12年大阪生まれ、あらゆるジャンルの料理を家庭料理としてとらえ、身近な食材で手軽においしくできる方法を考案し、ラジオやTV、雑誌などで紹介しました。
その温かな人柄と語り口でお茶の間の人気者になりました。
平成26年亡くなられましたが、亡くなった後も料理の本の出版が続き小林さんのレシピや生き方が多くの人に支持されています。
ゲストは最初の内弟子として23年間小林さんと共に過ごされた料理研究家の本田明子さん。

小林さんのことを師匠と呼んでいます。
小林さんは落語が大好きでした。
先生と呼んでいいのはスタッフと弟子だけでそれ以外は名前を呼んでもらったりしていました。
短大を卒業する冬に小林さんに出会いました。
母が小林さんの料理の本を買ってきて作っていました。
私も小林さんの本で作ると作りやすくて料理に自信が付いてきて、どんどん積み上げて来ました。
弟子になりたいと知人に伝えてもらいましたが、すでにアシスタントが3名位いて実現しませんでした。
卒業する暮れに、お茶を飲みに来るようにということでお会いすることができました。
帰りにいきなり明日から来ますかといわれて、行きますと即答えました。

先生のキッチンスタジオは自宅兼スタジオで、夜になると家族のリビングになるという形でした。
その後、家とは切り離した仕事場としてスタジオが出来ました。
家庭料理を伝えて行く使命を持っていたので、豪華な台所ではなくて、普通の台所を持っていました。
先生が倒れるまで常に普通の台所を、という姿勢でした。
材料も調味料も特別なものではなかったです。(近所で賄える食材)
それぞれの食材はその専門の店の人に聞きなさいと言うことは徹底していました。
肉屋さん、八百屋さんとはずーっと会話をして買い物をしていました。
美味しいという結果に至るまで、これは本当に必要なのかを常に考えていました。
ハンバーグの焼き方をレストランで見て、焦げ目だけフライパンで焼いて付けたらオーブン使っていたのを見て、フライパンで焦げ目を付けた後お湯を注いでハンバーグに火が入る、お湯がなくなる時間がほぼ同じの時が焼き上がり、食べてみたらおいしかった。
美味しくて簡単に出来る方法を常に考える人で魅力的でした。
ほうれん草は葉から入れて茹でるとスーッと入って行く、この方法も農家さんからの情報で試して上手くいっている。
人の話を受け入れる才能は凄いと思います。

料理家になって知名度が上がると食べさせてもらうことが少なくなるのですが、何人かは食べて食べてといってくれる人がいて、多少アレンジをして教えてもらった人の名前を本に紹介する時に入れています。
「わが道をいくワンタン」という作り方も進化していっている。(ばらばらに作り上げる)
家庭料理ということを掲げるからには、簡単に買えないものを使って料理してはいけないと本当によく言われました。(家庭で直ぐ手に入る食材を使う)
人の生活は色んな状況があり忙しい時はたびたびあるので、こうでなければいけないと、縛るようなことは言ってはいけないと常に言っていました。
頭からこうしなさいという指導はしませんでした、とにかく見ていなさいと言われました。

内弟子では最初の2年間は弁当をスタッフ全員に作ってこなくてはいけない、スタッフが働く時に5人分作ってきて500円で売る。
冷めてもおいしくなければいけないので、作り方の説明をしたりして、ここが違うとか話し合って、あとから身に付いたなと今でも感じています。
次には2,3年まかない料理をしてそれも同じ様にして勉強になりました。
伝えたい味は先生は持ってきて食べさせてくれました。
料理の仕方を耳から伝える疑似語みたいな伝え方が上手かったです。
動物が好きで犬、猫、鶏などを飼っていましたが、人間を含めて全ての生き物が大好きでした。
人間を含めて全ての生き物がお腹がすくということがあってはならない、ということをしょっちゅう言っていました。
世界中の子供のお腹がすくということをさせてはならないと言うことに繋がる訳です。
今目の前にある食べ物を如何に最大限に生かして、おいしく作るにはどうしていいかを考えてると言うことは良く聞かされていました。